雨ケ崎汐里と神隠し村・1
01
それは高校三年生の夏休みでの話だ、――八月三日の午後一時。
見知っていたはずの土地でも暇に任せて歩き回っていると案外知らない場所にたどり着くこともあるものだ。僕、高坂圭哲の趣味をここで初めて明記してくのならば、それは散歩だと言って差支えはないだろう……澄んだ空気の中をあてもなく歩き、周りの景色を楽しみ、頭の中では取り留めのない事や日々の悩み、普段は時間を割けない事柄をすべてこの時間内にまとめ上げてしまおうというわけだ。そんな……休日の昼過ぎ。僕の目の前には生首が突き刺さっていた。
いや、正確には生首に鉄製の棒が突き刺さっていて、それが更に畑のど真ん中にこれでもかという存在感を放ちながら突っ立っているというか何というか……カカシ……だろうか? おそらくだけどカカシだろう、こう見えて僕は小学校5年生の時に『日本人の主食・米を学ぶ』という名目の元にカカシを作成したことがある程にカカシには精通している、十八と年齢を進めた今でもハッキリと覚えている。人型の〝烏脅し〟と呼ばれるものの一種で、読んで字の如し、カラスなどの畑を荒らす者から田畑を守る為の物品だ。
いや…………人間がビビるって。
――――ピロリロリン。
ん? 携帯電話の着信音に促されて画面を確認すると『You've Got Mail』の文字が見えた。メール?
差出人は簡単に予想がついた。サクラだ。
彼女からメールが着たのだという事を僕は一瞬のうちに理解した。これは別に〝彼女の着信音だけは特別な奴に設定しているの〟だとか〝二人の心は繋がっているからわかって当然〟だとか〝実は僕には超能力が……〟とかでは全然なく、ただ単に、単純に僕のメールアドレスを知っているのがサクラただ一人ってだけの話である。
サクラからメールか……。
今回、出掛ける事はサクラには伝えてあるし、アイツは当然のようについて来たがったが『たまの休みぐらいは両親に顔を見せてこいと』普段だらしなく寮生活を送っているあいつに僕からアドバイスを与え、現在は実家で拘束中のはずだ。
アイツのことだ、無理やり僕から引き剥がされた事に憤りと限界を感じ、実家に到着して五分と経たずに電話がかかってくると踏んでいたのだけれど、現在アイツが実家に向かってから二時間、その上メールとは……思ったより頑張ったな。
なんて言い方をすると僕がサクラからの連絡を心待ちにしていたように聞こえるかもれないがそんな事はない。……多分。
メールを開く。
『会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい(以下文字数限界まで続く)』
――――怖……。
怖すぎるだろ、いくらなんでも……このメールに比べたらさっきのカカシなんて微塵も怖くなくなるような気さえする。例えば振り向くといきなり先程のカカシが〝美味しい紅茶の入れ方〟について話を振ってきても僕は正々堂々とアールグレイの苦味について語りきってみせる。
なんて決心を恥ずかしながら密かに行なっていた瞬間に、「あの……」と、か細い声が後ろから僕に投げかけられた。
「ん?」
もしや本当に先程のカカシが話しかけてきたか? などと馬鹿な事が多少頭を過ぎりつつ振り返ると――小さな女の子がそこにはいた。
肩まで届かないショートヘアー、少し大き目のセーターに加え首元に巻き付けてあるマフラーは夏場に見ると暑苦しい事この上ない……しかし彼女は汗ひとつかかずに、むしろ寒いとでも言いたげな冷ややかな瞳をしている。……誰だろう?
「誰ですか?」
逆に聞かれてしまった。
話しかけてきたのは彼女の方なのだからてっきり僕に用があって近づいてきたのだと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。という事は僕がこの場にいること自体が彼女にとってはイレギュラーと言うか、日常的ではない事態だという事なのだろうか。
「何でこんな所にいるんですか……?」
僕の沈黙に痺れを切らして続けて質問を重ねてくる。
取り合えずの自己紹介。
始めの第一歩。
「えっと、僕は高坂と言いまして、ここにはある目的のもと宛もなく散歩をしていたんですが……」
話している内容がおかしな事になっている気配を、口にしている最中から既にひしひしと感じていると、彼女は怪訝そうな表情を僕へと向ける。
「ある目的で、散歩……?」
うん、よろしくない様だ。確かにふいに遭遇してしまった不審者(だと彼女は思っている者)に『なぜいる』と聞いて『いや、ちょっとある目的でぶらついてました』なんて怪しさの累乗だ。
僕はできるだけ怪しさを消し去るように、優しく笑顔で近づいた。
――後から思うにその選択は落第点だったわけだが。
「ひ」
少女が何かを言いかけた、口元が歪み、もしかしたら僕が近づいたことが恐ろしくて泣き出しそうとしたのかもしれない。『かもしれない』というのも当然、何しろ僕は彼女に近づいた瞬間に後頭部に激しい痛みを感じその場で意識を失ってしまったのだから……。
倒れる瞬間に、少しだけ少女の顔を見た、泣き出すのだろうと思った彼女の顔は――少しだけ微笑んでいたように見えなくもなかった事だけ僕は覚えている。
×××
目を開けると、そこには木目が広がっている。淡い木のぼんやりとした天井が僕に平穏を思い起こさせる。……なんかだ知らないけど、お婆ちゃん家に居るみたいな気分になるなぁ……なんて感傷に軽く浸っていると、その景色を遮るように薄い茶色の髪の毛が視界に入ってきた、所々がまるで寝癖をそのままに放置したように飛び跳ねてカールを描いている、拡散した上への焦点がそのまま大きな瞳の一点へと吸い込まれていった。
そこには綺麗な少女がいた。
「ここで何してんの……サクラ」
「んー?」
こちらの問い掛けに対して反応をお座なりに返しながら、彼女は僕の顎に熱中していた。だから何してんだよ、コイツ。
「ねぇ、圭哲って鬚生えてないの?」
は? 鬚? それがどうした、僕の鬚がいったい今の状況にどう関係してくるって言うんだ……僕はまず、お前がここにいる事態が理解できていないんだけれど。
「ねぇ、何で?」
「……剃ってるから、後、僕は元々そんなに毛深い方じゃないんだ、あまり手入れをしなくとも鬚は目立ってこないと思うけど」
で、それが今の状況となんの――。
「今日ね、お父さんに久しぶりに会ったんだけど、顎に鬚が生えてたんだ……ボクの記憶ではそんな事一度もなかったと思うんだけどなぁ」
「悟志さんも夏の長期休暇中だろ、剃るのをめんどくさがったか、お洒落じゃないのかな」
「へぇー」
そういったまま、まだ飽きていないようで僕の顎を指先でするすると触り続けている。幾ばくかの雑談を交えても結局コイツが何の為に何しにここに来たのかはさっぱりだった。
あれ? ていうか、ここどこだっけ。
×××
えーと、確か散歩の途中でサクラからメールが来たのは覚えているんだけど、それでサクラがここに来る事になったんだっけ?
「なぁサクラ、お前メールで僕の所に戻って来るって言ってたっけ?」
「うん」
……即答……うん、多分だけど、嘘かな。
まぁ後で携帯を確認すればそれで済む事なんだけれど。そういえば携帯も見当たらない。
んん?? 頭の中に幾つもの疑問ばかりが押し寄せていったい自分がどうしたのかが解らない、おぉ、これが噂に聞く記憶喪失ってやつなんだろうか。ココハドコワタシハダレ?
「? あぁ、おにぃさん目覚ましはったー?」
僕が記憶の混濁に苛まれている最中に階段の下の方から恐らく僕に向けて呼びかけられた声が聞こえ、思考を一回止められる。それと同時にここが少なくとも二階以上であるという事に気がついた。
声の主は階段を上がる足音を立てながら「あらあら、もうすっかり元気さんなようやね」と、言葉を続ける。
襖を開けて、明るく「おはようございます」と言って、向日葵みたいな笑顔を僕に向けてくれる。この人は誰だろうか? 桃色の和服に赤い紐が帯の所にシュッと綺麗に締められている。格好は完全に旅館の仲居さんだが僕は旅館に泊まった記憶もない、それに彼女は関西地方のものだと思われる方言を使っているけれど……僕、大阪とかに来てたんだっけ?
事態が全く把握できない。
「えぇなぁ、おにぃさん。彼女さん、ずっとおにぃさんの傍に居はったんよ? まるで眠り姫の目覚めでも待ってる王子様みたいに」
男女が逆やけどね――と笑いながら続ける彼女はもう完璧に仲居さんのようだった。
「うちもそない一所懸命に心配してくれる恋人欲しいわぁ」
頬に手を当てながら恥ずかしげに語る彼女。絶賛、自分の世界だ。話し上手というよりは話し好き、語りだすと止まらないタイプのように感じ取られた、主に自分の事に関しては……。
これは早々に口を挟まなければ話が前に進まないと意気込んで、僕は未だ起き抜けで重たい口を薄く開いた。
「すいません、ここ、どこですか?」
「はぁ、ここですか?」
んーっといた様子で暫く考え込んで彼女は思いつたかの様に微笑みながら答えてくれた。
「そっかそっか、おにぃさん気ぃ失ってここに運ばれてきたんやもんな、そら何処かわかる筈ありませんよね、ごめんなさいそんな簡単な事も気ぃ付かんとベラベラと……」元気いっぱいだった眉を歪め、申し訳なさそうに愛想を挟み、仲居さんらしき女性は続けた。
「ここは雨ケ崎旅館いいまして、雨ケ崎の村にある大き目の民宿みたいなもんなんです。おにぃさんは何や雨ケ崎のバス停近くで気ぃ失ってもうたみたいで、町の人が見付けて、困ってはった彼女さんを見かねて此処まで運んで来てくださったそうですよ」
――――成程。どうやら僕はサクラからメールを受け取った直後に何かしらの原因によって気を失い、そしてメールでの宣言通り(恐らく嘘だが)駆けつけたサクラによって見守られていた所を町の人に保護されていたらしい。
筋は、通っているよな……?
「あ、そうそう。これお客さん用の浴衣、二人の分ここに置いておきますさかいに、どうぞごゆっくり、何があったんか知りませんけど多分おにぃさんも直ぐよぉなると思いますし、それに――――悪かった事なんて、雨ケ崎の神様がみんな隠してくださいますよって」
悪い事を、隠す?
どこか含みのある彼女の言葉が引っ掛かった。
「じゃ、なんかあったら呼んでください、うちはいつもその辺うろつきながら仕事してますんで」
そう言って、彼女は部屋を去ってしまった。正直言うとまだ彼女に聞きたい事が幾つかあったのだけれど、仕事中の人間を、少なくとも今はまだ客でもない僕が長々と引き止めていいようにも思えなかった。
「サクラ……」
「んー?」
相変わらずコイツは、見ず知らずの他人がいると黙りを決め込むな。
「ちょっと聞きたいんだけど、僕が倒れていた場所って〝雨ケ崎〟なんて地名だったっけ?」
サクラは細かに口元を綻ばせて、くすくすと笑いを咳き込むように吐いた。
「いやぁ、圭哲が倒れてた所の近くに〝雨ケ崎〟なんて町は存在しないはずだよ」
そうか、『存在しない』という言葉を使うか――なら、やっぱり。
「だよな」僕は、短く桜の答えに頷いた。
続きます