彼の目的
目の前で、男爵令嬢である彼女――オルテンシアは崩れ落ちる。彼女は地面に倒れ込み、うずくまった。
ギュソーの剣が彼女の脇のあたりを貫通し、高級であろうドレスがじわりと血に染まる。
そして当のギュソーは平然としていた。まるで興味を失った昔のおもちゃを見るような表情で、彼女を見下ろしている。およそ人間の所業じゃない。こんなことを淡々と行えるなんて。
「た、たすけ…」
地面に横たわる彼女は、こぼすようにつぶやいた。
「待ってて今助けに!!」
その時。
突如マルテッロが私のほうを振り返り、何を思ったか私を押しのけて抜き身の剣の刃を放った。
自慢の銀色の髪が数本空中を舞った。私はその衝撃でしりもちをつく。
一体、何故?
私は混乱しながら、マルテッロの視線の先を見る。
理由はすぐに分かった。
「驚いたな、視覚外からの矢をそんな風に打ち落とす人間がいるなんて、矢の発射音で気付いたのか?」
そこには一人の騎士がクロスボウを構えていた
その騎士もこの距離からの矢を打ち落とされることは予想外だったらしく、何をするべきか判断をつかない表情を浮かべている。
マルテッロがギュソーに向き直る。
「なぜ、カンパネラを狙った!!」
「これで本気になっただろう王子?私を殺さなければ、お前の大切な人がすぐにそうなる。まぁ、今回は助かったが」
「………貴様!!」
こんなマルテッロ見たことなかった。雄たけびの様な声を上げ、咆える。
マルテッロは激情に身を任せるように剣を再びギュソーに構えた。
「私から絶対に離れるな、カンパネラ」
「え、ええ…」
私は立ち上がり、マルテッロに身を寄せる。
ぞっとした。おそらく、こいつは男爵令嬢を刺すことを合図に、動揺した私に矢を放つ指示をしていたのだろう。もしマルテッロが気付かなければ、今頃…
「おいおい、その女を守りながら戦うつもりか?たく、しょうがないな」
彼はため息をつくと、あからさまに落胆した表情になった。
「すまなかったねカンパネラ。君を本気で狙ったわけじゃなかったんだ。それはそうと、オルテンシアを助けなくていいのかい?彼女はまだ助かるよ」
先ほどとは一転、ギュソーは軽口を叩くと、さわやかな笑顔で私にはにかむ。
「まぁ、助けたくない気持ちはわかる。ついさっき殺されそうになったし、彼女を馬車に乗せて助ければ、周りの貴族はどう思うか想像できるからね」
「なんですって?」
「たとえばこんなのはどうだ、昨日の騒動で、怒ったオルテンシアは君が泊まっている貴族寮に文句を言いに行く、そこで二人は言い争いの末、怒った君は思わず彼女を刺してしまう。慌てた君は彼女を馬車に乗せて医者に…なんて貴族連中の考えそうなことじゃないか?彼らは噂話が好きだからさ。医者になんか見せたら、すぐ彼らは飛びつくよ」
「カンパネラ、こんな奴の言葉は無視していい。君のしたいことをしろ。全力で君を助ける。私は……これからこいつを殺す。生かしてはおけない」
マルテッロは前をまっすぐ見据え、そう答えた。
「王子にしては口が悪すぎやしないかい?」
「貴様はこれまで何人もの人間を影で操り、傷つけてきた。私の国の民を、善良な人間達も、そしてカンパネラも、決して許してはおけない」
「言うなぁ、この状況は貴様のせいだぞ」
「私のせいだと…?」
「そうだ、オルテンシアが傷ついたのも、カンパネラがひどい目にあったのも。それはお前の強さが引き寄せたものだ。俺でなくても、きっと別の者が現れて貴様と敵対しただろう。貴様の周りの人間を戦いに巻き込みながらな。そしてお前もそれを望んでいる」
「……いいや違う。すべてこの事態を招いたのは、貴様の心の弱さによるものだ。他人を傷つけたのも、陥れたのもお前だ。貴様の弱さを他人のせいにするな」
「そういう割には気にしているようじゃないか?マルテッロ」
少し戸惑って、マルテッロは答えた。ギュソーなんかと意見が合いたくないが、私にも、彼がその言葉を気にしているように見えた。そして、ギュソーは赤い髪の毛の先を親指と人差し指でいじりだす。
「ああ、そうだ忘れていた」
ギュソーは男爵令嬢に突き刺さった剣を引き抜く。
この男!!オルテンシアは剣を抜かれた痛みに耐えているようだった。剣でせき止められていたであろう、血流がダムを決壊したように流れる。
「ほら、彼女は渡しておくよ」
「貴方!なんてことを!」
そして彼女を起き上がらせ、自身の目の前に雑に放り投げた。
「お前達も手を出すな」
そう言って、騎士たちに注意を促しているようだった。彼らも困惑したのか、お互いの顔を見合う。
幸いだ。
私は急いで、彼女の側に駆け寄る。
「しっかり、意識をもって」
「…カンパネラ、どうして」
よかった。まだ息はある。
呼吸は荒く、血があふれ、ドレスから地面滴り落ちてはいるが、それでも彼女は死んではいない。
私は自分のスカートの一部を引き裂き、これ以上血が出ないよう、それで彼女の腹部を固定する。
私は彼女を担ぎ、私達の馬車を留めた石橋のほうに向かわなければ。
だが、もう一度、私はギュソーに振り向く。
正直言うと、背中から斬られるくらいは覚悟していた。
けれど、彼はのんきに私が去るのを持っている。彼の一連の行動が不可解だ。
私を殺したいのなら、これまでいくらでもチャンスがあったはずだ。
なのに、何故。
最後に、私は彼に質問した。
「貴方の目的は何なの……?」
「しいて言えば私達の邪魔はしないでほしい、ただそれだけだよ」
……私は唖然とした。
ありえないと思っていた可能性が浮上する。
そしてようやく理解らしきものが出来た。彼は、この状況を作ることが目的だった、ということなのだろうか。そう考えると色々つじつまが合う。つまりマルテッロと本気で戦うことが彼の目的…だが、いまいち意味は分からない。そもそも理由がない。そんなことをしてこいつに何の利益があるというのか?どういう意図があって、何が彼をさせるのか。いや、今はギュソーの思想を考えている余裕はない。彼女を一刻も早く、馬車に乗せて、街の医者に見せにいかなければ。
私は騎士たちをにらみつけ、彼らの横を通り抜けて馬車を止めてある石橋の方に向かう。
「来いマルテッロ。私を殺したくてしょうがないんだろう?お前は戦いを求めている、それが本当のお前だ。そして俺を殺さなければ、そこにいる女が死ぬぞ」
「……行くぞ」
「マルテッロ!!……私は彼女を助けに行く。だから…」
私はマルテッロになんて言葉を彼にかけるべきか考え、躊躇した。その後に伝えるべき言葉は決してギュソーを殺すな?いや、もう無理だ。そういう段階ではない。そういう相手でもない。この戦いを止めることは私にはできないのだろう。本当は彼に殺しなんてしてほしくない、それが言えないのならせめて――
「……お願い、無茶だけはしないで」
彼は無言でうなづいた。