私がこんな風になったのは、貴方のせいよ 後編
その時、彼の目蓋はパチリと開いた。
私とマルテッロの視線が重なる。
「………」
「あれ?カンパネラ?どうして君が?」
彼がムクリと起き上がり、辺りをキョロキョロと見始める。
私はと言うと、冷や汗が体全体から出てきた。
今日は結構厚い服を着てきたつもりだったのだが…先ほどの台詞を彼に聞かれたかどうか…思いのほか気にしているらしい。
「………」
「えっと、カンパネラ。どうしたの?」
「……い、いつから起きてたの?」
「え?今だけど」
彼は困惑するように答える。当然かもしれない。目が覚めて、一番最初に目の合った相手に何時起きたのかと質問されたら、そういう反応も納得できる。彼が既に起きていて私の独り言を聞いていた場合を除き。
「本当に?本当に今起きたんでしょうね?嘘ついてないわよね?嘘ついたら、ひどい目に合わせるわよ」
「今起きたのはほんと--痛、なんだ?」
そう言って、彼は頭を抑えた。
「あ、大きな声を上げてごめんね。大丈夫?」
私はすかさず彼に氷水が入った皮袋を渡す。そうだ、彼はけが人だったんだ。
マルテッロは事態が飲み込めないという顔をしていたが、徐々に広場での出来事を思い出しているようだった。
「そうだ、どうして君がここに?」
「えーと、話せば長くなるんだけど…」
私は彼にかいつまんで事情を話す。私が仕事が終わり彼に会いに来たこと、彼が訓練をしている最中に部下に呆気にとられ殴られたこと、医者に見てもらって無事であったことなど。だが言わなくてもいいことなので彼に膝枕したことは伏せた。
「はは、そうだったんだ。私も間抜けだね」
「怪我大丈夫?痛くない?」
「そうだな……君が膝枕してくれれば、元気になると思うんだ、どうだろうか?」
彼はさらりと言い、私に朗らかな笑顔をしてくる。
(さっきまでしてたわよ!)
そう言ってやりたかったが、悔しいので私は無言を押し通そうと決めた。
「すまない、冗談だ。でもいつかしてほしいな。それじゃあ私は訓練に戻ることにするよ、部下達も心配しているし」
だが、彼は私の反応も見ずにさっさとベッドから腰を上げろうとしていた。本当に冗談のつもりだったというのか?
「…………ちょっとだけならいい」
「え?」
「ちょっとだけならいいって言ったの」
彼は目を丸くして、惚けた顔をしている。私が膝枕するのがそんなに不思議だっただろうか。すると、彼は答えもせず、シーツのしわを作りながら、ゆっくり寄ってきた。
そして私の膝に頭を乗せて、仰向けになり目を瞑る。
たく、ありがたく思いなさいよ。全く。
こいつ相手だと変に意識してしまい、冷静に対処できない。
「………………………………思っていたよりも硬い」
何言うのよ!この馬鹿!
彼の頬を親指と人差し指で思い切りつねる。
「い、いだいよ、かんふぁねら」
血が出てしまえばいい!!こんなやつ。
「反省した!?」
「はい…」
たく。ならよろしい。
そうして、私達は少しの間そうやってずっと黙っていた。
私が彼に膝枕をして。
彼がそれを受け入れて。
部屋に沈黙が流れた。
私達はじっと黙ってその場にいて、言葉は必要なかった。私達はなんとなくお互いを理解しあっていた……と思っていたのは半刻前の話である。最初はそれでよかったが、ずっとそんなものだから、なんだか気まずくなってきた。彼が寝ていた時はこんな思いはしなかったのに。
「そういえば、他の貴族や隊長はいなかったけど、どうして?」
私は何とか話題を捻り出す。そういえば、今日の訓練では他に騎士団長やほかの貴族はいなかったことを思い出した。
「公爵家の令息たちはここには来ないよ。令息たちは指揮をするのが仕事だし、普段は自領の仕事をしているからね」
「じゃあなんでアンタが彼らの訓練をしてるわけ?」
「上の人間が先頭に立たないと下のものはついていかないからね、それに指導すれば、それだけ隊の生存率があがる」
「そうなの?」
「自慢じゃないけど訓練以外にも色々やっているよ。教官だって全員を指導するわけじゃないから」
意外とまともな答えが返ってきた。
仕事もあるだろうが、彼はいらぬ苦労をしているらしい。それも自分の意思で。
それで休日も警備の仕事をしているわけか…で、今日は訓練と。
「ここの人間は、平民や仕事にあぶれた貴族の次男や三男を集うんだ。国が彼らを養うためにね、平時は訓練をして、いざとなったら戦争で国に貢献してもらう。彼らの存在は必要不可欠なんだ。暇をもてあまして、クーデターでも起こされたら困るしね」
「ふーん、貴方って意外と立派ね」
なるほど、彼なりに考えてるわけね。
そういえば、王都は最近強盗事件が頻発しているが、実はそれがわかるだけ、ほかの領土よりもマシなのかもしれない…となんとなく思った。この国の騎士団は他国にも評判がいいから。
もしも国の守り手である騎士たちも腐敗していたら…強盗団と手を組んでいたと思うとぞっとする。
「そうかな?」
「ふふ、偉いわよ。自覚したほうがいい」
彼はさらりと言った、私は感心しているのだが。
「仕事だからね」
「なら仕事でなければ貴方はどうするの?」
「別に、どうもしないよ」
前言撤回である。メチャクチャ不安だ。騎士団長補佐の発言にあるまじき言葉だ。
「ありがとう、そろそろ戻るよ。皆が心配するし」
「そういえば来週、社交界だから忘れないでね、ちゃんと準備しておきなさいよ?」
「大丈夫だよ、絶対に準備してくるから」
「ちゃんとよ?わかった?」
「ああ、ちゃんと準備してくる」
彼は立ち上がり、私に振り返ってにこやかに別れの挨拶をする。
「じゃあ、行ってくるよ」
「ええ、行ってらっしゃい」
ここを出る瞬間、彼の目が外の景色にいく。
立ち止まり、彼の碧眼が窓の奥の遠くを見つめた。
まるで彼の瞳は生まれたばかりの無垢な幼子のような、聖人のような瞳だった。
あるいは穢れすら知らず、透明な混じり気のない水のような瞳だった。
…そうだ、そういえば、シスターから聞いたこんな話を思い出した。
山に行ったら。たとえのどが渇いても、山の奥の透明で不自然なほど綺麗な泉水は飲んではいけないというものだ。理由は簡単だ。透明な水は不純物が混じらず、魚の餌すらなりえない。山の動物すら近寄らず、生命は生きられない場所だからだ。
だから、人間にも飲めないと。
彼の瞳を見ていたら、どうしてか今そんな話を思い出していた。
なぜそれを思い出したのか。
私にも不思議だった--