男爵令嬢の恋は、盲目
馬車は王都を離れた森の中を進んでいた。
小窓を通し、木漏れ日が差し込む。車内にいる私たち二人にまだらな影を作った。
男爵令嬢である私、オルテンシアは今、ギュソー様と馬車に乗っている。
馬車の中はガタガタと揺れ、森の整備されていないデコボコ道を進んでいた。
私達の目的地は女官のご自宅だ。
女官とは宮廷に仕えるご婦人で、基本的には王妃の世話役や相談役などをしている。今日はギュソー様とその女性が話しをするらしく、私は彼を女官の自宅まで送っている最中だ。
彼女達と親しくしていけば、最終的には王妃とも仲良くなれる寸法だ。もしも、彼女達が私たちの進言に共感してくれれば、王妃を通し、やがて王の耳に届くだろう。
この話しが上手くいけば、私に女官の一人である彼女を紹介してくれるらしい。
だが、心が浮き立つ私に対して、目の前にいるギュソー様は、つまらなそうに馬車の取り付けられた窓から外の景色を見ている。
「そうだ……君は今度女官と会うが、間違っても修道院を増やしたいとか孤児のために頑張るなんて、馬鹿な事を言ってはいけないよ。まぁ、君なら心配しなくても問題はないだろうが」
「なんですかそれ?」
「いいや、何でもないさ。ただの独り言みたいなものだよ」
彼はボソッとそんなことを言い出した。それまで私たちは無言で馬車に乗っていたため、彼が急に言葉を発して驚いた。修道院?彼はなんの話をしているのだろうか?
私はもし彼らとお茶会の機会があれば、女官に仮面舞踏会を紹介するつもりだった。
あれは楽しい。身分を気にせずダンスを踊っていられる。地位といった余計なしがらみもなくストレス発散のいい機会になる。私も色々な人と友人となった。ちょっと怖い人もいるし、巷では危険だという話もあるが、実際行ってみて拍子抜けした。危なそうな人に近かなければ問題はない。とはいえ私もよくは知らない。受け売りなのだ。ギュソー様に教えてもらった。楽しい催しがあると。
「…ねぇ、ギュソー様」
「ああ、なんだい?」
彼は空返事で答えてきた。
必要な事を話したら、もう関心は薄れたのか、また外の方に視線がいってしまった。手をあごに置き、外の景色をぼうっと眺めている。そんなに景色を見るのは楽しいだろうか?
外は鬱蒼とした木々の群れしかない。
代わり映えのない緑の並木だ。
私と会話するより景色を見ていたいのだろうか?
ちょっと私に失礼じゃないだろうか。
「舞踏会のことやりすぎではなかったかしら?彼女が王子と婚約してから私を批難する声も増えてきました。それに警告するだけだと聞いておりましたのに。話が違うではありませんか」
私は舞踏会での出来事を中傷する。
実は舞踏会のことなどどうでもよかったが、彼の気を引きたかった。
舞踏会での失敗は些細なことだ。実際には計画通りに運んでいたし、カンパネラは予定通り激昂した。その後が問題ではあったが…あのマルテッロさえ婚約なんてしなければ。
おかげと言うべきなのか、彼はこちらに視線を移し申し訳なさそうに答える。
「…私もそう思うよ。すまなかったね。彼にちょっと注意をしたら誤解されてね。婚約の取りやめにまで話しが発展するとは思わなかったよ」
「本当ですか?」
「本当さ」
「…なら、いいですけど」
そう言って、彼はまた小窓の奥の遠くを見始めた。
ずっと彼方の方を。
まるで彼の居場所はどこにもないように。今にも外の景色に溶けて消えてしまいそうだった。
燃えるような赤い髪が馬車の振動で不意に揺れる。
私は彼の関心を継続させるため、無理やり話題を続けた。
「そういえば、以外でしたよね。マルテッロって奴。てっきりあの女と婚約しないと思っていたのに」
「私もだ…意外だよ。あんな男がいるとはね。きっと彼はあの事を知っても…いやなんでもない」
「何のことですか?」
「いや、本当になんでもないことさ」
「そうですか…それにしてもギュソー様の力で何とかなりませんか?王子と言っても第7王子でしょう?」
「無理だろうね」
「…何故ですか?」
彼は即答した。まるで、そう答えるのを以前から想定している様だった。
「王子だからじゃない、彼が理で動く人間ではないからだ。調べて分かったが、獣みたいな男だよ彼は。直感だけで生きているようなものだ。それに彼は世の中のことなんて興味がないのかもしれないね。王子という立場だが、権力だって実の所どうでもいいと思っているんじゃないかな?ああいう手合いが一番厄介なんだ。ただ聡いだけなら手の打ちようはあるが、彼のような男に小細工は通用しない」
どうやら彼の気を引けたようだ。
彼は饒舌になり、ペラペラと話し始める。
ついで髪の毛を親指と人差し指で、クルクルといじりだした。彼の癖だ。こういう時の彼は機嫌がいい。
「戦って鼻っ柱をへし折るのはどうでしょうか?」
「…怖いことを言うね。残念ながらそちらも無理だ。彼は親の七光りで騎士団長補佐になったわけじゃない。実力でのし上がったんだ。荒事に強い連中にも聞いてみたが、彼との戦いは皆避けたいそうだ。それだけ危険な相手なんだ。私でも勝てるかどうか…」
「でも…」
なら、どうして言葉とは裏腹にそんなに楽しそうなの?とは聞けなかった。
彼は口角を上げほくそ笑む。意図は全く分からなかった。
「獅子の檻の中に手を入れる馬鹿はいないだろう?排除する必要があるならともかくね。向こうがこちらに関わろうとしないのならば、必要以上に接することもない。私が言いたかったのは彼がバックについている限り、君に出来ることはカンパネラと和解することだけだ。今は事態を静観するしかないだろうね」
「嫌です!私、あんな女と仲良くなんかしたくありません!それにギュソー様もおっしゃっていたではありませんか。彼女が私を陥れようとしているって」
私は反射的に答える。
どうしてもあのカンパネラという女と仲良くするなんて出来なかったからだ。
全身を覆う彼女への拒否反応が、そうさせた。
彼女は私の拝謁式をめちゃくちゃにした張本人だ。
私はあれで他の令嬢たちの笑いものになったのだ。それに以前からあの女は何かある度に、貴族としての礼節をわきまえなさいとか、小言をいつも言ってきた。元から彼女が嫌いだったし、あの出来事のせいでさらに嫌いになった。
だが、いい事もあった。
あの出来事のおかげで私に同情して貴族の友人がたくさん出来た。彼女の取り巻き立った人でさえ。それまでは私に見向きもしなかったくせに。
ただ、ギュソー様とはあの出来事の以前から交流があり、そうではなかったが。
彼に彼女の黒い噂を教えてもらっていた。
なかでも一番驚いたのは彼女が下位貴族の私を蔑み、陥れようとしていたことだ。正直、最初は信じ難いことではあったが、あの謁見式の出来事が私に確信させる決定打になった。
そして私はギュソー様の言葉を信じた。
「おや、そうだったかな?」
「そうですわよ!」
「怒鳴らなくてもいいだろ。冗談だよ。君はあの謁見式で彼女にやられた事を忘れてしまったのかい?」
「そ、そうですよね」
とぼける彼を咎めると、すぐ冗談だと訂正する。
正直彼の本心は分からない。
イケメンで、爽やかで、キザで、私以外の多くの令嬢に持て囃されていた。だが私はそこら辺のミーハーな令嬢とは違う。本心が全く見えないミステリアスな所に私は惹きつけられた。
彼は危うい人だ。
いつも軽口を叩くが、ふとした瞬間に、どこかに消えていってしまいそうな所がある。たまに彼の行動が、命綱をつけず崖を飛ぶような錯覚すら覚える。自分の命を試しているような…誰かが味方になってあげなくてはいけない。それが自分だけだったらいいなと思うのはうぬぼれだろうか。以前の私は令嬢たちに囲まれる彼を遠巻きに見る事しかできなかった。でも今は違うのだから。
「まぁ、彼がカンパネラに幻滅するならばともかくね…私達に出来ることはないよ」
こちらを見ずに彼はボソッと呟いた。
「そ、それですわ!」
天啓だろうか、彼の言葉であることを閃いた。
それが脳内を駆け巡り、連動して口から彼の言葉への相槌が出て来る。
「何がだい?」
彼は目を見開いて私を見てきた。
「彼をカンパネラから幻滅させるんです。そうすれば、彼女は再び今の地位を失うことになる」
「………素晴らしいね。私は思いつきもしなかったよ。何かいい案でも浮かんだかい?私には君に協力することしか出来ないが」
私は今思いついたある計画を彼に話した。
計画といっても特別なものではない。
彼女の経歴を全て彼に打ち明けるというものだ。彼女の経歴はギュソー様から聞いている。あの女は色々これまでやらかしてきたらしい。そんな汚点をこれから婚約する相手に打ち分けるわけがない。それを大衆の面前で披露するのだ。彼女にとって致命傷になりうるだろう。
それを知れば、あのマルテッロだって幻滅するに違いない。
他の貴族たちはマルテッロがいるから彼女の味方をしているに過ぎない。
彼の存在だけがカンパネラを失墜させる妨害となっているならば、彼を味方に付ければいいのだ。
「素晴らしいね。君は本当に素晴らしい」
「そ、そうですか」
彼はとても喜んでいるように見えた。
まるで、そう。
勉強会で私が見事正解を言い当てた時の、家庭教師の様な表情だった。
とても高揚しているのが見て取れた。
「だから私はね…君が好きなんだ、オルテンシア」
ギュソー様は目を細め、口元を緩め笑っていた。