私だって友人を慰めに行く
舞踏会での出来事から、数週間が経過した。
観衆の面前であの女の頬を思い切り引っぱたいてやったが、私がそのことで貴族たちに非難されることはなかった。商人たちとの付き合いも重ね、あの出来事から以前と変わらない平凡な日常が続いている。
結局あれから私が失ったものはなにもなかった。
家庭教師によるマナーの勉強などの花嫁修業に、付き合いでの舞踏会への参加。政治を学ぶため貴族院に籍を置く父の仕事の見学、領地の会合に出向いたり、そこまで依然と大差ない。
むしろ私にすり寄ってくる者が増えたと言ってもいい。
理由は簡単だ。
私が王子であるマルテッロと、正式に婚約したからだろう。
私は最近周りにちやほやされているのだ。
王族の婚約者を公の場で辱めてはいけない。
王家の婦人になる人物はその辺の貴族よりも実質的には地位が高いからだ。
商人たちも都合のいいもので、あれから以前よりも私をお茶会やサロンに誘う頻度が増えた。
今まで私を誘うことがなかった上位貴族にも誘われるようになった。あれだけ毛嫌いしていたのに私に気に入られようとお茶会で慣れないお世辞を言う姿は、まるで風向きで方向をクルクル変える風見鶏の様だと、ふと思った。
本音を言うと、いつも世話になっている商人達ならいざ知らず、貴族の方は断ってやりたかったがそういうわけにもいかない。マルテッロの顔を立てなければならないし、私の夢のために今のうちに知り合いを作るのは得策だ。(ギュソーからも手紙で誘われたが腹いせに断った。どうせつまらない話だろう)
これから私とマルテッロが婚約破棄をするようならば莫大な違約金が発生するし、お互いの家柄にも傷がつく。子を産めないなどの正当な理由がなければ、事実上婚約を破棄することはできない。
勿論、婚約者は王族に娶られる以上、相応しい対応を出来なければならない。
そうでなければ、先程の婚約破棄をする正当な理由にもなり得る。私が男爵令嬢の頬を叩くようなことはもってのほかだ。
とはいえ、心配する必要もないだろう。
なんと言ってもマルテッロは私にベタ惚れだからだ。
私がこれまでやってきた悪事、例えば商人に色仕掛けをしたり、用途不明の資金を出資させたりなどの事実がばれるならともかく、このままいけばいずれ私は夫人となるだろう――
マルテッロには、まだ私がしてきたことを話せないでいた。
◇
昼下がりの午後、私は馬車でレンナの下宿先を尋ねた。
レンナの下宿先は、王都街道沿いに構える一軒家だ。そこで彼女は彼女の叔父やメイドと暮らしている。
馬車は彼女の家から路面の反対側に留めている。昼間の街道は中流階級の人間が行き来し、物珍しさから私の馬車を覗き込むものもいた。
私は馬車の中で、いつ彼女の家の玄関を叩こうか模索している最中だ。
「馬車の外に出ないのですか、カンパネラ様」
「もう少し、時間を頂戴…私が覚悟を決める時間を」
私の席の反対側にいるダーチャは不可解そうに訪ねてきた。
彼女がその言葉を告げるのは…かれこれ3度目だ。
「半刻前も同じ事をおっしゃっていましたが。一日中ここにいるつもりなのですか?」
「決してそんなつもりはないわ」
「そうおっしゃいますが…」
「ただ思考には時間が必要なものよ。だからお願い、もうちょっとだけ覚悟を決める時間を…」
「…作用でございますか」
私はレンナと話をするために、彼女の家の前まで来た。
彼女はあの事件から、舞踏会に一度も顔を出していない。
彼女が舞踏会にでないのも無理はないだろう。大勢の見ている中、あれだけ大層に振られたのだ。
商人たちから聞いた噂だと、田舎にある彼女の家も、今回の件は激怒しており、彼女を実家に戻す話まで出ているらしい。
余計なお世話かもしれないが、私は彼女に立ち直ってほしい。友人が落ち込んでいるのにただ見守っているというのは私にはどうしても出来なかった。
とはいえ、正直言うと彼女に会うのには少し勇気が必要だった。
普段の私から想像できないほど、どうにも行動できずにいる。
私は腕を組み、首を左右にあちらこちら振りながら、何か妙案が振って出ないものかと思案していた。
湿気のせいだろうか、締め切った室内は妙に蒸し暑く、嫌な汗が浮かび上がる。
私が考え事をしていると、羽付き馬車の扉がトントン叩かれた。
マホガニー製の木板が小さく振動し、かすかに音が反響する。
「あの。カンパネラ様ですか?」
聞きなれた声だ。
その声に反応し、私は力強く馬車の扉を開く。
扉を開けた向こうには、レンナが立っていた。
目の前には彼女がいる。少し頬がやつれているが、いつもの彼女だった。
葡萄の様な紫色の瞳を称え、あの綺麗な亜麻色の髪の毛は、少し痛んでいるようのにも見えたが。
「レンナ偶然ね、こんな所で会うなんて」
私はすぐさま、キリっとした表情で彼女に答える。
「やっぱりカンパネラ様でしたか。玄関の方でずっと馬車が止まっているとメイドから聞いて、もしかしたらと思って」
「何の事かしら?私はたまたま通りがかっただけよ」
「本当ですか?」
「ええ、それはそうと今日は天気がいいわね。この陽気はきっと紅茶日和ね。とても紅茶もおいしく感じられるに違いないわ。もし貴女がお暇をしているなら、よければこれからお茶でもしない?」
よし、スラスラ言えた。
彼女は右手を唇にかすかに触れるところまで運び、くすりと微笑む。
「はい。すぐ支度をしてきますね!」
◇
私は彼女の家のゲストルームに通された。
日当たりの良い来客席に座らせられ、食卓越しに私たち二人は向かい合う。
午後の日差しが私の影法師を作り、彼女を覆った。
メイドがトレイに乗せてティーセットを机に置き、お辞儀をして部屋を出て行く。
正直に言うと、彼女と二人きりになるのは若干気まずい。
「どうぞ、召し上がってください」
「ええ、いただくわ。あら柑橘系の良い香りね。セイロン?初めて飲む味がするわ」
私は受け皿と真鍮で出来たティーカップの取っ手を両手で押さえながら、顔に近づけて香りをかぐ。
鼻腔をつく、ほのかな酸いの匂いと柑橘類のさわやかさを感じた。
「いえ、紅茶にベルガモットの果皮を浸したものです。フレーバーティーというものらしいですよ。下位貴族の間では、最近こういうのが流行ってるみたいなので」
「そうなの?なんでもかんでも彼らは思いつくものね。ちょっと前まで流行の先端は上位貴族のものだったのに」
「この国は海に面していますから、他国の流行ををいち早く流入できるのでしょう。下位貴族たちは最近では海運業で稼いでいますから、王都近辺に住む上位貴族に比べ特に機微には詳しいのかもしれません。私も人から聞いた話なので本当かどうか知りませんが」
「ふふ、それは私だってそうよ」
私は音をたてないように口をつけ、味を確認する。
確かに美味しい。
紅茶は透き通るようなのど越しで、さっぱりとした味わいだった。
だが紅茶よりも、彼女の方ばかりに意識がいっていた。
思ったより元気に見える。空元気などではなく。
私が彼女と会話して感じた印象はそんな所だった。
「貴女が元気そうで安心したわ」
「そう見えますか?」
「いえ、私の願望かもね。そうだったらいいなって……ごめんなさい。この間の件、貴女に謝りたかったの」
「そうでしたか…あれはカンパネラ様のせいでは…」
そう言って、彼女は少し考えていた。
「いえ、やっぱりカンパネラ様のせいです」
彼女の言う通りだ。だが、直接言われると、やはり堪える。
「だから今度素敵な殿方を紹介してください」
彼女はそう言って笑った。
「え、ええ!絶対に紹介するわ」
私はもしかしたら先ほどまで緊張していたのかもしれない。
肩の力がスッと抜けるような、脱力した気分になる。
安心したからだろうか。
「実は私もうあの人のことなんて気にしてません。振られてからよく考えたんですけど、人に脅された程度で婚約をしない相手なんてこっちから願い下げです」
彼女は朗らかな表情で話しだす。
あの晩の彼女とは打って変わって、何か吹っ切れたような表情だった。
なら、何故彼女は舞踏会に参加していないのだろう?私がその疑問を尋ねる前に、彼女は言葉を継ぎ足すように言った。
「婚約した後に気付くことになっていたら大変でしたし、あれはあれで今考えるとよかったのかもと思っています。もう未練もありません」
「そ、そう?そう言ってくれるなら私も安心できるけど…貴女結構ポジティブね」
私だったら、もっと落ち込んでいただろう。
「私、山育ちですから」
山育ちって凄い。その一言で全部片づけられちゃう。
…彼女の言葉が本当なら、私は少し救われた気持ちになる。
あとはあの男爵令嬢のことだけだ。
彼女については、商人や工場をやっている彼女の父の取引先とも接触し、何か弱みをつかめないか模索している。
彼女の家は元々爵位のある家柄ではない、平民出身だ。
貴族のツテで名誉貴族の男爵位を授かった一代貴族で、調べども何も出てこず、彼女の家業はかなり潔白だった。どうにも旗色は悪い。
けれど、何とか弱みをつかめないか調べている最中だ。彼女を必要以上に貶めるつもりはないが、これ以上何かされるのは御免こうむりたい。彼女がまた私の周りの人間を傷つける前に先手を打つつもりだ。
それにやられっぱなしは私の性に合わない。
「あの私、一つお聞きしたいことがあります」
「私に答えられることなら、なんでも聞いて頂戴」
「…カンパネラ様はマルテッロ様の事を愛しておりますか?」
彼女が変なことを聞いてきた。