◼︎世界にとって個人ってなんなのか
自分が何をしたいのかを浮かび上がらせる授業です。
この世界にとって、あなたはなんなのかという疑問に対して一緒に考えていきましょう。
まず答えをいきなり出すのではなく、この世界という莫大な視点がどこを見ているのかを知る必要があります。
じつは、この世界つまり地球は何も見ていない。というのが私の答えです。
よって、この世界はあなたの存在をもちろん気にかけませんし、あなたもこの世に必要だとか不必要だとか、もし悩む事があるとすれば、それはあなた自身にとっては全く無駄だと断言します。
もしあなたが誰かに必要とされたいと願うならば、明確な誰かが存在するはずですし、その前にまず自分に自分を必要とさせる事が始まりです。
例えば、自分の目的が家族を守る事であれば、家族を守る為に自分の体が必要で、家族の求めている事を理解する事が必要で、求められた事が正しいのかを判断する為の経験が必要で、求められた事を叶える知恵と能力が必要で、行動や継続する上での資本が必要です。
仮に私が求めることを真剣にこういった手順をふまえて叶えてくれようとする人が目の前に居たら、私は友達と呼び、その人の願いに耳を傾けます。
別の視点でも考えてみましょう。
この世界をこの国に置き換えてみると、この国はあなたに三つの義務を課しています。
教育・納税・勤労です。
いきなり社会科っぽくなってすみません。
よく勉強して、しっかり働いて、税金納めろよ。と言っています。
面白い事に私たちの多くは、面倒だから勉強したくない。できれば働きたくない。生活苦しいから税金払いたくない。と言っています。
そう考えると、勤勉に働いて多くの税を支払ってる人以外はこの国に必要ないと国家規模で思うでしょうか。
少なくとも私が総理だったら、あなたは必要です。お願いだから働いて税金払って下さいって頭下げてるでしょう。
ちょっと話を面白くする為にあえて国に置き換えましたが、あなたが誰かに必要とされたい場合、その誰かとはもっと小さなコミュニティで、恋人、家族、仲間ですよね。
つまりあなたの世界の殆どはその小さなコミュニティの中にあると言えます。
もちろん私もその小さなコミュニティの中で必要とされたいと思っています。
もっと大勢に必要とされたいと願う人もいるでしょう。
私の友人に、死に際には、地球に飽きたと言ってから死ぬという億万長者がいますが、この友人は世界に必要とされたいとは微塵も思っていませんでした。自分は世界を楽しむから一緒に楽しみたい人はおいでってスタイルでした。
それでも勤勉に学び、誰よりも働き、沢山納税して納税額にびっくりしているあたりが、あ、人間だ。って思えて微笑ましい一面もあります。
ここまでくるとこの世界にとって個人ってなんなのかという議題そのものが、なんなのかと思えますよね。
こうやって、ありふれたキーワードを破綻させる行為を私はリセットと呼んでいます。
頭の中をシンプルにする為にこのリセット作業はけっこう使えますよ。