舞踏会の罠
会場では、優雅な演奏が流れている。
私はくすぶった気持ちで、適当なその辺の男とダンスを踊っていた。
相手ならいくらでもいる。
貴族に嫌われているといっても、私の相手がいないわけではない。
あんな事件があった後でも私はそこそこ人気なのだ。以前、踊っていた貴族達に比べれば、下心があったり、家柄などは当然下がるが。
とはいえ、私はダンスに集中することが出来なかった。
正直言うと、この舞踏会をさっさと帰りたい気持ちだったからだ。
マルテッロが舞踏会に遅れて来るため、先に帰るわけにもいかず、こうして適当な男とダンスを踊っているのである。
そう、マルテッロはまた遅れてくるらしい。
なんて奴だ。
なんでもやらなくてもいいのに騎士団として街の警備の仕事をしているらしいと聞いた。
第七王子なのに、騎士団長補佐なのに、本当に何やってるのよ。
けど、実はその事がささくれだっていた私をホっとさせた。変わらずに自分らしい、マイペースなところとか、彼らしいといえば、彼らしい。
それに帰れないのは他にも理由がある、商人との付き合いのためだ。無理に参加させてもらったのだ。どんな嫌な思いをしても商人の顔を立てなければいけない。下手に、ここで帰ってしまったりしたら、今後の付き合いにも悪影響を与えてしまう。
私は目の前の相手に上手く笑顔を作りながら順調にダンスを踊っていた。
演奏が間奏に入り、私はパートナーとなっていた男の腰から、手を離した。
「お嬢さん、もう一曲どうだい」
タキシードの彼は名残惜しそうにそう言うと、左膝を曲げ、右手を差し出してきた。もう一曲踊ってほしいというアピールだろう。
だが、私は彼とこれ以上踊るつもりはなかった。マルテッロが来るまでのその場しのぎだったし、彼には申し訳ないが誘いを断ることにしよう。私は彼の右手を取らず、一つお辞儀する。
「嬉しいわ。でも、ごめんなさい。ずっと同じ相手と踊っていると私達婚約者だと思われてしまうでしょ?それは貴方に失礼だわ。これから他の令嬢を誘ってあげてね」
「だが…」
「貴方の様な素敵な殿方を独占するわけにはいかないの。ほら、壁の方を見て、皆、貴方からの誘いを待っているのよ?それに今度会ったときはまた私と踊ってくださいね」
そう言ってやると、彼は気を良くしたのか、壁の花になっていた少女に声をかけにいった。
少々罪悪感を感じていたが、彼はすぐに他の令嬢と楽しく会話を始める。少女のほうも分かりやすく笑顔になり、どうやら私が罪悪感を感じる必要はなかったらしい。
しかし、疲れたわね。
私は傍を通り過ぎたメイドに頼み、手に持っていたトレーから水の入ったグラスを貰う。
もう、かれこれ何時間も踊っている。昨日と同じく夕方に訪れたのに、部屋の隅にある大きなカーテンの隙間から夕闇が除かせている。もう夜になっていたみたいだ。マルテッロは何時に来るのよ?まさか、このままこないつもりだろうか。
私が水に口をつけ、休息をしていると、フロア全体が騒がしくなってきた。踊っていたペアの中にはダンスを中断する者も現れる始末で、どうやら隣のフロアで騒動があったらしい。
確かに、ここからでも何か言い争いのような声が聞こえてきた。
私と同じく休憩していた近くの貴族達が、何かボソボソと話し始めた。
「なんでも婚約話でもめているようだったよ」
「元々彼女の勘違いじゃないかって…」
「ああ、あの田舎貴族の娘か…最近可愛くなったのに、何とかいうか…ついてないね」
私は彼らの話を聞き、急いで隣のフロアに向かった、胸騒ぎがする。
私は足早に歩いているはずなのに、時間がゆっくりと流れていく。全てがスローモーションに見え、動機も激しく鳴り始めた。隣のフロアにはあの男爵令嬢やギュソーだけでなく、レンナもいるのだ。
どうしてか、貴族たちの話を聞いてレンナの顔が思い浮かんだ。
田舎から来た貴族なんて他にもたくさんいるのに。
どうか、彼女には何も起きません様に。
どうか神様、彼女をお守り下さい。
私は右手にギュッと力を込め、フロアの扉を開いた。
◇
「君にはすまないと思っている…だが、私に付きまとうのはよしてくれ」
私が隣のフロアに移動した時、聞こえた第一声がそれだった。
扉の近くにいる私から離れてフロアの中央そこには二人の男女が立っていた。
それを囲むように、大勢の貴族がいる。
決して、これから皆でダンスを踊りましょう、なんて雰囲気ではないだろう。フロア全体が喧騒に包まれ、私がいた所から別の世界に移動してしまった様な気さえしてくる。
男の方は全く顔も知らない人物だった。優男の様で、決まりの悪そうな顔をしている。
そして、女性の方は――レンナだった。
「婚約して頂けるとおっしゃってくれたではありませんか!」
レンナはその男の手を引っ張り、引き止めているようだった。どうやら彼はレンナが話していた婚約相手なのか、公然の面前で婚約破棄の話なんて彼は出したのだろうか。
「…その手を離してくれないか、レンナ」
「どうして、婚約破棄をするなんて」
「…そもそも、私たちはまだ婚約していないじゃないか。まだお互い問題なければ婚約しようという状況だった。君が一方的に勘違いしただけだろ」
「そんな!ならどうして急に婚約するのを取りやめるなんて…」
「君がカンパネラの友人だからだ…私も彼らに目を付けられるのはごめんなんだ。今日話があって…すまない、分かってくれ」
彼は今、なんて言ったのだろう。
私のせいで、レンナは婚約の話しがなかった事になってしまった、そう言ったのだろうか。
体が冷え込んでくる。頭の中が鈍い痛みを発している。
まるで心に風穴が開き、その中にじっくりと黒い用土が侵食していく様な気持ちだった。
…レンナの顔を青ざめている。
彼女は目に涙をため、普段の元気な彼女からは想像も出来ないほど、深刻な表情をしている。
フロアの隅、丁度私の位置から反対側の壁際で、あの男爵令嬢と…ギュソーの奴が彼ら二人の様子を見ている。まさか。いくらなんでもそこまでするのか。私のせいで彼女はあんな思いをしているのか。
私の頭は真っ白になっていた。私の中のくすぶったものが体を駆け巡るような気がした。
「誰かこの騒ぎを止めてこいよ」
「嫌よ。それにあんな田舎の貴族なんて助けて、メリットなんてあるのかしら?」
私の隣で様子を見ていた貴族達がひそひそと話をしている。
彼らの言葉が頭にちゃんと入ってこない。
私の足は自然とフロアの中心に向かう。
辺りの人間を押しのけて、前へ前へと進んでいった。
レンナたちを囲んでいた人たちも押しのけて、ついに私は彼ら二人と相対する。
「貴方、何をしているの!」
私は男に叫んだ。
「なんだ君は。私に何か言いたいことでもあるのか」
男は私の言葉に驚いていたようだった。
目を丸くさせ、一瞬ビクついたと思ったら、私のほうを睨んできた。
だからなんだ。
私は彼の目をしっかりと見据え、もう一度言葉を発した。
「自分が何をしているか、分かっているのかと聞いているのよ!?こんな大衆の場で子爵令嬢を貶めて、なんてことを!!彼女がどれだけ傷ついたかわかっているの。それに貴方が傷つけたのは彼女だけではないわ。彼女の家も陥れたのよ。絶対に許さない。貴方の顔覚えたわよ。もう、貴方に婚約する相手が現れないようにしてやるわ!」
私は一方的にまくしたて、本気で彼にそう言った。
私の言葉に萎縮し、足早に人ごみの中を抜けて、この場を去っていくようだった。あんな男構ってもしょうがない。それより、レンナの方が大事だ。うずくまっている彼女のもとに駆け寄る。
彼女は目に涙をためて、小さく震えている。きっと今すぐにでもこの場で泣きたいだろうに、彼女は耐えているのだろう。私は彼女の肩に出来るだけ、そっと触れた。
「ごめんなさい、私のせいね」
私は彼女にハンカチを渡す。私は彼女がこれ以上傷つかないよう、出来るだけやさしく声をかけた。
「い、いえ。カンパネラ様のせいなんかじゃ」
「さぁ、立てる?今日はもう下宿先にお帰りなさい」
「でも…」
彼女は何かに躊躇している様子だった。何か彼女が子の場所にとどまる理由でもあるのだろうか。彼女はこんな場所に居てはいけない。こんな最低の場所に。一刻でも早く離れるべきだ。
「何?馬車が来ていないことを気にしているの?大丈夫、私の馬車を使っていいから、侍女のダーチャは前に紹介したでしょう?彼女に声をかけて。貴女の下宿先まで送ってくれるわ」
「…でも、そんなことをしたらカンパネラ様が」
「でもじゃない。何ウジウジしてるの。私のことは気にしないでいいから、さぁ」
私のことなんて気を使わなくていいのに、全部私のせいなのに。
私は彼女を立たせ、扉のほうに向かわせた。
レンナはヨロヨロと、入り口の方へ歩いていく。
「ごめんなさい、レンナ…」
彼女がフロアを出ていく事を確認して、その足で壁際の男爵令嬢とギュソーの元に向かった。
「なにか御用かしらカンパネラさん」
男爵令嬢は怯える様子もなく、私のほうをニタニタと笑みをたたえ見てきた。
私は渾身の力を込めて彼女をにらみつける。こいつのせいで、レンナが。
煮えたぎるような怒りを感じる。私の脳みそは今にも爆発してしまいそうだった。
そして男爵令嬢の頬を、思い切り叩いてやった。