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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第一章 山ノ国編
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第二十二話 綿雪

 神官舎に戻る頃には夕日は沈みかけ、通りには明かりが灯され始めていた。

 柔らかな光を放つ行灯は移動時に持ち運ぶだけでなく、据え置きとしても使われている。国主の御屋敷や神官舎の辺りは特に数が多く、さすが山ノ国の中枢、かなり贅沢だとハツメは感じていた。


 トウヤは神官舎の玄関近くの縁側に腰掛けてハツメを待っていた。脇には行灯、珍しく庶民の着物姿である。

 ハツメが待たせたことを謝ると、なんてことはないと笑う。


「重要な用向きなのは知っていたからな。知らなくとも、ハツメ嬢を待つことなど苦にならぬ」


「ありがとう。私も着物に着替えた方が良いかしら」


「そうだな。その姿で居住区を歩くと、少々目立つぞ」


 ハツメは一度自室に戻ると急いで着替え、トウヤと合流する。

 トウヤが誘った店は居住区にあるため、二人で石段を下りていく。居住区に入って少し歩くと、なかなかの賑わいをみせている広場があった。広場の中ほどに台車付きの屋台が一軒、白い煙をたなびかせている。


「あれだ、ハツメ嬢」


「わぁ。ここにいる人たち、皆食べに来てるの?」


「そうだ」


 屋台に近付くと何とも良い香りが鼻をくすぐった。トウヤは「椀二つ」と注文する。店主はトウヤを見た後、ハツメに視線を移しておや、という顔をしたが何も言わず注文を受け取った。屋台に括りつけられた行灯には、『白麺』の二文字が浮かんでいる。


「白麺?」


「そう。二千の石段と合わせて、この国の名物だ」


 あいよ、と店主から椀を渡されたトウヤは両手に二つ持つと広場の片隅へ向かい、石椅子に腰掛ける。ハツメも隣に座り、椀を受け取った。


 流線の模様が描かれた陶器の椀。その中を覗くと出汁のたっぷりかかった白い麺があった。白麺の上には椎茸、大根おろしがのせられこちらも出汁が染み込んでいる。


「わぁ、美味しそう。頂きます」


 ハツメは箸で白麺を一本掴むとするりと口に運ぶ。数回噛んで飲み込むと、それは心地良く喉を通っていく。そのまま出汁を一口飲むと、温かい感覚が胃から広がった。


「美味しい!」


「だろう? 少々寒い日でもその場で頂くのが一番美味しい食べ方だ」


 トウヤは嬉しそうに口角を上げる。

 二人は順調に食べ進めていった。


「ハツメ嬢に聞きたいことがあるのだが」


「何、トウヤ」


「今は山ノ国に来たばかりだというのに戦やら何やらで忙しいが、落ち着いたらどうするつもりなのだ?」


「特に決めていないわ。アサヒに合わせようと思ってる」


「……そうか。仮にこのまま山ノ国に残るとしても、皆歓迎すると思うぞ。俺も含めてな」


「ありがとう」


 目を細めるトウヤにハツメも微笑み返す。


「アサヒとハツメ嬢は一緒に育ったのだったな」


「そう。アサヒが来てからずっと一緒に暮らして、兄妹みたいに育ったわ。大切な家族だし、今だってアサヒのお陰で私は生きていられるようなものよ」


 まぁシンのお陰でもあるんだけどね、とハツメが言うと、トウヤは再びそうか、と頷いた。


 残った出汁を飲み干していると、背後から突然声を掛けられた。


「ようトウヤ、奇遇だな」


「ぐっ!?」


 よく聞こえ馴染んだ声の主はアサヒだった。


「アサヒ!」


「ハツメ、白麺美味しかった? 俺たちも今来たところなんだけど」


 そう言ってアサヒが振り返るとヒザクラがいた。

 心なしかヒザクラの顔が引きつっているような気がする。


「お、お前たち、今晩は二人で用事があるのではなかったか?」


 むせから立ち直ったトウヤ。


「だからこれが用事だ。な、ヒザクラ」


「あー……とりあえず白麺もらってくる」


 ヒザクラはさっと屋台の方へ消えた。


 結局二人が食べ終わるのを待って、帰りの道中は四人になった。

 行灯の明かりを頼りに石段を上る。遠くで聞こえる鈴の音は、白麺の屋台が移動している音なのだそうだ。


 美味しいものを食べて満足気なアサヒが口を開ける。


「そういえばトウヤとヒザクラって、神官の中でもかなり出世している方だよな」


 確かにそうだ。一般の兵士はもちろん神官でもトウヤやヒザクラよりも年上は沢山いるが、そんな中でもトウヤは国主や神伯の御用を頻繁に受けているし、ヒザクラは舎長を任せられている。


「神伯様は実力主義で、年功序列は考えないお方だからな。ヒザクラは白兵戦なら神伯様を除けば山ノ国一だ」


「白兵戦だけならな」


 ヒザクラはぶっきらぼうに言い放つ。


「それにしても凄いわね」


「そうでもない。ビャクシン様は三十年前の戦の功績を取り立てられて神伯になったが、その時で十八歳。今の俺らと同じ歳だ」


 ヒザクラの言葉に驚きを隠せない。

 十八歳で国の副官とは、あの眉間の皺は相当の苦労によって刻まれたようだ。

 それならあの雰囲気にも納得だとハツメが考えていると、不意に冷たい何かが頭に落ちた。


「あ……雪だ」


 呟いたアサヒの声に顔を上げると、ふわりふわりと雪が降り始めていた。


「初雪だな。今年も早いな」


 トウヤが夜空を落ちる綿雪の一つに手を触れる。


「山ノ国は雪がすぐ積もる。明日から大変かもしれんぞ」

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