私にも育った故郷がある 後編
私とマルテッロは神父の後ろに付いていき、今は修道院の廊下を歩いている。
修道院を去ってから始めて訪れたが、私に望郷の念はなかった。
全てが様変わりしていた。
神父の話によると。私が世話になった神父だけでなく、シスターもこの修道院を去ってしまったようで、今は彼一人でここを経営しているらしい。
それに修道院は外観からは分からなかったが、大規模な工事をしたらしく内装は立て替えたのかと思うほど新品同然に生まれ変わった。ひびの入ったステンドグラスも、私が落書きして怒られた壁紙も、何もかも綺麗に整えられた。一部は贅沢にも純銀で出来た装飾までつけられ立派な様だ。
「中は綺麗だね」
私の隣を歩くマルテッロは、そう呟く。
「そうね、私が子供の時に住んでた頃とは大違い」
「お話は伺っておりますよ。お父上に引き取られるまで、カンパネラ様はこの修道院で暮らしていたとか。どうです?だいぶ改装しましたからね。思い出深いとは言えないでしょうが…」
「いえ…とても素晴らしいですわ。子供たちも隙間風に悩まされずに暮らすことが出来ますもの」
「そういって頂けると嬉しい限りですよ。これも貴方のお父上とこの土地を寄進されたカルロンゾ公爵のおかげですよ」
「…カルロンゾ公爵ですか」
確か、元々この修道院一帯の地域はギュソーの父であるカルロンゾ公爵の私有地だった、だが私がこの教会を出て行く前後で、彼が周辺地域を教会に寄進したと聞いている。
貴族が教会に私有地の一部を寄進するのはよくある話だが、その前後で建物を改装することなんてほとんどない。一部の地域を除き教会に立て替える資金がないこともあるが、教徒たちは清貧であることを教義で求められるからだ。
もしかしたら援助している父が気を手を回したのかも知れないここは私が育てられた修道院だから。
……だが、何かが引っかかる。本当にそれだけなのだろうか?
私が疑問に思いながら歩いていると、神父は扉の前で足を止めた。後ろを歩く私達二人も立ち止まる。
ここは修道院の一番奥の部屋だ。確か以前はここは食堂だったはずだ。
どうやらここが目的地らしい。
神父はオーク材の扉を開き、私たちを手招く。
中はやはり私の思い出の通り食堂のままだった。テーブルや席が部屋のすみに一箇所に集められ、壁際には子供たちが一様に並んでいた。皆、私の知らない子で、聖歌隊が着る白いガウンを羽織り、手に歌詞カードを持っている。
「神父様これは?」
「私たちの活動を見学していただければと思いまして、子供達に賛美歌の準備をしてもらったんですよ」
どうやら、神父は私たちにこの子達の賛美歌を聞かせたいらしい。
そういえば、玄関付近で私たちの様子を伺っていた子供達の姿が見れなかったが…彼らはせっせと私たちのために準備をしていた様だ。
そして手前に立つ指揮者らしき子供が指揮棒を振り上げ、同時に賛美歌が始まる。
子供達の歌声から聞こえてくる歌は、耳なじみの私がよく歌った曲だった。
孤児達は日曜になると聖歌隊として各教会のミサで讃美歌を披露する。それも教会の勤めだ。そのために、子供達は毎日賛美歌の練習を行う。
私もよく練習させられたものだ。
彼らの一生懸命に歌う姿がいやに懐かしい。
同じ曲を歌うのは伝統として受け継がれてきたものだからか、人も、建物も、全て様変わりしたと思っていたが、これだけは変わらなかった様だ。修道院を尋ねて、初めて懐かしさが胸にこみ上げてくる。
そうだ、私はようやく故郷に帰ってきたのだ。
ここで暮らした在りし日の思い出が蘇ってくるような気がして、じっと目を閉じていた。
耳障りのよい、心地よいメロディが流れる。胸のあたりがとても暖かくなった。
曲に聞き入っていると、右手に暖かい感触がする。
人の手触りだ。
なんだと思っていると、指と指の隙間に別の指が滑り込んできた。
私は薄目を開けて横を見る。
マルテッロが私の手を握っていた。
こちらを見もしないで、黙って、素知らぬ顔で聖歌隊を見ていた。意外とちゃっかりしているらしい。
けど、ちょっと照れくさそうにしているのに、私は気付いているのだけど。
「何よ、急に手なんか握っちゃって」
「駄目かな?」
「……別に、駄目じゃないけどさ。もっとドラマチックなことを言って手を握ってほしかった」
「なるほど、次会う時までに勉強しておくよ」
「…もう、そういうところよ」
◇
賛美歌を聴き終えた頃には、私達は子供達に取り囲まれていた。皆年齢が十もいかない子たちばかりで男女分け隔てなく寄ってきた。
彼らの関心はもっぱら私たちの生活基盤の様で、貴族の暮らし、仕事、普段食べるものやらなにやらを訪ねてくる。
思い返してみたら、私がここで暮らしていた頃は貴族は雲の上の存在だった。これから一生貴族を見ることもなく生きていく子もいるだろう。私達の事が気になるのは当然なのかもしれない。彼らは眼をキラキラ輝かせ、期待する眼差しで私たちを見ていた。
これではどちらが視察に来たのかわからない。立場が逆転してしまった。
「やめないか、皆失礼だぞ。申し訳ありません、王子、アウストリアン令嬢」
神父様は慌てて子供たちを制するが、私たちは首を横に振った。
「神父様お気になさらずに、いいでしょマルテッロ」
マルテッロもそれに頷いて、私たちは子供の質問に一つ一つ答えていく。
…終始和やかな雰囲気だった。
いつも貴族の腹の探り合いをしている身としては、同年代の令嬢とお茶会をするより、視察できてるこちらの方が楽しくて、おかしな気分だった。そして半刻もそんな風に門答を繰り返し、ほとんどの子供達が質問を終え、視察もこれで終わりかと思った。
私がここを訪れて、マルテッロもいて。
なんだかんだで楽しい休日だったと思えた…だが後から考えてみれば、明らかにこの日が契機だったと思う。そしてこれがきっかけで、私はある人物の真実を知ることになる。
その始まりは一人の少女の質問からだったーー
「カンパネラ様はここの出身なんですよね?」
何気ない言葉だった。私もにこやかに答える。
「ええ、そうよ。本当に昔はお世話になったのよ」
「シスターがカンパネラ様のこと言ってたよ。この教会から出て、今は貴族になった凄い人がいるって」
「そう、そっか…教えてくれてありがとうね」
どうやら彼らのキラキラとした眼差しには、私が貴族だからという理由だけではなかったようだ。シスターはそんなことまで話したのか。何やら背中がかゆくなってくる思いだ。
「…違うよ」
だがそれに反論の声が上がった。
私たちの輪に入らず、遠めでムスッとしていた男の子の言葉だった。
彼の発言は意外なもので、そのつもりもないのかもしれないが、彼の言葉は私の胸に突き刺さった。
あるいは、無くしたパズルのピースが見つかった時の様な気さえした。
「そうじゃないよ…」
「えっと、どういうことかな?」
「貴族になったのは男の人だよ、この人じゃない」
男の子は得意げにそういった。まるで自分しか知らない情報を知っていることへの優越感からなのか、子供らしい批判だった。
「えー何それ、嘘つき!」
「そうだ、そうだ!」
私たちを取り囲んでいた子供たちもムキになって一斉に彼を批難し始めた、対して男の子も一瞬ひるんだかと思うと、すぐ反論を始める。
「嘘じゃないよ!シスターがいなくなる前の月に僕だけに教えてくれたんだ」
「言い争うのはよさないか。申し訳ありません。何分まだ子供ですので」
神父様は仲裁に入ると、こちらを振り向き申し訳なさそうに言ってきた。
だが、そんなこと気にもならなかった。
薄ぼんやりとした疑問が私の頭の中に蠢めく。
私のほかに貴族になった人間がここにいた?
そんな話初耳だ。
普通なら修道院から貴族に連れていかれるようなことがあれば周りの人間が知っているだろうし、庶子ならば相応の手続きが必要だ。
私のように。
権利や遺産相続の関係で、国に登録が必要だからだ。
なのにそれも聞いたことがないし、何より貴族が排出されたなら、修道院を援助をしている父から、あいさつ回りをするよう私に伝えてくるはずだ。それすらなかった。
意図的に隠していない限りは、そんな事起こりえない。
もしかしたら、皆の言っていることが正しく、この少年の勘違いかもしれない。シスターが話していたといのもずっと前のことだろう。
だが。
なぜ、この施設が新築同様に綺麗になったのか。
新しい神父様がここに来たのはいつなのか。
元の神父様やシスターがいなくなったのはいつなのか。
独立した一つ一つの疑問が点となり、繋がっていく錯覚を覚えた。
「……ねぇ、君。その話詳しく聞かせてもらっても良いかな?」
私の言葉に辺りは静まりかえる。
皆、私がこの男の子の話に興味を持つとは思いもよらなかったのかもしれない。
マルテッロも真剣なまなざしで、その男の子を見つめていた。
私は修道院への視察を終え、急いで馬車に乗り込んだ。
ずっと待っていたであろうダーチャは手に持っていた、ハンドブックを隅に置き、慌てて頭を下げる。
「おかえりなさいませ、カンパネラ様。視察はどうでした?」
「その話はあとにして、それよりもーー」
私はこれから伝える話が誰にも聞かれないようにピシャリと馬車の戸を閉める。
「えっと…なんでしょうか?カンパネラ様」
「一つ、調べてほしいことがあるの」