友人を振った男はストーカーになっていた
「どうしてそんなことを聞くか、教えてもらってもいいかしら?」
レンナの言葉に私は混乱した。
…な、何故、彼の名前が出てくるの?
私は平静を装って、カップの中身を飲み干す。
その度に、自分の意思とは関係なく喉が鳴る。
「聞きましたよ。正式にマルテッロ様と婚約したのですよね」
「ええ」
「私はカンパネラ様のお気持ちを聞いておきたかったのです。私達貴族は政略結婚が常です、でもカンパネラ様には不幸な結婚はしてほしくなくて…」
つまり彼女は私を心配しているということだろうか?
言葉よりも、彼女の葡萄色の眼差しが真剣に私に尋ねてきた。
貴族同士の結婚は政略結婚が普通だ。
だが、それでも一応は相手を選ぶことはできる。
上位の貴族になればそれもだんだん難しくなるとはいえ、ある程度は抜け道もあり、私の様に婚約することも可能なのだ。だが、やはり結婚と言えば自分の意思でどうにもならないというのが一般的だろう。財産分与もあるし。あの舞踏会での出来事もあったせいか、彼女が私に不幸な結婚をしてほしくない様に心配するのも無理はない。
だから、なんとなくその言葉が彼女の真摯な気持ちによるものだと思えた。
正直に答えるべきだが、自分自身、彼をどう思っているか未だによく分かっていない。
彼は私を好きだが、私は彼をどう思っているのだろうか?
一瞬笑顔の彼が思い浮かんだが、気のせいだろう。
なぜなら、私の彼の評価が以前と何か変わったわけではないからだ。
私たちは会えない時も欠かさず手紙の交流をし、休みの日は彼と博物館に行ったり、ボートに乗って川を渡り同じ景色を見たりしたが、けれども私達の距離が近くなったということではないだろう。
私は一つ咳払いして、言葉を発する。
「そうね…自分でもよくわからないの。多分好きではないと思うわ。でも、彼のことを愛したいと思ってる。結婚する相手なら、お互い仲が良いことに越したことはないし、何より尊敬できる人だから」
「カンパネラ様がそうおっしゃるのなら、かまいません」
対面する彼女は、肩を寄せるように両手の腹をゆっくりと膝に押し付ける。
スカートの皺が伸び、それと同時にレンナの表情も晴れやかなものだった。
何が可笑しいのか、笑っているようにも見える。
「ふふ、ごめんなさい。カンパネラ様はご自身の気持ちに気付いてないことがよく分かりました」
「…どういう意味よ」
「だって、カンパネラ様がとても真剣な表情で答えてくださったものですから。きっとご自身が考えている以上に…いえ、何でもありません。それにマルテッロ様は良い人ですしね」
何だ、彼女の含みのある言い方は。気になるではないか。
それに彼女の口ぶりから、どうやらマルテッロと知り合いの様だった。私の記憶が正しければ彼女はマルテッロと面識はなかったはずだが。
「ねぇ、レンナ。彼の事知ってるの?」
「気になりますか?」
「茶化さないで、確かに気になるのは事実よ」
「もったいぶってしまってごめんなさい、実はですね…」
彼女の言葉を遮り、予想外に大きな音がした。
分厚い本を角から地面に叩きつける様な、或いは何十キロもある鉄板同士をぶつけあう様な音だった。
それが私の後方から聞こえてきた。
目の前のレンナは立ち上がり、窓の外を凝視する。
私も続けて後ろを振り向く。
窓越しに見える小さな庭では一人の貴族風の男が、もう一人の甲冑の男に取り押さえられていた。
貴族風の男はすぐさま地面に押さえつけられた。ジタバタもがき、何か叫び声をあげている。
こいつ、どこかで見たことがあるぞ。
私と、レンナは急いでゲストルームを離れ、玄関を出て庭に回りこむ。
庭には異変に気付いたのか、掃除などをしていたであろうメイドたちもわらわら集まってきた。庭の柵越しには街道を歩く人々も野次馬になり、何かあったのかこちらの様子を伺っている。
他には…兵士達が男を逃がさないように入口を囲んでいる様だった。
彼らの服装に見覚えがある。甲冑を着ているものもおり、彼らはこの国の騎士団だろう。
でも、どうして騎士団がここに?
「なんだ、お前は!その手を離せ!」
「それは出来ない。私は見ての通り君を捕まえるために、ここに来たからね」
「な、なんだと。私を誰だと思っている。貴族だぞ!!」
「そうか、奇遇だね。私も貴族なんだ」
あれ、この声は。
甲冑の男はこちらに気付いたのか、器用に男を押さえつけながら、反対側の手で兜を取る。
地面に這いつくばっている男は、甲冑の男が片手を離したことをチャンスとばかりにもぞもぞ動き出すが、微塵も動けずにいた。
「あれ、カンパネラじゃないか?どうしてここに?」
「それはこっちの台詞よ、マルテッロ」
黄金色の髪につぶらな碧眼、能天気そうな顔。
……………マルテッロだった。なぜ、彼がここに。
「マ、マルテッロ王子!?どうして貴方が!!」
貴族の男は、マルテッロの顔を見て驚愕しているようだった。
自分を取り押さえている人間の立場が、貴族として上の者と分かったためか、権力を笠に出来ないと観念し、すぐさま男は全身の力を抜く。
「ああ、カンパネラの友人のレンナ嬢から相談があってね。彼女の警備をしていたんだ。これでも私は騎士団に所属しているからさ。君が仕事そっちのけで自分に付きまとっているからなんとかしてほしいとね」
マルテッロはその男に向かってスラスラと言葉を述べる。
男の方はマルテッロから視線をはずし、きまりの悪そうな顔をしている。
何故この男に見覚えがあるか、今更私は理解した。
彼の顔をよく見ると、舞踏会でレンナを振った男だった。
道理でこの男に見覚えがあったわけだ。
だが、舞踏会で見た貴族の優男の風体ではなかった。あれから不摂生をしていたのであろう。あごには無精ひげをたくわえ、頬は痩せこけ、目はギョロギョロと動いていた。
「実は舞踏会に通えなかったのは、この人が原因だったんです。彼が私が舞踏会に参加するようなら、私に酷いことをすると…」
レンナは一歩前に出て、彼を見据えながら私に説明してきた。
どうやら彼は舞踏会でレンナを振った後彼女を脅したり、つきまとっていたらしい。
なるほど、と私も納得する。彼女がマルテッロと面識があるか判明した。
きっとレンナは、この男に付きまとわれ、騎士団に所属するマルテッロに相談したのだろう。それで彼女の警備をマルテッロ達がしていたのだ。
「貴方最低ね。振った相手をそんな風に脅すなんて」
私は地面に伏す彼に冷ややかな眼差しを向けた。
「カンパネラ。お、おまえが周りの人間に言いふらしたせいだ。舞踏会に行っても私と婚約してくれる人がいなくなってしまったんだ。縁談も全て断られた」
「あら、そうなの?それはお可哀想に」
彼の言葉は正しくない。
誓っていえるが私は彼に何もしていない。
彼の八つ当たりだ。
というか、私はレンナのことが気がかりで彼の事を今の今まですっかり忘れていた。
だが、彼が悔しがる様なので私がしたことにしておこう。そのほうが悔しそうだ。
それに彼の縁談が断られるのは当たり前だ。
あんな大勢が見ている所で、令嬢を振ったのだ。それを見ていたのは令嬢たちだけではない。お目付け役で来た貴族の父親達も見ていたのだ。彼の行いを見て、どんな人間か評価するのは彼らだ。そしてその評価を貴族の間で共有されたのだろう。
縁談が全て断られるのも無理はない。
「すまないレンナ、私には君しかいないんだ。ようやく気付いたよ。君を愛しているんだ。だから私とやり直してくれ。私を助けてくれ、彼らに私を捕まえないように頼んでくれないか?」
這いつくばっていた彼はレンナの片足をつかみ、懇願する様にレンナに訴えた。
…この男はレンナを愛しているわけではなく、他に相手がいないから彼女に再び求婚しているということだろうか。そして彼女に新しい男が現れないよう脅しまでするなんて。本当に自分勝手な奴だ。
何て男だ。恥ずかしくないのだろうか。
「…私、こんな人に夢中になっていたなんて」
レンナはボソっと呟いた。
レンナは落胆している様だった。まぁ当たり前だろう。私も婚約者になる男がこんな男なら、さすがにへこんでしまうだろう。
ほとほとあきれて言葉も出ないレンナのため、私は援護射撃をすることにした。
「貴方、よくそんなことが言えるわね。レンナの元婚約者か何か知らないけど、もうあきらめなさいよ」
「五月蝿い!お前のせいだ。お前さえいなければ!」
「お前さえいなければですって?私がいなくても、貴方はこうなってたわよ。安心なさい」
彼は私に対し恨み言を叫ぶ。
だが言いふらしたと評する私にやり返さず、抵抗しなさそうなレンナに手を出そうとするのは頭にくる。こうなったのもこいつの自業自得だろう。
「カンパネラ様のせいにしないで!貴方にはほとほと愛想が尽きました!これ以上付きまとう様なら、貴方…顔面を殴るわよ」
レンナは片足から男の手を振り払うと、右手で握りこぶしを作った。
「ヒィィ!」
…私、『ヒィ』って言葉を言う人初めて見たわ。
「…あ、貴女随分逞しくなったわね」
私はレンナに向けて、引きつった笑いをする。
「カンパネラ様の真似をしてみました。どうでしょうか?」
そう言って、彼女は私に笑いかけた。
天使のような笑顔だった…尊敬してるから真似しただけよね、私のこと煽っていないわよね?
そんな事一度も言ったことはないわよ。多分。
◇
「それじゃあ、皆。後のことは頼んだ」
「ハ、マルテッロ団長補佐!」
お茶会は散々なものになったが、一件落着してレンナの表情は明るい。
貴族の男は、マルテッロの部下達と共に一度王都の騎士団の領地に向かうそうだ。
こうして彼は御用となった。
処遇については彼は貴族ということもあり、かなり甘い罪状になるだろう。
彼らの親が掛け合ってきて内々に済ませるかもしれない。だが、それでも遠方の領地に送られるか、頭が冷えるまで何年か隣国で過ごすか。
少なくとも、彼はこれから怪しい行動をしないようお付きの人間があてがわれることになるだろうし、レンナが狙われることはもうないはずだ。
彼女とお茶会を始めてから時間がたち、もう日暮れになっていた。
私たちも解散し、今日は別れることとなった。
また彼女が舞踏会に来てくれるのを楽しみにして。
帰り際、彼女は右手を大振りで振ってきた…
舞踏会で、ああ言うはしたない真似はやめなさいと注意したのに、彼女全然懲りてないじゃない。だが、今日の私は寛大なのだ。
私も彼女に習って大振りで手を振り返してやった。
「ねぇ、マルテッロ」
「なんだい?」
「一緒の馬車に乗ればいいのに」
「汚れてしまうから、このままでいいよ」
私たちは街道を通り、夕暮れの町をパカパカ馬で歩いていた。
彼は馬にまたがり、私の乗っている馬車と並びながら街道を進む。
彼と一緒に帰っているのには理由がある。
彼の部下達が、婚約者の私に気を使ったのだ。
一旦報告に騎士寮に戻るはずだった彼は、そのまま彼のタウンハウスに直帰することになった。
それにしても、変な所で律儀な奴だな。馬なんて他の騎士に乗らせて、一緒の馬車に乗ればいいのに。
「ねぇ、マルテッロ?」
「なんだい?」
「フフ、やっぱりなんでもない。呼んでみたかっただけだから」
「そうか」
「怒った?」
「どうして?」
「何か、そっけないから…」
「すまない、あらぬ誤解をさせたようだ。馬の並走は思ったよりも難しくてね。あと、私も君に呼ばれて嬉しかったから気にしないでくれ。私も君ともっと話をしたい」
「へ、へぇ。なら、そうしてあげる」
彼はいつものトーンで語りだした。とはいえ、馬に乗りながら視線は真っ直ぐに見据え、彼の言った通り、馬の走行に集中しているのかもしれない。
私は話しかけるのを控えようかと思った矢先、彼は何か考えてこんなことを言い出した。
「そういえば、今日は天気がいいね」
「もう夕方だけど?」
「…………そうか、そうか」
もしかしたら私に気を使ったのかもしれない。
上手くはいっていないが、気持ちだけは受け取っておこう…
その後、私たちは別かれ道に着くまで、どうでもいいことをずっと話していた。