戦いの終わり
後方では剣と剣が打ち合う金属音が聞こえてくる。
戦いが始まったのだ。マルテッロとギュソーの。
私は男爵令嬢に肩を貸し、石橋を渡りきり、歩道を歩いていた。
男爵令嬢の瞼はうっすらと閉じたり、開いたりを繰り返し、今にも意識を失いかけていた。
「大丈夫?気を確かに持って」
私は茫然としている彼女に何度も声をかけた。
だが、見るからに彼女の具合は悪くなる一方だ。
馬車をギュソーたちに見つからないよう石橋から遠くにある岩場の影に留めたのが裏目に出た。馬車までは距離が多少離れており、それまでに彼女が消耗してしまうかもしれない。幸い、そこまでたどり着けばあとは街道を直進するだけなので、すぐ町に到着するのだが。
だが、馬車まで彼女の意識が持つかどうかが心配だ。
私が彼女の体調を案じていると、息も絶え絶えに、その彼女が言葉を発した。
「ご、ごめんなさい、私あなたにひどいことを…」
「もう気にしてないから、これ以上喋っちゃ駄目!」
彼女はポツリと呟く。
私の制止も聞かず、流血で顔面を蒼白にしても言葉をやめなかった。
「聞いて。わ、私同性の友達も少ないし、ギュソー様に好きだって言われて、浮かれてて。それで…」
「わかったから…」
「他人にチヤホヤされる貴女やレンナが羨ましかった。だってギュソー様の後ろ盾のない私は、彼に見捨てられたら誰にも見向きもされないもの…」
「そんなことないわ」
「気を利かせなくていいの。自分がそのことを一番わかってるから…」
「何言ってるのよ……いつもの気の強い貴女はどうしたの?」
「ねぇ、もし私が死んだら父を許してあげて…仕事が大好きな人なの、私よりも…。私の馬鹿のせいで父の人生を台無しにしたくない」
事実はそうじゃない。彼は、仕事よりもずっと貴女の事を気にかけていた。私はそう言うべきだった。でも、それは今伝えるべき言葉じゃない。彼女を満足させるようなことを言うべきじゃない。今伝える言葉は、彼女に生きる気力を与えるようなことだ。
「いいわよ。でもそれは貴女が生き延びたら考えてあげる、だから生きなさいよ」
だが、私の言葉に答えは返ってこなかった。
それきり彼女は意識を失う。
彼女の体温は最初に肩を貸した時よりも、冷たくなっているようだった。
早く急がないと。彼女の命が持たない。
やれることは全部やっておかなければ。
「ちょっと我慢してね」
私は彼女の足を両手に担ぎ、彼女を背負う。
動くのもやっとだった。誰かを背負ったことなんて生きてて今までなかったが、中々重い。まったく、公爵令嬢のすることじゃないわね。私ワイングラスより重いものは持ったことがないのよ。
自分の体力が尽きようとかまわない。
私は、自分の持てる全てを出し切り、全速力で馬車へと向かった。
数分の間、彼女を背負い持てる力を出し切り歩道を走り抜けた。ようやく岩場の隅に隠れていた馬車にたどり着く。そこにはダーチャが馬車の外で待っていた。
「ハァハァ、ダーチャ!!」
私を認識したダーチャは慌てた様子で、こちらが心配するほど顔は青ざめていた。
「カンパネラ様!お怪我はありませんか?その血は!」
「私の血ではないわ!それよりも彼女を」
ダーチャに言われて気付いたが、私のドレスが半分以上彼女の血に染まっている。もう二度とこの服は着ることはかなわないだろう。こんなことになるなら、一番安いやつを着てくればよかった。
私はすぐ男爵令嬢である彼女をダーチャに任せた。彼女を馬車に押し込み、御者に急いで目的地である街を伝える。
「彼女をお願い、私と父の名前を出せば、どんな医者でもきっと助けてくれる。もし断られたなら、アウストリアン家がいくらでも褒美を出すと伝えなさい」
「……待ってください、カンパネラ様は同伴しないのですか?」
「私はマルテッロの元に戻る。彼が心配だから」
「お待ちください。状況はわかりませんが危険です!戻ってはいけません!!」
「彼女をお願い。時間がないの早く!私のことはいいから」
「ですが!」
「お願い、あなたにしかこんなこと頼めないの」
「…かしこまりました」
彼女は一瞬悲しそうな顔をしたが、すぐ真面目な調子で答えた。
私は振り向きもせず、その場を後にする。
彼の元に向かわなければ。
何が出来るかはわからない。でも彼の所に戻らないといけない気がする。
すでに体力の尽きた自身の体に鞭打って、私は再び走り出した。
◇
私は先程の石橋の手前で立ち止まっていた。
荒い呼吸を整えて、肩で息をする。汗は額から頬を伝い地面にこぼれた。
自分の余った力を逃すように、両手でスカートをしわくちゃに握りつぶす。
私の視線の先にはマルテッロとギュソーだけが立っていた。他の騎士たちは全員地面に伏している。
あれから数十分の出来事だ。私が全速力で往復した時間を考えても半刻もすぎていない。
戦いはほとんど終わっていた。
たったそれだけの時間で?
きっと戦いは一方的だったに違いない。
私と同じように満身創痍のギュソーに比べ、マルテッロは怪我一つしておらず、汗一つかいていない。
異様な光景だった。
むしろ、オルテンシアの血がべっとりとついている私の方がこの場では重体にみえるぐらいだ。
そしてどちらか一方ではなく、向かい合う二人は同時に走り出した。
剣を手に持つシルエットが重なる。
ギュソーが剣を手放す。
まるで何かを満足した表情をして――
マルテッロの耳元で何かつぶやいたかと思うと、力なく倒れた。
糸の切れたマリオネットみたいに。
もう皆死んでいた、彼以外は。
こんなにもあっけなく戦いは終わった。私を除けば、今この場にただ一人しか立っていない。彼の強さは異常だった。およそ人間のものではない。
手前にかかる石橋を隔てて、私たちの距離はとても遠くに感じた。
何が彼が心配だ、よ。そんなもの必要すらなかった。私は自分自身に毒づく。
そして私は、彼のことをまともに見れなくて、顔を伏した。どうしようもなく悲しい気持ちになる。胸が張り裂ける思いだった。涙が瞳から溢れそうだった。
この気持ちの正体が分からない。こんな気持ち、これまで生きてきて初めてだったから。
「カンパネラ?」
マルテッロが私の存在に気付いたのだろう、彼の掛け声で、彼の方を再び向いた。
いつもの何を考えているか、わからない顔がそこにあった。
けど、今はなぜか痛ましい表情に見える。
「……大丈夫?」
「ああ…」
彼は心ここにあらず、といった風に答えた。
「ねぇ、ギュソーに何を言われたの…」
「別に大したことじゃないよ」
そして一呼吸おいて。
「お前は私と同じだ、そう言われた」
そう呟く彼は、灰がかった色の霧に今にも溶けてしまいそうだった。