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最後の家族旅行

 悟の骸を床に降ろし、食卓を片付けていると、亜美が声を上げた。


「これ……、あのカードじゃない?」


 彼女が手にしていたのは、紛れもなく、脅迫状に同封されていた『月』のタロットカードだった。

 優は彼女に近づいて尋ねた。


「どこでこれを?」


「悟くんのズボンのポケットからはみ出てたのよ」


「じゃあ、あの脅迫状は悟が……」


 綾子が驚いて口に手を当てる。しかし優は冷静だった。


「いや、まだそうとは決まってないよ。この中の誰かがどさくさに紛れて入れたのかもしれない」


「何のために?」


「犯人からのメッセージかもね」


「……ともかく、今はやるべきことをするんだ。カードの話はその後だ」


 利一が話を終わらせて、再び優たちは片付けを始めた。


 午前二時に死体を埋めに行くことが決定した。

 それまで優は自室で一眠りしようと思ったのだが、眼を瞑ると、これまでのことがぐるぐると目まぐるしく暗闇の中に浮かんでは消えた。とても眠れる状態ではない。

 冷静になっていたと思ったが、活性化した脳は休む気がないようだ。

 生まれてから今までをずっと一緒に過ごしてきた弟の死。それはあまりにも衝撃的で、優は未だに心の底から信じることができなかった。


 あれは冗談なのだ。


 母が言っていた言葉に賛同したくなる。


 本当は生きていて、そのうち突然現れて皆を驚かすつもりなのだ。

 楽しかった思い出の数々。何度も喧嘩したが、その度に仲良くなれた。


 その思い出の光景を打ち破って、夕食の悲劇がまざまざと浮かび上がってきた。

 倒れ込む悟。飛び散る血。白黒に映し出された背景の中で、鮮血だけは色を持って、どぎつく目立っていた。

 結局一睡もすることができないまま、二時を迎えてしまった。


 見られても大丈夫なように、悟をブルーシートでくるむ。夜になっても酷い暑さは変わりがない。じめじめとした湿気もあり、放置すれば臭いが悪化するばかりだろう。

 優と利一とで、悟の身体を車のトランクに運び込む。たったこれだけで、汗が溢れ出た。

 各自スコップや軍手を持って、ワンボックスカーに乗り込む。

 利一はまだ家を空にすることを気にしていたようだが、時間もない。夜が空けるまでにはここへ戻ってこなければならないのだ。厳重に戸締まりをして、何度も確認し、やっとのことで、利一が運転席に着いた。

 優たちを乗せた車は郊外の山に向けて、静かに出発した。


 間宮家の二階の窓――カーテンの隙間から――美咲が車の出ていく様子を目撃していたことなど、優は全く気付かなかった。


 昼間でも人通りの少ない住宅街。こんな夜更けでは、外にいる人間など皆無だ。殆どの家の明かりは消えていて、束の間、優は世界に取り残されたのは自分たちだけになってしまったような錯覚を覚えた。

 大通りに出ても、通っている車は極僅かだ。山への道のりは実にスムーズだった。

 しかし、車内は相変わらずの沈黙状態。誰も喋ろうとしないので、優はラジオをかけた。


『東京銀行――支店で三億円が強奪された事件から、今年で三年になります。現在も未解決のこの事件に、警察では既に犯人グループが国外に逃亡したものとみて、さらに捜査を進めています――』


 ドキリと、身体が飛び上がるような心地だった。車中の雰囲気は一瞬、さらに悪化し、ピリッと張りつめた空気が流れた。慌てて優はチャンネルを回す。

 最近よく耳にするJPOPが流れてくると、ようやく元の世界に戻ってこれたような気がした。


 さっき話していた家族旅行がこんな形で実現することになるなんて……。近場の山までハイキング。メインイベントは悟の埋葬だ。

 一体どうしてこんなことになってしまったんだろう。


 暫く走り続けていると、車は大通りを離れて、山道に入っていった。辺りはすっかり暗くなっていて、街灯の類はどこにもない。車のヘッドライトだけが頼りだった。

 ぐねぐねとした山道を登り続ける。舗装道路が終わったのか、突然車が激しく揺れ始めた。スコップが当たり、金属の擦れた不快な音が聞こえる。トランクに乗せた悟の身体が、がんがんとぶつかっている音もしている。

 ようやく車が止まった。酷い砂利道で、三半規管がすっかりやられて、優は胃をこねくり回されたような気分にさせられた。


 休んでいる時間はない。早く用を済ませてしまわねば。


 少し道から外れたところで、埋める為の穴をなるべく深く掘る。これがまた重労働だった。しかし人手があったお陰で、時間はそこまでかからなかった。

 再び優と利一とで、トランクから悟を運び出し、ブルーシートに包んだまま悟を穴に落とした。

 穴を埋め直して、平らにならし、バレないように踏みこんで整えた。

 

 一目見ただけではここに死体があるなど、誰も思いはしないだろう。


「これで、みんな共犯だ。警察に連絡しようなんて馬鹿な真似、するんじゃないぞ」


 息を整え、流れてくる汗を袖で拭いながら、利一が念を押すように言った。

 一仕事終えた優たちは、疲れた表情で車へ戻り、帰路についた。


 一体誰がやったのだろう。


 帰りの道中、優はそれを考えていた。


 悟の死に方をみる限り、死因は毒物による中毒死で間違いないだろう。そして自殺でもない。

 毒はどこにあったのか。

 悟以外が何ともなかったことから、悟の分の食事に混入されていたのだろうか。だとしたら、そんなことができるのは……。

 いや、そんなはずはない。


 優は頭を振った。

 するとそんな彼の心中を察したかのように、清彦が言い出した。


「実際のところ、誰が殺したんだ?」

 

 車内の緊張感は一層増して、息が苦しくなる程だった。


「夕食の席で殺されたんだ。それも、恐らくは毒で。ってことはだぞ、綾子さん」


 急に名前を呼ばれた彼女は、ビクリと身を竦ませ、青ざめていつもよりも老けて見える顔で、清彦を見返した。


「あんたが、毒を盛ったと考えるのが自然だろう。夕食の準備は全部、あんたが一人でやってるんだからな」


「おい、何言い出すんだ」


 利一が間髪入れずに清彦を止めようとする。が、勿論清彦はかまわずに続ける。


「でもよう、そうとしか考えらんねえだろ? じゃあ兄さんは、綾子さんじゃねえってんなら、他にどうやってやったと思うんだ?」


 すると途端に利一は口ごもった。綾子の手前だから庇ったのだろうが、彼自身も怪しんでいたのだろう。


「ほら見ろ、兄さんもそう思ってんだろ?」


 綾子はそれを聞いて、利一を縋るような目で見る。しかし彼は顔を背けた。


「私じゃない。私は何も知らないの! ほんとよ、信じて!」


 利一は頼りにならないとわかると、必死で亜美と優に情で訴えかける。


「どうして私が、おなかを痛めて産んだ子を殺さなきゃならないの?」


 顔を覆って、涙声で訴える綾子の姿に憐れみを感じた優は、彼女の肩を持った。


「そうだよ、何で母さんがそんなことする必要があるんだよ。物はよく考えてから言うべきだ」


 しかし亜美は、清彦の味方についたようだ。


「確かにそうかもしれない。でも、これはどう見ても綾子さんの仕業にしか見えないけど……」


「そんな……」


 清彦はさらに優に問う。


「じゃあお前は、他にどういう方法で、悟を殺したか言えるのか?」


 優にも、すぐには考え付かない。こめかみを押さえて眼を瞑ると、網膜に焼き付いた、悟の倒れる前後のシーンを再び再生させる。

 その映像を細部まで観察していると、一つの仮説を思いついた。


「そうだな……。別に、食事に盛る必要はないだろ? だから例えば……、そう。例えば、食器に塗っておけばいいだろ? あるいはコップの麦茶に気付かれないように入れれば、あの場にいた誰だって可能だ」


 咄嗟に閃いたことだったが、割と良いアイディアだった。それを清彦もわかったのか、黙り込んで決まりが悪そうに頭を掻いた。

 すると利一も思いついたようで、綾子に加勢する。


「よくよく考えれば、悟一人を狙いすましたように殺してるんだから、悟の分の食事に混ぜるよりも、そのほうが安全だ。清彦の例だと、下手すれば自分に毒が回ってきたり、他の誰かにいってしまう可能性だってあるんだから」


「兎に角、この一件で分かったのはせいぜい、俺たちの中に犯人がいるってことぐらいだ。誰かを犯人だと決めつけるのはまだ早計だ」


 優は清彦に向けて戒めを込めて言った。清彦は口を尖らせ、腕を組みながらそっぽを向いた。


「どうして私たちの中にいるってわかるの? 他の誰か、脅迫状を送り付けてきた、あの真相を知った誰かだったってことはないの?」


 亜美が不思議そうに尋ねる。彼女は難しいことを考えるのは苦手なようだ。だから大抵は清彦の言いなりになってしまっている。優はそんな彼女の姿をよく目にしていた。


「悟は昼にも、いつものあの食器を使って食べていたから、食器に毒を塗るにしろ、料理に毒を混ぜるにしろ、どれだけ早くできても仕込んだのは昨日の昼食後ってことになる。それから夕食まで、家には誰かしらいたから、第三者が気づかれずに侵入するのは難しい。うちは人のいない部屋には、夏でも基本的に窓に鍵を掛けておいているだろう? 窓に侵入の形跡はなかったし、玄関のドアはあのやかましい音を立てるから、そこを通れば誰かが気づくはず。だからさ」


 優の言葉で、亜美は納得したように頷いた。


「でも、一体どうしてこの中の誰かが悟を殺さなきゃならないんだろう……」


 優にはそこが腑に落ちない。脅迫状を出したのが犯人なら、『悔い改めなければ』と言う文言から、あのことについて何らかの恨みがあるはずなのだ。

 しかし悟はあれを見て、真っ先に警察に行こうと言い出した。自らの過ちを全て晒け出しても構わないという意気込みだったのを、優たちが止めたのだ。


 犯人にしてみれば、そんな悟を殺す義理はないはずなのだが……。


「脅迫状の事と何か関係があるのかなあ……」


 誰にともなくと言う感じで優が独り言ちた。するとあっけらかんとした様子で返したのは亜美だった。


「単純に、お金が欲しかっただけ何じゃないの? 悟くんが死ねば、その分取り分が増えるから。脅迫状は自分たちに疑いの目を向かわせないためだった、とか」


「まあ、それが一番可能性が高いな」


 未だにぶすくれている清彦が適当に相槌を打つ。


「そんな……。それこそ、私が悟を殺すわけないじゃない。金目当てに殺すなんて……」


 綾子が喚いた。そのお陰で、折角逸れていた話が、また元に戻ってしまった。


「どうだかなあ」清彦はやはり彼女を疑っているようで、「あんたは演技が上手いみたいだから、信用ならねえ」


「演技だなんて」


「まあ、念には念をだ。俺はこれからの食事、自分で何とかするから、綾子さんはもう、俺の分は作らなくていいよ。亜美もそうした方がいい」


 清彦はおくびもなくそんなことを言った。亜美は綾子を一瞥して申し訳無さそうに頷く。


「おい、清彦。いい加減にしろ」


 語気を荒らげる利一。しかし、清彦は怯まない。


「兄さんだって、命は惜しいだろう? だったら、万が一に備えるべきじゃないか?」


 利一は黙り込んだ。慎重な彼のことだから、当然そのアイディアには賛成なのだろう。しかし、綾子の前でそれを言ってしまったら、夫婦としての絆は完全に崩壊してしまう。だから何も言えないのだ。

 それをわかっているのか、清彦がさらに畳み込む。


「黙ってるってことは、そう言うことだろ?」


「ねえ、本当にあなたもそう思ってるの? 二十年も連れ添ってきた私を信じてくれないの?」


「そりゃ、信じてるよ。だけど、実際こうして悟が死んでるんだ。お前がやったのでないにしろ、万全を期すべきなんだ」


 利一は綾子の顔を見ずにそう言った。彼女はそれで顔を伏してしまった。


「こんなのって、あんまりだわ」


 むせび泣くように嘆く綾子に、かけられる言葉はなかった。正直言えば、優もまた清彦や父の意見に賛成なのだ。

 綺麗事を言ってはいたものの、やはり優も自分のことが大切だった。


 こんなやりとりのせいで、帰りの道のりは酷く長く感じられた。家に到着した頃には、東の空が白み始めていた。

 一段落して安心したのか、途端に瞼が重くなった。気を抜くと今にも眠ってしまいそうだ。

 呑気な大欠伸をすると、ふらふらとした足取りで自室に戻り、優はそのままベッドに倒れ込んだ。


 朦朧としていく意識の中で、先ほどの車中で流れたラジオのニュースが反復される。それに伴って、夢とも現ともつかない世界では、時間が逆行し始めた。

 優の夢の中では、完全に三年前に遡っていた。

 あの事件のこと。嫌な記憶。しかし忘れられない記憶だ。

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