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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第三章 海ノ国編
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第八十九話 鎮魂祭 一

 しゃくしゃくと、枯芝に立った霜柱を踏み鳴らす。気持ちが良いからもう一歩増やして、ハツメは足を止めた。

 朝のきんと冷えた空気を全身に纏おうと大きく背伸びをする。

 腕を突き上げたまま空を仰げば、東の山から顔を出した朝日が空を赤く染め出していた。

 今日は冬晴れだ。

 風も穏やかだから、海も凪いでいるに違いない。

 鎮魂祭に相応しいだろう空と海に、ハツメは頬を緩ませた。


「おはよう、ハツメ」


 振り向けばいつもと同じ表情のアサヒがいた。いつもより早い朝だったが、彼もまた目が覚めたらしい。

 そういえば祭事になるとアサヒはいつも以上に早起きだったことを思い出して、ハツメは笑みを深める。


「おはようアサヒ。昨日は大変だったみたいだけど、よく眠れた?」


「ああ」


「風邪引いてない?」


「それはちょっと心配だったが、大丈夫だ」


 アサヒはそう言うと笑いをこぼす。その笑みには少しだけ苦みが混じっていた。




 昨日の夕方。研究室を出たときとは違う服装のアサヒに、ハツメは首をかしげた。

 話を聞けば波打ち際で押し倒されたという。そしてその相手であるカナトという男の素性と事情を知った。


 結局、カナトの提案にアサヒは乗ることにした。

 今日の鎮魂祭が終われば、明日からアサヒは彼と北の地へ赴く。シンの手掛かりを探すために。


 行き帰りを含めて一ヶ月ほどは都を離れる。これほど長い期間二人が離れることは、谷ノ国で出会ってから初めてだ。


 寂しくないといえば嘘になるが、アサヒがシンを探す為に注力するならば、ハツメもまた天宝珠(あまのほうじゅ)に向けて頑張らなければならない。そもそも海ノ国に滞在している理由は天宝珠(あまのほうじゅ)なのだから。そう思い、ハツメは一層の決意を固めたのだった。




 朝支度を終え、それそろ鎮魂祭に行こうか、と三人が話していた頃。戸口が大きく叩かれた。こんな日に来客かとハツメが出れば。


「ほら早く準備して。鎮魂祭に行くよ」


 研究室の戸口に立つ少年の姿。学術院の制服ではなく、濃紺の衣と淡黄の袴に身を包んでいる。腰に手を当てたその堂々とした佇まいを、ハツメは思わず口を半開きにして見つめる。


「何その間抜けな顔。そんな顔で僕に付いてくる気?」


 ミヅハは口を尖らせる。ミヅハのすぐ斜め後ろには、彼に日傘を差したルリが楽し気に微笑んでいた。


「一緒に行くの?」


「そうだよ。だからわざわざ迎えに来てやったんじゃないか」


 僕を待たせないで、とミヅハは機嫌良さそうに言った。




「何だこの展開は」


「さあ……?」


 アサヒの率直な呟きにハツメが首を傾ける。

 明るい日が降り注ぐ学術院の敷地内を、ハツメ、アサヒ、トウヤの三人は歩く。すぐ前にはミヅハと、彼に付き添って日傘を差すルリ。勢いに押されるまま彼らと鎮魂祭に行くことになってしまった。


「しかしその日傘は必要なのか。目立つぞ」


 アサヒの一言にミヅハが振り向いた。


「悪かったね。僕、日光に弱い体質なんだよ」


 悪びれもなく、尖った目をアサヒに向けながら少年は続ける。


「すぐに肌とか髪が焼けて、体調も崩れるの。イチルを見たことあるんでしょ? あの金色の髪。日で焼けて戻らなくなったんだよ」


 僕はあいつ程じゃないからああはならないと思うけど、とミヅハは付け足す。


「遺伝か?」


「そう。あの女のね」


 眉を寄せ、吐き捨てる。母親をあの女呼ばわりするミヅハの表情はいやに憎々し気だった。


「体質が似ている割には、顔は似ていないのね」


 どちらも美形ではあるが方向性が違う。ミヅハは鋭い目力が印象的な凛々しい顔立ちなのだが、それに対して第一王子には尖った印象はなく、女顔というわけではないが甘みがある。そして全ての配置が人形のように完璧なのだ。


 ミヅハが研ぎ澄まされた刃の美しさとすれば、第一王子は夜露に濡れた花の美しさ。


「僕は父親似。イチルはどちらかといえば母親似だよ」


 そういえばミヅハは国王の若い頃にそっくりらしいというケイの話を、ハツメは思い出した。


「どっちに似ても……いや、何でもない」


 そう言ったきり、ミヅハは再び前を向いて喋らなくなった。



 ……アサヒも、二人の兄弟なのよね。


 そう思ったハツメはアサヒの顔を見上げる。


 アサヒもまた二人とは違った美形だと思う。 涼やかさを感じさせる顔立ちは整っているし、陶器のような白い肌、目元に揃う細く長い睫毛は女性でも憧れる。その睫毛に縁取られた目はいつも前を見ていて、光があった。


 例えるなら何だろうか。


 ハツメがそう考えながらアサヒを見ていると、ふいに目が合った。

 視線をハツメに落としたアサヒは、その繊細な睫毛を一度揺らす。瞳の中の柔らかい光がハツメを捉えた。


「どうした?」


「ううん、何でもない」


 思わずどきりとして、ハツメは慌てて視線を逸らす。

 気が付けば一行は既に学術院を出ていて、屋台の立ち並ぶ大通りの坂へと足を踏み入れていた。

お読み頂きありがとうございます。

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