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家庭崩壊

 二度目と言うこともあってか、作業にも慣れて時間はそれほどかからなかった。それでも死体を埋めて戻ってくると、間もなく日の出を迎えた。


 *


 戻ってくるなり、利一は何かに魅入られたかのように台所へ向かった。そのまま吸い込まれるように、冷蔵庫に一直線に進むと、缶ビールを取り出して飲み始めた。


「畜生、どうしてだ……。どうしてこんな目に……」


 悟だけでなく、綾子まで殺されるなんて……。


 飲まなければやっていられなかった。だが、この精神状態に缶ビールごときでは、全く太刀打ちできない。まるで水のように感じられて、いくら飲んでも酔いは回らず、ただただ気分が暗くなるばかりだ。

 目頭が熱くなって、さながら身体中の水分が目から鼻から溢れてくるような感覚だった。


「悟……綾子……」


 アルコールを呷りながら、利一は嗚咽を漏らした。ひとしきり悲壮の感情が出尽くすと、次に表面化したのは、怒りと憎悪だった。

 利一は持っていた缶を捻り潰して、戸棚に投げつけた。足元に転がっていた缶を一つ、また一つと握り潰しては床に、壁に力任せに放り投げる。まるで八つ当たりでもしている子供のようだ。

 しかし、彼の怒りはまだまだ収まりそうもなかった。

 更に缶を投げつけようとした利一の視界に、キッチンの壁に掛けられた包丁が飛び込んできた。


 優が二人を殺したとは考えにくい。犯人は、清彦だ。


 利一は持っていた缶を捨てて、代わりに包丁を手に取った。


 ようやく、いい具合に酔いが回ってきやがった。


 研ぎ澄まされた刃先に、彼の妖しい笑みが映り込んでいた。


 *


「もう限界なんだけど。さっさとこんな所から逃げようよ。私、まだ死にたくないから」


 死体の処理から戻ってきた清彦と亜美が客間に入ると、開口一番に彼女は切り出した。

 無理もない話だ。既に二人も死者が出ているのだから。

 清彦はしばし顎に手を当て、考えていたが、


「わかった。だけど、三億のうちの一億は貰っていく。それでいいな?」


「一億って?」


「まあ、おおざっぱに、借金返済の分として一億引いて、残りの二億は、兄さんと優、俺たちで五千万ずつだ。だから、俺たちには一億貰う権利がある」


「こんな時だって言うのに、まだお金のこと考えてるの?」


 呆れたような顔で、彼女は肩を竦めた。

 清彦は頭を掻く。


「そんなこと言ってもさ、金がなきゃ、どこにも行けないぞ」


「確かにそうだけど……」


「じゃあ決まりな」


 清彦は強引に会話を終わらせて、亜美を引き連れて階上に向かった。二階の廊下の奥の方に、天井裏に通じる扉がある。

 清彦は近くに立てかけてあった梯子を使い、その扉を開けた。


「なんだこりゃ、一体どうなってるんだ?」


 中は数年間誰も立ち入っていないはずなのに、埃が殆ど積もっておらず、最近誰かがここへ来た形跡が残っていた。

 その上、ここへ隠していたはずの、三億を入れた黒いビニール袋がどこにも見当たらない。

 清彦はキョロキョロと注意深く中を見渡したが、やはり見つからなかった。


「ちょっと来てみてくれ」


 清彦は手招きで亜美を呼び寄せる。


「どうしたの?」


 亜美も梯子を上ろうとしたその時、


「おいお前ら、そこで何してるんだ?」


 清彦が振り返って下を見ると、そこに利一が立っていた。亜美の喉から小さな悲鳴が漏れる。彼は後ろ手に何か持っている様子だ。

 清彦は亜美を背後に隠すようにして、利一の前に立ちはだかった。


「何って、兄さんは俺を疑ってるだろ? だから出て行こうと思って。その方がそっちも安心だろ。それで、金を一億ほど貰っていこうと思って」


 利一の顔はほんのり赤くなっている。


 ヤケ酒でも飲んだのだろう。


「一億だと?」


「どれだけあるかは知らないけど、一億あれば借金返せるだろう? だから借金分を一億として、今は兄さんの家族と俺たち、二人ずつ分かれているから、残りの二億を半々にして一億だ。それだけ貰って、素直に出て行くよ」


「ちょっと待て、ふざけるな。……そうか、わかったぞ。やっぱりお前、最初からこれが目的だったんだな」


 利一は一人納得して、覚束ない足取りで清彦に詰め寄る。


「は? 何言ってんだよ」


 清彦は両手でそれを制した。しかし、利一はそれをどかして、さらに近づいた。


「俺の家族を殺して、分け前を増やして、奪って逃げたら、警察に通報して俺たちを売るんだろう?」


「違うよ。そうじゃない。もしそうだったら」


「うるさい。黙れ。もうお前の好きにはさせないぞ」


 利一は話を遮って、後ろ手に隠していた包丁を振り回した。まともに清彦の話を聞く気はないようだ。


「お、落ち着いてくれ、兄さん。こんな口喧嘩する前に、ここへ来て見てくれ。金がないんだよ」


 清彦はどうにか話を逸らそうとする。しかしそれは無理だった。


「いいんだよ、それで」


「え?」


「俺が別の場所に隠したんだ。こういうことになると見越してな。悟が死んだ日に移しておいた。お前らには、どこへも行かせないからな」


 利一は包丁を清彦に突きつけた。首筋に刃先が僅かに当たる。


「いいか、お前らがやった証拠を必ず見つけて、この手で処刑してやるからな」


 利一は吐き捨てるようにそう言って立ち去った。去り際に、利一は優の部屋を乱暴にノックして喚いた。


「おい、優! ちょっと出て来い」


 しかし、部屋から反応はない。清彦は優がその中にいることを知っていた。

 扉と壁を一枚挟んでいるとはいえ、さっきのやり取りは手に取るように優にも窺い知れただろう。あるいは、こちらの様子をこっそりと覗き見ていたのかもしれない。

 だとすれば、彼が利一に答えようとしないのも頷ける。


「出てこいっつってんだろ!」


 利一はドアノブを握って、扉を開けようと四苦八苦している。鍵がかかっているのだ。

 自分の言うことを聞かない息子に苛立ちを抑えきれない利一は、持っていた包丁を扉に突き刺した。ドアの木が僅かに裂けて、破片が飛び散る。

 もう一度包丁をドアに刺す。更に刺す。

 貫通したのか、扉に嵌った包丁を引き抜くと、利一は裂けた隙間から中を覗き込んだ。


「ほら、お客様だぞ! そこにいるんだろう? 返事ぐらいしたらどうだ?」


 利一は怒りに身を任せて、言葉を吐き出す。その様子は『シャイニング』のワンシーンを彷彿とさせた。

 それでも優は知らぬ振りだ。

 利一は舌打ちすると、肩を揺らしながら階下に降りていった。 


「ついにイカレちまったみたいだ」


「もうお金はいいから、隙を見て逃げ出したほうがいいんじゃないの? マジでヤバいって」


「そうだな、だが今はダメだ。逃げるなら今夜、兄さんが寝てる内に、静かに行くしかない」


 脱出を決めた二人は、それまで客間に籠もることにした。二対一ならこちらが圧倒的に有利だ。武器になるものを持って、二人で交代で寝ずの番をする事になった。

 亜美は悟が部活で使っていた金属バットを、清彦は死体を埋めるのに使ったスコップを手に、部屋に立てこもった。


 *


 優は、この状況から何とかして逃亡したかった。

 脅迫状には『誰かが死ぬ』とあったにも関わらず、悟だけでなく綾子まで殺されてしまった。心の片隅で危惧していた状況が、起こりつつあるような気がしてならない。

 皆殺しだ。全員を殺して、金を独り占めしようと企む者がいるのだ。

 次に狙われるのは自分かもしれない。

 とは言え、金がない優には他に行くあてもなかった。友達の家に行けば、巻き添えにしてしまうかもしれないのだ。そんな危険な真似はできないし、したくはない。

 警察に保護してもらうということも可能だが、それをすれば優は裏切ったと見なされて、すべての罪を被せられるだろう。利一と清彦と亜美。三人で口裏をあわされてしまったら、優には為す術がない。結局は、ここにいるしかないのだ。

 だが、安全を考えれば部屋からは出られない。

 さっき廊下から聞こえてきたやりとり。そして利一の攻撃。

 包丁の刃が扉を貫通したときには、恐怖で身が竦んで、出そうとしても声が出てこなかった。震える唇で僅かに空気が振動するだけ。身体も金縛りにでもあったように、鉄のように固くなってしまっていた。

 まるでホラー映画の登場人物にでもなった気分だった。

 利一は大分精神に異常を来しているようだ。のこのこ出て行けば襲われるかもしれない。清彦と亜美もそうだ。利一の言う通り、彼らが金目当てに殺しているのかもしれない。あるいは、三人がグルになっていることも考えられる。

 疑念は尽きない。次から次へと湧いてきて、不安は募るばかり。

 三人の誰も信用などできない。

 信用できるのは自分だけだ。自分で自分の身を守るしかないのだ。

 優はこっそりと台所から食糧と飲み物を持ってくると、部屋のドアの前に机や椅子を置いて、バリケードを築いた。

 これなら入ってこられまい。

 窓も雨戸を下ろして、鍵をかけ、更には本棚で覆う。

 これで暫くは安全だ。

 だが問題が一つある。

 

 トイレだ。


 まさかここでやるわけにもいかない。その時は部屋を出なくてはならないだろう。

 その為に優は工具箱から金槌を拝借してきていた。

 小さいが、その分振りやすく、頭に当たれば重傷を負わせられるだろう。悪くはないはずだ。

 これである程度は安心できる。

 ベッドで寝転がっていると、次第に眠くなってきた。流石に死体を埋めるための徹夜は、肉体的にも精神的にも疲れる。身体が鉛のように重く感じられた。

 起きていなければ。誰かが強引に侵入してきたら、対処が遅れる。

 脳が命令を下しても身体は無視して、そのまま意識が遠のいていった。

 階下で未だに騒いでいる利一の怒声が、まるでどこか遠くのほうから聞こえてきているようだった。

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