第二十九話 迎撃 一
アサヒは首にかけていた組紐を手繰り寄せると、襟の間から竹製の小さな筒を取り出した。
「何これ?」
「呼子笛だ。少しうるさくするぞ」
そう言って一端を口にくわえると強く息を吹く。甲高く突き抜けた音が静寂な夜に鳴り響いた。
「シンに持たされたんだ。言っておくが、一度は断ったんだからな」
「そんなこと気にしないわよ」
アサヒとハツメが神官舎に向け走り出してすぐにシンは来た。背後にはビャクシンの姿もある。そういえば一緒にいたのだったな、とハツメは思い出した。
「アサヒ様!どうなされましたか」
「シン、また力が発現した。錫ノ国がウロを制圧したぞ」
「何だと!」
後ろのビャクシンが声を張り上げる。
「なぜ報せが来ない。それは真なのか!」
「見えたものが本当ならな。嘘は吐かない」
「……くそっ!」
真剣なアサヒの目を見てビャクシンは踵を返す。見張りの兵士に全員を叩き起こすよう声をかけ、国主の御屋敷へ向かうビャクシンにハツメたちも付いていく。二千の石段に出たところで伝令兵に出くわした。
「ああ! ビャクシン様! 大変でございます。ウロの町が攻め入られています!」
「手負いのところすまぬが詳しく報告しろ」
「はっ! 本当に突然でございました。何の前触れもなく錫ノ国が攻めてきたのです。国境付近には見張りの兵も多々配置していましたが、誰も戻っておりません。伝令兵も次々やられ、かろうじて私が……」
伝令兵が最後に見たのは錫ノ国が攻め入ったところ、今アサヒが見たのは制圧されたところなのだな、とハツメは頭で整理した。
「分かった。よくぞ戻ってきてくれた。神官舎で手当てを受け、事情を周囲に知らせろ」
「はっ! 勿体なきお言葉です!」
膝をついていた伝令兵はそう言うと神官舎に駆けていった。
ビャクシンはハツメたちを見る。
「すぐに出兵するが、お前たちは無理にとは言わん。そもそも巻き込んだのは私だからな」
「そういうわけにもいかないな。ここまで来たら俺たちの生死は山ノ国と共にあると思うのだが、どうだろうシン」
「私も同じ考えです、アサヒ様」
「私も戦います!」
「……感謝する。戦が終わったら共に盃を交わそうぞ。では」
ビャクシンは石段を駆け上がっていった。
「伝令兵も来ましたし、私たちは神官舎に戻りましょう。アサヒ様、ハツメ様」
3人が神官舎に戻ると中は慌ただしく、一刻も早い出兵に向け準備が進められていた。
ハツメたちは今、コトブキを出てすぐの山道を下っていた。あの伝令兵の他にウロの戦火を逃れ帰還した兵士がおり、その兵士によると錫ノ国の軍隊はウロに夜襲を仕掛けた後も止まらずコトブキを目指しているらしい。進軍の灯を確認したと言っていた。
「深夜とはいえコトブキの軍が出兵する前にいくらでも歩を進めるつもりなのでしょう」
「それではいつ遭遇するかは分からないのか」
「偵察隊はそうですね。ただ本隊となると移動も時間がかかりますから、おそらく今日が過ぎて日暮れ頃になるのではないかと思います」
「長丁場だな」
「前回は前日に睡眠も取れたものね」
「お休みしたいときはおっしゃって下さい。無理して急ぐより仮眠して体調を整えた方が結果として良い方向に働きます」
「すまないな、シン」
「主が頭を下げないでくださいませ」
シンは穏やかな目で微笑んだ。
深夜にコトブキを出発し、少々の休憩を挟みながらハツメたちは移動を続けた。途中、錫ノ国の偵察隊との接触の報せが入り緊張が走るも、本隊を迎え撃ったのはシンの話した通り日暮れであった。
交戦の場となったのは標高ある山の中では比較的木々が多いところだ。とは言っても大半は岩場で、戦闘中に足を滑らせ転落する兵も多々見られる。雪解けが始まったとはいえ、まだ雪は多いのだ。このような状況で戦を仕掛けた錫ノ国は焦っているのか、それとも余程自信があるのか。
赤と紺が混じり合った日暮れの空に鮮血が散る。
初陣では上手く立ち回れなかったハツメだが、今回は違う。雪上をものともせず、標高差を利用しながら相手を打ち負かしていく。半年近くにわたる山ノ国での経験が活きていた。
傍ではアサヒが果敢に敵隊に切り込み、鮮やかな動作で数人を切り倒している。アサヒならすぐに神官に追いつくとトウヤは言っていたが、その通りだ。
横目でアサヒを見ていたハツメだが、その視界に不意に影が落ちる。
全身が粟立った。
見上げると、崩れた雪塊がハツメやアサヒたちに降りかからんとしていた。
ハツメはアサヒの名を叫ぶ。
振り返ったアサヒのもとへ駆け出し、手を伸ばしたその時、世界は暗転した。




