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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第四章 錫ノ国編
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第百六十二話 王の資格 二

 日が傾いても身を切るような強風は収まらなかった。

 窓の外に見える夕暮れの湖は赤く染まり、大きく波打っている。


 部屋が薄暗くなる前に、ふっと橙の光が点る。

 ミヅハが室内へと目を移せば、トウヤが油式のランプに火を点したところだった。


 今応接室にいるのは四人のみ。長椅子に腰掛けるミヅハと、彼のすぐ側に立つルリ。壁際には存在を消すようにしてアザミが背をもたれていて、最後の一人がトウヤだった。


 しばらく静まり返っていた室内だったが、明かりが付いたのをきっかけにミヅハが口を開く。


「……悪かったね。山ノ国に書簡を出すのは国交的に諦めたんだ」


 別にないがしろにする意図はなかったと、少年はトウヤを見て話す。


「構わぬだろう。そう間を空けずにあやつらも知るはずだ。どう動くかは分からぬがな」


 トウヤはランプの火の揺らぎが落ち着いたのを見ると、長椅子の方へと足を進める。ミヅハが腰掛ける反対側の長椅子に彼は座ろうとはせず、その背に回って軽く上半身をもたれかけた。


「お前から山ノ国に何か言う気はないの?」


「もはや神伯代行ではないからな。ましてや神官でもないつもりだ」


 長椅子を挟んだ彼らは向かい合いながら会話を続ける。

 トウヤが自分の立場に関して気にする様子もなく言えば、ミヅハは軽く首を傾けた。


「向こうもそう思ってるわけ? 山ノ国の人間はお前ほどの奴を離すほど馬鹿なの?」


「その褒め方は嬉しいどころか、いささか腹が立つぞ」


 普段通りの口調でトウヤは言う。言葉に合わせて彼が小さく手をかざすと、衣の袖から伸びた手がほのかな橙に色付いた。

 夕日はあっという間に沈みかけ、部屋の色調は赤から柔らかい橙へと変わろうとしていた。


「褒めたつもりじゃないからね。……にしても甘いよね、ヒダカも反乱軍も」


 そう言うと、ミヅハはトウヤから少しだけ目線を落とす。


「見張りが外の数人と、山ノ国のお前一人なんてさ。ここで僕たちが良からぬことでも話してたらどうするつもりなんだよ」


「信頼されているのだろう。互いに」


「甘すぎるよ、本当。これ以上ない条件を揃えてやったんだから、さっさと決めればいいのに」


 先程のやり取りを思い返しつつ、少年は呆れたように息を吐いた。




 ***


 正面門、反乱軍の面々が周りを囲む中でミヅハが威勢良く啖呵を切った後。

 場所を替え人払いした本拠地の一室で、アサヒは改めてミヅハから話を聞くことにした。

 人払いとはいってもハツメやシン、トウヤもいるし、カナトもいる。


 濃茶色の革張りの椅子にミヅハが体重を預けると、アサヒはその正面、同様の椅子に姿勢よく座る。

 席に着いたのはこの二人のみ。あとは各々が好む場所に位置取った。


「将はお前。国を継ぐのは僕。お前からすれば願ってもない条件だと思うけど?」


 袴姿で器用に脚を組んだミヅハが、改めて切り出した。


「信用に足る理由はあるのか」


「この国のため。それ以外に理由なんかないよね。お前らと一緒かは知らないけどさ」


 土壇場でもそうでなくとも、イチル側に寝返られたら堪らない。そう思ったアサヒの発言だったが、ミヅハは即座に眉をしかめた。


「僕はもうイチルの元には戻らない。表明してるんだ。お前の方に付くって」


「誰にだ」


「花ノ国にだよ」


 よどみなく、きっぱりとミヅハは言った。


 古城戦が始まる前。国内が混乱する中、他国へ移ろうとする旅の行商に彼は書簡を預けたのだった。表向きの宛先は彼の政治学の師であったキキョウ。だが中身はキキョウ宛てのものに加えて、女皇への一筆を入れていた。


「こんなぐだぐだな国内情勢のまま次王が決まって、周りが『はいそうですか』なんて簡単に聞くわけがない。花ノ国の女皇に会ったことあるんでしょ? 野心とかなかったわけ?」


「……あったな」


 アサヒは初めてレイランに謁見したときを思い出していた。あの十つを超えたばかりのあどけない女皇は初め、天比礼(あまのひれ)の条件にアサヒの婿入りを提示していた。あわよくば錫ノ国に干渉しようという思惑があったのは事実だ。


「だからさ。全てが終わっても新しい国の形を認めてもらうように書簡を送ったんだ。それだけじゃなく、こちらに付いて欲しいとも。いくらイチルたちが父との戦で兵力を削ったといっても、足りないだろう。今の反乱軍だけじゃ」


 確かに現状において、反乱軍の勢力はイチルが率いる国軍には及んでいなかった。イチルとコウエンの対立で向こうが二分されたことにより勢力差は近付いたものの、数字で表すなら二倍の差。先日の戦で世に存在を示した反乱軍だったが、実のところ味方を増やしている最中だった。


「もちろん対価は必要だろうし、世論も鑑みないといけないけど。イチルの評判も良くない現状からすれば悪くないと思うんだよね。他国の介入って言い方すると、聞こえは悪いけどさ」


 向こうが散々戦を繰り返した今、こちらには大陸の秩序を守るという大義名分がある。


 ミヅハはそう言った。今もなお海ノ国は錫ノ国の統治下にあるのだから、その解放を掲げるのは必須だろう、とも。

 そうなると構図は大陸統一派の国軍と、そうでない反乱軍及び他国、という形をとる。

 どのくらい他国の介入を許すかという部分は難しいだろうが、上手く運べば予定より速やかに目的は達成できる。


「花ノ国からの返事はここでの話次第だけど、多分良い返事がくるだろうと思う。……小難しいことは今は抜きにして、何が言いたいかっていうと」


 組んでいた脚を解き、背をぴんと伸ばすミヅハ。


 硝子がはめられた木の窓枠が強風で軋む。

 厚い白雲が窓の向こうで急速に流されていく中、少年は口を開く。


「もう立場ははっきりさせたし、できることはする。だから僕に次王に立たせて欲しい。終わった後の国のことも僕がやるよ。……もしお前がイチルに勝ったときはさ、谷ノ国にでも帰れよ」


 最後の言葉は付け足すように、小さく紡がれた。


「言っとくけどこれはお前のためでもハツメのためでもなくて、この国のため。ひいては僕のため。照れ隠しなんかじゃなく、本当にそれ」


 ミヅハは軽く目を細めて、谷ノ国と聞いてほんのわずかに表情を動かしたアサヒに釘を刺す。

 異母弟(おとうと)の話を終始思案するように聞いていたアサヒは、静かに唇を開いた。


「一度将になると明言した以上責任がある。……話し合わせてくれ」


「『話し合い』ね。まあ分からなくはないけどさ」


 どこまでも異母兄(あに)は周囲と同等の感覚でいる。その時点で向いてないんだよね、とミヅハは心の中だけで呟いた。


 ***




「ミヅハ。なぜ実母や実兄ではなくアサヒの方に付いたのだ」


 日はすっかり落ち、満月には少し足りない月が夜の闇に顔を出していた。

「国のためだけでは理由として不十分だ」と正面に佇んで話すトウヤに対し、椅子に座るミヅハが少し顔を上げる。


「こっちに僕がいたら、どちらが勝っても僕の納得する形で国が続く。あとは……義理だよ」


 そう言ってミヅハは窓の外を眺めると、それきり口を開かなかった。




 翌日。


 反乱軍は世に対し自身らの意志を声明した。

 将に第二王子ヒダカ、次王には第三王子ミヅハを掲げ、大陸の秩序を乱す今の国の統治に抗う旨を。


 それを受け、多くの伝令が大陸全土を駆け巡る。

 死んだと思われていたヒダカの生存や、所在が不明だったミヅハがこのような形で姿を現したことも含め、この声明は速やかに錫ノ国の宮殿や各国の首脳陣の元へと届けられた。

お読み頂きありがとうございます。

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