救済企業さえちゃん
「あーやべ、マジヤベほんとっべーわー。」
そんなことをいいながら俺は今日も街をぶらつく。
激しい太陽光に見舞われる夏の暑い日だ。まったくもって鬱陶しい。
一応自己紹介しておこう。俺の名は二郎。言っておくが俺は一人っ子であって、一郎はいない。
今の時刻は・・・まあ大体12時くらいだろうな、くだらない。
あーくそマジくだらねえわホント。金ねえわマジで。
「金ないけど、とりあえずコンビニにでも入るか。」
「いいのですか?」
「あ?」
コンビニに足を運ぼうと振り返った先には一人の少女が立っていた。
見た目からして13~15歳って所か?
銀色の長い髪を重力に任せだらりとたらし、えらそうに腕を組んでいる。
服は若干古風な感じの着物を着ている。というかこれじゃあまるで巫女服じゃないか。
というか巫女服だわこれ。
「そんなあなたに幸せを運びに来ました。」
何を言ってんだろうかこの少女は。
呆気にとられている俺に追い討ちをかけるように意味不明なことをおっしゃりやがる。
「不愉快だ。」
「でしょうね。」
「お前がだ。」
「えぇ?どこらへんがですか?」
「じゃ、達者でな。」
「ちょっとまってくださいよぉ。」
裾をつかんで放しやがらねえ・・・
くそ、逃げおおせられない。
「なにもんだよお前。」
「私はあなたに幸運を運びに来た春の妖精、救済企業さえちゃんこと『さえちゃん』です。」
「そうかじゃあな。」
「ちょっとまってくださいよぉ。」
「話は済んだろ?」
「最後まで聞いてくださいよ。」
「なんだ、今ので最後じゃなかったのか。」
「あ、最後です。」
「そうかじゃあな。」
「シャー!」
「うおおお!?」
「待つ気配がなさそうだったのでほえてみました。」
街行く人々がいっせいにこっちを見ていた。
っべーよマジこれ。
「急に大声出すなよ。」
「え?急じゃありませんよ?あなたこそ急に行こうとしないで下さい。」
「そんなん俺の勝手じゃね?」
「私の勝手にさせてください。」
「勝手だなあ。」
「じゃあします。」
「ていうか突っ込みどころが多すぎるんだけど。」
「質問ですか、いい心がけです。」
「べつにかけたわけじゃないけどなあ。」
「さあさあ!」
「えー、じゃまず一番気になったところから。」
「なぜ自分でちゃんをつけているのかですね?」
「なぜ春の妖精なのにさえちゃんなんだよ。」
「あー、高速スライダーな直球ですね。」
「え?どっち?」
「つまり私は異形のものということです。」
「妖精って企業だったのか。」
「別に違いますよ?」
「ええ?よくわかんないなあ。」
「救済企業さえちゃんの人員は一名です。」
「お前人間じゃないんじゃないの?」
「一妖精です。」
「でその妖精さんが何のよう?」
「ああそうでした、救済企業です。」
「助けてくれんのかい?うれしいねえ。」
「いいえ助けません。」
・・・おいやべぇなこいつ。本気でやべぇよ。
妙な奴に目をつけられたな。今日は厄日か?
「あー、そうだな。じゃあまず俺の厄を落としてくれ。」
助けないという言葉を無視してお願いしてみた。
「まあ出来ないこともないですけど、あなたにそれほど厄が溜まってるとも思えませんが。」
出来るんだすごいね。
「てか、何?だったら君は俺に何してくれるの?」
「良くぞ聞いてくれました!私はあなたをより良い方へと導きに来たのです!」
「へぇ、そりゃあ結構なこったな。じゃあ金の成る方へ導け。」
そう、世の中金だよ金。
「ははあ、あなたは欲望に忠実ですね。それでいて態度がでかい。」
ほっとけ。
「私の言うより良い方とはですね、つまりあなたをより良い人間となるように教育することを言うのです。」
あー・・・そういう・・・
「うん、じゃあそういうことで。」
「あ、ちょっと?まだお話の途中ですよ。」
阿呆らしい、付き合ってられないぜ。俺は今のままでいいんだよ。
そう、何の気兼ねなく生きていける、そんな今の暮らしが気に入ってるんだよ。
俺に言わせりゃ馬車馬のように毎日働いているやつは馬鹿だね。
確かに金は稼げるが、自分の時間がない。時間がなきゃ金なんてあっても無駄だ。
金はほしいが一度働けば時間がなくなり金の使い道がそれだけ減る。
心底世の中って矛盾だらけだよなぁ。
そんなだったらいっそのこと俺は働かない。断固としてだ!
おっと、勘違いしてもらっちゃ困るぜ?俺はそこいらのただのニートとは違う。
働こうと思えば働けるし、その能力もあると自負している。
でも俺にはやりたいことがあるんだ!だから働かない!
「へえ、やりたいことってなんです?」
え?それは、まあ、いろいろ。いろいろだ、うん。
まあ、あれだ。急になんだって言われても出てこないけど。
「程度が知れますねぇ。」
「ていうか俺の心の中読むのやめてくれない?」
いつの間にか追いつかれてるし。
「そんなあなたにお勧めのとびきり良い本を差し上げましょう!」
「へえ、本かい。こう見えても俺は結構本とか読むんだぜ。」
「それはよかった。」
そういって渡されたのはただの求人票だった。
返せよ、一発で人格強制できるような魔法の本を期待した俺の純粋ハートを。
「いやいやしかし、驚くことなかれ。これは魔法の求人ブックスなのです!」
「はぁ?魔法?」
いや、期待したとは言ったけどさ。本当に魔法があるなんて思ったわけじゃなくてさ。
「子供だましも大概にしとけよ。あんまり胡散臭いとさすがに話すのも億劫になってくるぞ。」
「嘘だと思うのなら開いてみてくださいよ。」
「・・・まあ見るだけなら。」
・・・ん?なんだ、これは?
求人・・・という割には企業名も電話番号も、給与についても何も書かれていないぞ?
それに、何か妙だぞ。書かれているのは名前と住所と、そして時間だ。
今日の日付、12時17分、その下の備考欄らしき所には
『○○コンビニエンスストア隣の商社ビル。屋上の鉢植え転落。』
とだけ書いてある。意味不明だが、しかし・・・?
「おい、この時間ってのは一体何の時間なんだ?てかこれ本当に求人情報なのか?」
「はい、もちろんですとも。その求人情報は正真正銘本物です。そして、その時間とは・・・」
---その瞬間、俺は刹那に体を走らせる。
目の前に映るのは日傘を差していて視界がさえぎられた女性。
その女性に今まさに衝突せんと落下する鉢植えがひとつ。その鉢めがけて一直線に駆ける!
普段運動しない俺の体がこれほどまでに素早く動くことが出来たのは奇跡でもなんでもない。
そう、何がおきるのか知っていたからだ!
「きゃあ!」
さすがに鉢植えをそのままつかんだり弾き飛ばしたりする時間はなく、結局俺は女性を突き飛ばす形になってしまった。しかし、おかげで女性は大事には至らなかった。
「申し訳ありません!大丈夫ですか!」
と、ビルの屋上から顔をのぞかせるOLが一人。
どうやら手を滑らせたらしい。
「あ、えと、ダイジョブですきゃ?」
あ、やべ。噛んだ。恥ずい。
「あ、大丈夫みたいです。」
「それは良かった。」
しばらくするとビルの中から数人の男女が出てきて女性に平謝りをしていた。
大事には至らなかったためその件は特に何事もなくその場で収まった。
「本当にありがとうございました。」
女性は俺にそう言うと、深く頭を垂れて礼をした。
「いやあ、何。別に当然っすよ。」
すかしてそういうと、女性はその場を後にした。
「・・・おい、さえちゃん。」
半ば放心状態の俺がそういうと、さえちゃんは微笑みながら答える。
「お分かりいただけたでしょう?」
「ていうかさ・・・」
「はい?」
「求人ってそういう求人かよ!」
びっくりしたよ!
「お気づきかと思いますが、これは『未来の救人票』。遠からず何かしら困ったことが起きる人物の名前と大まかな状況、そしてそれが起こる時間が記してあります。」
「そんなことが、ありえるわけが・・・」
「この期に及んでまだ疑うんですか?」
た、確かに今!まさに!求人票に記された出来事が、その通りその時刻に起こったッ!
偶然にしては出来すぎているッッ!
「これを俺に渡して、どうしようってんだ、お前。」
「お前じゃないです。さっきみたいにさえちゃんって呼んでくださーい。」
「いや今それそんなに重要じゃないだろ!」
「とにかく、それをどうしようはあなた自身が決めてください。これから起こりえる災厄に耳をふさいで見てみぬフリか、それとも・・・」
「俺に・・・人助けしろってのか?しかも無償で?」
じょ、冗談じゃあないぜ!マジ!そんな面倒なこと!
俺は、誰かの為に働くなんてごめんだぜ!そんなこと、誰が・・・
「じゃあ見捨てますか?」
「そ、それは・・・」
くそっ!まんまとしてやられたな。
教育ってのはつまりこういうことか。俺に人の為に働かざるを得ない状況に追い込むってぇことかい!
何が救済企業だッ!とんだブラックじゃないか!
見ず知らずの誰がどうなろうとかまうものか!何人たりとも、俺を働かせることなど・・・
「あ、ちなみに報酬はきちんと支払われますよ。今ので大体8000円ってところですかね。」
「働きますッッッ!」
最近で一番いい声が出たと思う。
「いい返事ですね。」
「は、8000って、マジなんだろうな!?この求人票に書いてある場所に行って、ちゃちゃっと解決するだけで金がもらえるんだな!?」
「嘘だと思うなら自分の口座見に行ってみたらどうですか?」
見てみた。
久しぶりに見た。俺の口座に4桁の金が入ってるところを。
「こ・・・」
「こ?」
「これがあれば、少しの時間で大金が手に入るじゃねえか!最強かよ!」
「支払ってるのは私ですよ!敬ってください!」
「お前本当に救済企業さえちゃんだったんだな!」
「やっとわかってくれましたか。」
「本当に春の妖精だったんだな!」
「あ、それは嘘です。」
「嘘かよ!」
何でそんな嘘ついたんだよ。
「それよか、あくまでこれはあなたにお金をあげるためじゃなくて、あなたの人格強制の為に行っていることですからね?忘れないでよ。」
「わかってるって。」
「本当かなぁ?」
「任せろ!」
---こうして俺の人助けライフが始まった。
場所はすべて近隣であったため、たいした時間をとられることなく金を稼いだ。
『未来の救人票』には実に多様な求人情報が載っていた。
迷子や紛失物の捜索、お年寄りの荷物もち、時には喧嘩の仲裁なんてのもあった。
だが俺は能力だけはあるのだ。たちどころに問題を解決して回った。
「ほう、どうやら本当に能力だけはあるようですね。能力だけは。」
「なんかトゲのある言い方だな。」
「褒めてますよ?」
「そりゃあどうも。」
「というわけで今日の晩御飯はカレーにしましょう。」
「え?どういうわけ?」
あれからというものさえちゃんは俺の家に居候している。
俺は今親元を離れ、アパートで一人暮らしをしている。仕送りはもらってるけど。
妖精には帰る家がないらしい。妖精らしく森へ帰れよ。
いや、妖精じゃないけど。
「しっかし世の中チョロイもんだな!この『救人票』さえあればいくらだって稼げるぜ!」
「過信は禁物ですよ。それに、お金の為にそれを渡したんじゃないですよ。」
「わかってるって、マジで。」
「本当ですか?人の為働くことが良いと思っていますか?」
「おおとも!そうだな、じゃあ今日はさえちゃんの為にカレーにするか。」
「やったあ!人の為、万歳!」
チョロイなこいつ。
「んー、でももう少しでこの『救人票』の情報もなくなってしまうな。」
あれから一月近くたって、救人情報も残り1ページと半分しかなくなっていた。
「おい、さえちゃん。これなくなったら次はどうすんだ?」
「・・・」
「おい?」
「へ?あ、いや、か・・・カレー!楽しみですねぇ。」
「は?」
なんだよ今の反応。はぐらかした・・・のか?
にしては下手糞だったな。まあいいか今度で。
「と、言ったはいいけど。」
「?」
今度といってからもう3日たってしまった。
時の流れってはええ、恐ろしい、まじぱねぇ。
「あ、あのさ、さえちゃん?」
現在の時刻は夜の21時を回ったところ。いつも通り人助けをして、晩飯にとんかつを食ってるところだ。
「『未来の救人票』なんだけど、今日で終わっちゃったんだけど。」
「そうですか、おめでとう。」
軽い!
「いやもっとなんかないのかよ、くす球とか花火とか。」
「そんなの家でやったら危ないじゃないですか。」
「正論かよ!」
「まあいいじゃあないですか、悪くはなかったでしょう?人助けの毎日は。」
「ま、まあ確かに悪い気はしなかったかな、うん。少なくとも前よりは。だから、その・・・。」
「はい?」
「あ、ありがとな。助かったよ。ようやく俺も前に進める気がするよ。」
そういうとさえちゃんは悲しそうに、でも確かに微笑を浮かべながら、助けてきたのはあなたですよと茶化してきた。
照れくさくて仕方がないぜマジ。
「だから、これで終わりです。」
「え?」
・・・なんて?
いや、また次の『救人票』とかくれるんじゃないの?
「いつまでも『未来の救人票』に頼ってはいけません。お忘れですか?これはあなたの人格強制のためなのですよ。」
「そりゃあそうだけど・・・。」
「だから、終わりです。」
「なんっ・・・だよ、それ・・・。」
冗談じゃない、今更他の仕事になんて就く気になれない!
「そして、私の役目も終わりです。」
「・・・は?」
「実は救済企業さえちゃんなんて会社は存在しません。」
「いやまあなんとなくわかってたけど。」
「私は世界秩序均衡協会から派遣されたエージェントなのです。」
おい、急になんだその中二チックな機関名は。
まるで意味がわからんぞ!
「世界秩序均衡協会はこの世に起こりえる全ての事象を観測できる存在です。」
「ちつじょ?じしょ・・・なんて?」
「その能力をもってして世の中の生と死のバランスを保つことが本来の役割なのです。当然人の目には見えず、存在を感じ取ることも出来ない。一種の概念のようなものです。故に、人との接触を果たすためには私のような存在を作り出す必要があるのです。」
・・・なんだ、なんなんだ?理解が追いつかない。
「あなたの父親、最期にはどうなりました?」
「!?」
唐突に親父の話を持ちかけられて酷く動揺した。
「・・・お、俺の親父は・・・。」
それは、誰にも話したことのない、おそらく生涯にわたって話すことを拒んだであろう悲壮なる噺。
「親父は、真面目だった。そして優秀だった。几帳面を絵に描いたような男で仕事も順風満帆だと、そう言っていた。でも、ある時その優秀さ故に会社のお偉いさんの反感を買った、というか単に妬まれ疎まれ、目をつけられた。そして干されたんだ、本来ならば任かされていたはずのプロシェクトから、除名された・・・。」
普段は茶々を入れてくるさえちゃんも、この時はしっかりと話を聞いていた。
「そっから先は酷いもんさ。度重なる社内でのいじめ。横行するよからぬ噂。後から聞いた話によると全てそのお偉いさんの仕業だったようだが、親父は信じた同僚にも裏切られ、そしていつしか壊れてしまった。」
そう、そしてそれこそが今の俺を作り上げた最大の原因。
「親父は自分の時間を削って会社のために働いた。なのに、なぜそれが報われないのか!なぜ努力したものが損をするのか!そんなものが社会だってんなら!俺は、働かなくったって・・・。」
「そう・・・ですか・・・。」
静かにそうつぶやくと、さえちゃんは少しうつむいた。
「親父は無気力になり酒におぼれ、終いには母や俺に暴力を振るう始末。離婚するまでにさほど時間はかからなかった。そんでもって親父が自殺したのを聞かされたのがつい半年ほど前の話さ。笑えないねぇ。」
だから、どうしたって俺にはわからなかった。自分の時間を誰かの為に費やすことの意義が。
でも・・・
「それは少し前までのあなたです。今も本当に、そう思いますか?」
「あたりまえさ!そんな簡単に変わるはずがない!俺は・・・」
「でもあなた、嬉しそうでした。私にありがとうと、言ってくれました。」
・・・しばしの沈黙が部屋を支配する。
「・・・そう、なのか・・・?俺は、働くことが嬉しかった・・・のか?」
「過程や動機はどうであれ、あなたが人を助けてきたことは事実です。そしてそれは巡り巡って自分のために成るのですよ。情けは人のためならずってね。だから胸を張ってください。今のあなたなら、前へ進めるはずですよ。」
「さえちゃん・・・お、俺は・・・」
「最後に!」
言いかけた俺の言葉をさえぎるように、さえちゃんは話し始めた。
「最後。これが最後の『救人』です、私からの、ささやかなお願いです。」
「さえちゃん・・・?」
「協会から創られた存在の私は役目を終えると同時にこの世の理からはずれて、再び概念と一体化します。つまり、個としての私は消滅してしまいます。」
「なん・・・だと・・・?」
「これで・・・お別れです。」
「まてよ、おい、冗談きついぜ。もう会えないってのか?一生?」
「いいえ、私は概念としてそこに居続けます。あなたが想ってくれている限り、いつでも私はそこに。
だから、お願いです。どうか私を忘れないで・・・。」
「忘れるわけない、忘れるものか!だって、君は今もここに。」
「君じゃありません。さえちゃんって、呼んでください。」
やさしい笑顔を浮かべたさえちゃんは茶化すように俺に言う。
「さえちゃん!忘れない、人のために尽くしたこの一月を!一緒にすごした一月を!」
「あなたなら出来るはずです。明日から、誰かの為に、自分の為に、よい就活を・・・。」
「ああ、俺働くよ!前に進むよ!」
そう言うと次の瞬間、さえちゃんの体がまばゆい閃光に包まれた。そして少しずつ薄れていくさえちゃんの右手に、俺は咄嗟に手を伸ばした。
「・・・さようなら・・・。」
その手は虚しく空をかいた・・・
---朝、目が覚めると俺はいつになく晴れやかな気持ちになっていた。
「あー・・・なんか妙な夢?を見たような気がしたが、なんだったけ?思い出せんなぁ、まあいっか。」
大切な何かを忘れてしまったような気がした。でもそれが何だったのか、思い出せない。
「・・・そろそろ俺もマジで働かなきゃヤベェよなマジ。よっし!就活すっか!」
俺は鞄に筆記用具やら何やらを詰め込んで、意気揚々と部屋を出た。
「とは言ったものの、どこに行きゃあ仕事が見つかるんだ?わっかんねえなマジ。」
そんなことをいいながら俺は街へと繰り出す。
激しい太陽光に見舞われる夏の暑い日だ。まったくもって鬱陶しい。
とりあえずコンビニへ足を運ぼうとしたとき、後ろから声をかけられた。
「あの、すみません。」
「あ?」
そこには日傘を差した女性が立っていた。
「前にここの近くで助けてくださった方ですよね?あの、鉢植えから。」
「あ、あーー、そんなこともあったな。」
「よかった!」
何故だかわからないが俺はこの女性を助けたことがある。詳しく思い出そうとしてもモヤがかかったように思い出せないが、助けたことは覚えている。
「名前もお伺いしなかったものですから、お礼しようにもできなくてどうしようかと思っていたのです。これをどうぞ。」
そういって手渡されたのは高そうな菓子折りと、そして淡い水色のタオルだった。
「あ、タオルはおまけ、といいますか。今日暑いでしょう?差し上げますので、どうか使ってください。えっと、就活生の方ですか?」
「え?どうしてそう思うのです?」
「だって、鞄から求人票が見えてますよ?」
「え?」
それは無意識のうちに鞄に詰め込んだ求人票。こんなものを持っていた覚えはないが、なぜかこれを見ると懐かしいような悲しいような、切ない気持ちになる。
結局その日は何の成果も挙げられず、日が暮れたので家に帰ってきてしまった。
「・・・できそうな気がしたんだけどなあ。」
ふと、謎の求人票に手を伸ばす。開いてみると、中には何もかかれていない、ただ真っ白なページが続くばかりだった。
「なんだぁ?こりゃ?メモ帳だっけか。」
ぺらぺらとページをめくっていっても、どこを見ても白紙であったが。
「・・・いや、一番最後のページに何か書いてあるぞ!これは・・・?」
『忘れないでください』
備考欄のような場所にはただ、そうとだけ書かれていた。
そしてその上の名前欄には、おおよそ社会人が書いたとは思えないような陳腐な、ふざけた名前が書かれていた。しかし俺はその名前を見るやいなや、あふれ出る涙をこらえることができなくなった。
「・・・さえ・・・ちゃん・・・。」
何故だかわからない。でも、その名を頭で復唱するたびこみ上げてくる何かがあった。
「忘れない・・・って、言ったのに・・・思い出せない・・・何故ッ!」
「そう言うものですよ、概念と一体化するって言うのは、そう言うことなのです。」
「え!?」
聞いたこともないような声なのに、しかし耳なじみの良い声が部屋に響いた。
うつむいた顔を上げるとそこには、銀色の長い髪を重力任せにだらりとたらし、巫女服を着た少女が立っていた。
少女は俺を見てにっこり微笑むと、俺にこう告げる。
「おめでとうございます!あなたの功績が認められ、うちの会社のエージェントとしてスカウトされました!」
彼女を見た瞬間、失っていた全ての記憶がフラッシュバックする。
声も出ないほど感極まり、涙で前もろくに見えない俺に、彼女は茶化すようにこういった。
「救済企業さえちゃんにご就職おめでとうございます!」
---おしまい
『未来の救人票』の救人は求人の誤植ではありません。