私にも育った故郷がある 前編
窓の外は青一色の空模様で、やわらかい朝の日差しが寝室を照らす。
今日が休日であることも加え、まさしく外出日和だった。
ダーチャがせっせと私に服を着せようと格闘してる中、私は、ボーと小窓の外を眺めていた。何せ服を着せてもらうのにも幾分か時間がかかるから、やることがないのだ。
それから数分後、ダーチャは私に白いガウンやその他もろもろを着せ終えた。上着が崩れないよう馴れた手つきでピン止めをし、私から見て右側に半歩下がる。
私は姿見の前で、着崩れしない程度に上半身をねじった。
「よくお似合いですよカンパネラ様」
「うーん、そうかしら…」
ダーチャはえくぼを作り、満面の笑みでそう溢した。
私は鏡の前で、異国の踊り子を真似て、レースのスカートをつかみ、左右に振ってみる。動きに合わせて、ゆったりとしたスカートの皺が、さざなみの様にたゆたう。いつも着る衣装よりも露出が少ない、厚手で清楚で、全体的に色素の薄い白色の服装を選んだ。控えめに言っても童話に出てくる妖精の様な美しさだった。とは言え、そんなこと人に自慢しないし、着慣れないせいで違和感がすさまじいが。
「今日の私、変じゃない?」
「そんなことありません。何時も以上に麗しいですよ。普段のお召し物もいいですが、こちらだと印象が変わって見えてきますね」
ダーチャは即座に、ニコニコと答えた。
「……ならいいけど。今日は大事な用だからね、きちんとした格好でないと」
「えぇ、えぇ。その通りでございますね」
私は彼女の様子を見て、小さくため息をつく。
なんなのだその反応は。
今日の彼女は異様なほど上機嫌だった。表情はあくまで笑顔だが、瞳の奥の生暖かい目線が、なんだか居心地悪い。こんな彼女は始めて見る。
とはいえ、理由は判りきっている。
今日、私が育てられた孤児院を尋ねるからだ。
父が資金援助している修道院だから、名目上は視察、ということになっている。
ダーチャは以前から私が修道院に顔も見せない事を気にしており、先日、修道院を訪れると告げた時はほくほく顔ですぐに賛成してきた。
これまで他の院には何度か訪れたことはあるが、私が育てられた院については行くことはなかった。正直言うと避けてきた。だが、将来修道院を立てる夢があるのに、一度も育てられた修道院に戻ったこともないなんて、筋の通らない話だろう。ようやく私も覚悟を決めることが出来た。
私が重い腰をあげたのは、最近したマルテッロとの婚約の影響のせい…かどうかはわからない。なんにせよ、あれが転機になったのは事実だろうが。
そのマルテッロは、残念ながら今日修道院にはついてこない。
いや、「残念」という言葉には語弊がある……今のは言葉の綾だ。それでは私が彼が行かなくて寂しがってるように聞こえてしまう。そもそも今回の件では彼を誘ってすらいない。これから孤児院に行くのは極めて個人的な用事だったし、彼にこんなことを頼るのは、なんとなく癪だった。
だから、別に彼が行かないとしても、心細いとか思っていない。全然ない。
◇
「おはよう、カンパネラ」
「………何で貴方がここにいるのよ?マルテッロ」
馬車から降りた私を待っていたのは、マルテッロだった。
彼は修道院の入り口にあたるアーチの門の前に立っていた。その様子を数人の修道院の子供たちが奥の扉から半身をだし窺っている。普段貴族が修道院に来ることはなく私たちの様な来客が珍しいのだろう。
「君に呼ばれたから来た…筈なんだけど」
「差し出がましいようですが、私がマルテッロ様をお呼びしました」
私が疑問を口にするよりも早く、後ろに控えるダーチャが答えた。
どうやらマルテッロがここにいるのは、彼女の差し金らしい。
頭の中で、今朝のダーチャの異様な笑みが反芻する。今にして思えば、あの生暖かい目線も、彼をここに呼んだからかもしれない。そんなに私と彼を鉢合わせさせたかったのか。
「ダーチャ、貴方ね……」
彼女にはお節介焼きな性分があると思っていたが、ここまでだったとは思いもよらなかった。そんな彼女は悪びれる様子もなく、してやったみたいな顔をしていた。こんな侍女他にいるだろうか…
いや、それよりもマルテッロだ。彼がここに来てしまった以上、今更追い返す真似は失礼にあたる。
「えっと、そういうことみたいね。私これから神父様に挨拶をしにいくのだけれど、貴方も一緒にどう?」
「私でよければ一緒にお供しよう。というか、今日はそのつもりだったからね」
「なら行きましょうか…何よ?そんなまじまじと見ないで」
私が彼の横を通ろうとしても、彼は直立不動で私を凝視している。
一体、彼は何をしたいのだ?
「今日はその…とても綺麗だ」
彼は私をチラチラ見て、かとおもうと目を伏せたり怪訝な様子だ。どうやら彼は私の容姿に見惚れていたらしい。
「!…そ、そうありがとう。でも貴方の為に着たわけじゃないから」
私はすかさず答えた。
そして私の言葉はただの事実だ。
今日は修道院に顔を見せるために来たわけで、彼に会うためにおめかししたわけでもない。
…だが一般論として、素直にありがとうと一言答えればいいものをと、自己嫌悪を覚える。何故いつもこんな物言いしか出来ないのだろうか、私は。
「ハハ、それもそうだね」
「納得したなら、いいけど……」
彼は的を得たという表情をしてニッコリと返答してきた。嫌味のつもりもないのだろう。その笑顔を見て毒気も抜ける。そして彼にもう少し残念がってほしかったと思っている自分が、ちょっと悔しい。
「お待ちしておりましたよ、マルテッロ王子、アウストリアン令嬢。お待たせてしまって申し訳ない。お二人が時間より早くいらっしゃったのものですから」
扉から顔を覗かせる子供たちの後ろから、神父らしき青年が出てきた。
以前私がお世話になった神父ではなかったことに、少なからず肩が落ちる。
彼が決して悪いわけではないのだが…もしかしたら今もあの人が経営しているかと勝手に期待していた…そうよね、私が修道院を出て行って何年も経つ、この修道院からいなくなっても当然だ。
私は気を取り直し、お得意の営業スマイルで彼に微笑みかける。
「お会いできて光栄ですわ神父さま」
「こちらこそ。お父上のアウストリアン公爵にはいつもご支援いただき、感謝しております」
「父に伝えておくわ。あの人も喜ぶでしょうね。それで神父様よければ修道院を案内いただけるかしら」
「ええ、どうぞこちらに」