私がこんな風になったのは、貴方のせいよ 前編
騎士団の訓練場は、王城と、その横に立てられた騎士寮とが共有する広間を使っている。
私とダーチャは馬車を馬場に留めて、王城と騎士寮とをつなぐ回廊の支柱からこっそり、訓練している騎士団の様子をオペラグラスで探すことにした。
騎士団は皆、鎖帷子に身を包み、手に持った木刀を機械的に振るう。大きな掛け声も聞こえてきた。剣術の反復練習だろうか。鎖帷子なんて何十キロもあるのに、木刀を振り回して重くないのだろうかと疑問に思う。とても私には真似出来ない、というか出来てもしたくはないな。
「マルテッロ様は見つかりましたか?」
目の前のダーチャも様子が気になるようで、彼女の頭部がピョコピョコと上下し、私のオペラグラスに映った。
「ちょっと待って、今探しているから…ああ、たぶん、あれよね」
騎士団の様子を眺めていた私は、マルテッロを探すため、集団の先頭あたりに目星をつけた。
訓練中なら、騎士団長補佐のマルテッロは、そのあたりにいるだろうから--と、彼を捜索すること数秒、すぐに見つかった。
彼だけは重そうな甲冑に身を包み、やはり私の予想通り、先頭に立ってなにやら指示を出している様子だった。これから死地に向かう様な真剣な表情で、普段のおっとりとした彼からは想像もつかない。
彼は王子で騎士団を任せられる立場にいるが、どうやら騎士団のお飾りではないようだ。
皆、彼の指示に従い、訓練に励んでいるように見えた。
「なんだ、ちゃんと仕事してるんじゃない」
私は胸をなでおろし、フーと息をつく。
「彼が仕事をちゃんとしていて安心しましたか?」
「そ、そんなことはないわよ」
私はダーチャの言葉にぎくりとした。
反射的に思っていたこととは逆の言葉が出てしまう。自分では気付かなかったが、私は、私が思っている以上に彼を心配していたようだ。
それから時間が経過し、マルテッロは目の前の一人の兵士に手ぶりで何か伝えている様だった。その兵士とマルテッロが皆の前に出る。二人は対峙し、兵士が木刀を構え、続け彼もそうする。
どうやら実際に稽古をつける様だ。
マルテッロと彼以外が大人しく剣を収め、二人の様子を固唾を呑んで見守っている。
そして打ち合いが始まった。
オペラグラスからはきちんとした判断は下せないが、贔屓目に見てもどうやら終始マルテッロが圧倒している様に見える。マルテッロは一歩も動かず、兵士の剣をいなしていく。兵士は両手で剣を振るうのに対し、一方のマルテッロは片手のみで剣戟をすべて防いでいる。まるで子供と大人の喧嘩だ。こんなに強かったんだあいつ。婚約者として鼻高々だ。
そして、数度かの打ち合いをして--
マルテッロが、支柱の影に隠れていた私と目が合った。
どうやら私に気付いたらしい。何十人と騎士団の人間がいるのに、一番早く彼が気付いた。
私は彼に小さく手をふると、呆気にとられマルテッロの動きが一瞬止まった。
そして目の前にいた兵士の木刀がちょうどよく彼の脳天を直撃する。
轟音を上げて、マルテッロはあっけなく倒れた。
え、本当に?冗談でしょ?私のせい?
彼を昏倒させた兵士も自分のしでかしたことに気付き、血の気がうせて、片足を地面につけて呆然としている。当然だろう。彼が怪我をさせたのはこの国の王子だ。下手をすれば斬首にもなりうる。
ほかの兵士達は慌ててマルテッロに駆け寄り、すぐに周囲にわらわら人が群がった。何人かは大きな声を上げて、城に駐留する医者を呼んでいる様だった。
そのうちの一人がマルテッロの様子を見ているようだが、一向に起き上がる気配はない。
もしかしてこのまま…
私の手は震え、動悸はいつもより何倍も早く、呼吸も浅くなっていた。まるで体全体が拒絶反応を起こしているみたいだ。いや、何を考えているんだ。彼なら大丈夫に決まっている。
私を置いて、死んだりなんてしない。
自分の馬鹿な考えを振り払い、慌てて彼の元に駆け寄った。
◇
--結論から言うと、彼は全然無事だった。
先ほどの騒動に駆けつけた城の医者が彼をみたが、特に問題もないとのことだった。むしろ健康すぎて驚いたらしい(なんなのだそれは?)。安否がわかり、彼を怪我させた兵士も一安心--というわけにも行かず、今は彼のほうが貧血で顔色が悪いぐらいだ。マルテッロと自分の将来を心配して、顔面蒼白といったところだ。
逆にマルテッロは、人の心配とはよそに、寝息すらたてて眠っている。
マルテッロは木刀で頭を強く打たれたはずなのに怪我や腫れすらない。本当に気を失っているだけのようだ。彼はかなり頑丈らしい。それはそうだろう、三階建てのタウンハウスに壁伝いでよじ登るような男だ。
彼が無事で、私は心底ホッとした。本当に心配したんだから。
私に気をとられて木刀を受けたのだ、正直後ろめたい罪悪感を感じていたし。
今は、念のため騎士寮の一室を借りて婚約者である私が、彼の具合を見ている。私が現れた時は騎士団の人間も驚いていたが、事情を伝えると医者は私にマルテッロを任せる様に指示をだした。
騎士寮の一室は、今、私とマルテッロしかいない。
マルテッロは硬いベッドの上で私に膝枕をされ、横向きに寝ている。念のため皮袋に氷水を入れたもので患部を冷やしている。
こんなことをして一刻が経つ。
半開きの窓から隙間風が入り込み、カーテンを揺らす。
彼の金糸のような美しい髪の毛が風に吹かれ、ゆらゆらと揺れる。
私は幹部に触れないように、気持ちよさそうに眠っている彼の頭をなでた。
髪の毛一本一本が女の子の髪の毛みたいにサラサラしていた。私よりも綺麗な髪質をしていてちょっと腹が立つ。
「ん…」
私が彼の頭をなでると、気持ちよさそうに、顔を緩め表情が和らぐ。本当に寝ているのだろうか?
まるで飼い犬みたいに大人しく受け入れるものだから、例えでもなんでもなく、なんだか本当に犬みたいだと思った。精錬な顔はまじまじ見ると、頬とかに小さな切り傷が絶えない。私はその傷を指でなぞる。いつも私と会わない時はあんな風に真剣に訓練しているのだろうか、騎士団の仕事で危険な目にあっているのだろうか。
「貴方が無事でよかった」
「……」
「本当に心配したんだからね」
寝ている彼に、私は声をかける。当然返事は帰ってこない。
--もし貴方が、私の噂が事実だと知ったら、私を拒絶するのだろうか?
彼の顔を見つめていたら、くだらない疑問が頭に浮かんできた。
……今なら、彼に真実を伝えられるかも知れない。噂は本当で、許されないことを今までしてきたと。
彼を見下す私は、小声で呟いた。
「ねぇ、マルテッロ。私ね、本当は…」
だが、最後まで言葉を伝えることが出来なかった。
『貴方に隠してることがあるの』と、一言言えばいいものを。
たとえ彼が眠っていたとしても、それを告げられなかった。
彼が真実を知った時、どんな表情をするのか考えたくもない。
少し想像しただけで、血の気が引いてくる。どうしても彼に知られたくない。私はこんなに憶病だっただろうか?彼と会う以前はそんなことなかったのに。彼と出会って確実に私は脆くなった。
舞踏会でのこともあるから、確かに彼なら私を受け入れてくれるかもしれない。
でもそうじゃなかったら…
それが怖いのだ。もし拒絶されたら、きっと私は今度こそ立ち直れない。
まるで熱に浮かされる病人みたいに、思考が堂々巡りになり、ニッチもサッチもいかない。
私が。
私がこんな風になったのは、きっと、全部彼のせい。
そうだ、私はーー
「貴方のこと、好きになってしまったのかも」