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桜―howl of love you―・Prolog

毎週日曜更新予定です、よろしくお願いします

 心の奥に溜まった水が、時に洪水のようになって押し寄せる。そんな想い出……自身が何度も反芻する様を客観的にみては懐かしむ、そんな彼女との別れ、そんな彼女との出会い――――


   ×××


 『世の中は物騒だ。』常々に親や教師に言われ続け、気をつけるようにと育てられてきた子供達であっても、その言葉を心に刻んで生きている奴はいないだろう。日常の中に、日々の生活に暗雲が立ち込めても、その実害を自身が被らない限り彼らは『我関せず』を決め込み続ける。

 今、その実害が個人のテリトリーに侵入してきた場所がある。

 私立・織笠高校、二年…………。

 特定の学校、特定の学年にそれは訪れた。災害とも言える事件が始まったのは、紅葉も散りはじめる秋の終わりの話だ。誰もが気がつかない程の些細な始まりは一人の女子生徒の病気だった。

 彼女は登校中に気を失い、病院へと搬送される。その症状は一時的に命に危険が及ぶと言われるほどで、家族友人、様々に皆、彼女の死を覚悟した。しかし奇跡的な確率で一命を取り留め、現在では何不自由なく高校生活を満喫している。

 清水目桜、十七歳。

 彼女の名前と年齢だ。人格者であった彼女は周りに好かれ、母性を感じさせる暖かさは老若男女問わず心を和らげたという。少しドジな所なんて可愛らしいアクセントで、天然パーマで軽くカールを作り出している茶色の頭髪はそれを助長するように愛らしい。

 彼女は、皆に愛されていた。

 愛に満ち、愛に溢れ、愛を振りまく。

〝愛〟というものが何かしらの形をとったのならば、それは桜という名の少女である。……そう、周りに言わしめる深い心情。

 しつこいようだが、もう一度言おう、彼女は愛されていた。

 特に一人の男から熱烈な愛情を向けられていた。

 男の名前は――高坂圭哲、十七歳。

 彼女の同級生であり、幼馴染であり、恋人同士でもあった。恋愛関係を進める二人を端から見ると、恐らくは、呆れる程のバカップル。周りを気にしないイチャつきを見せる事などはしなかったが、二人の親密さ加減は『何も知らない他人が見ても、一目で恋人と理解できる空気感』と称される。

〝行動しなくとも、見て取れる絆〟友人からはそう例えられていた。

 それ程までに仲の良い、大きく言うなら愛し合っている二人だ、桜が病床に伏せた時など圭哲は大層な狼狽ぶりだった。

 もう、今にしても桜が倒れた瞬間を覚えていないのだ、と。

 大きな精神的ダメージ、行き過ぎたそれは肉体にまで侵食が及び、息は浅く、顔は冷え切り、心拍のスピードが急激に加速する。誰か誰かと喚き続け、泣き叫び、狼狽する。

 結果として、一命を取り留めた彼女。

 落ち着きを取り戻した彼に残ったのは、激しい狼狽の記憶、誰かに助けを求めなければいられなかった自身の矮小さだけ。

――――〝彼女を守る事などできない〟と醒める。

 盲目で甘く、曖昧で純粋な愛から醒める。あぁこんなに強靭で、とても澄んでいた筈の気持ちが消えていく。あれ程に切実で重要であった筈の愛だ、自身の一部を抉り取られたような痛みを感じた。

 あぁ、やっと気がついたか? お前、嘘つきだぜ。

 どこからともなく聞こえる声が彼を責め立てる。いくら必死に嘘だと自分を騙してみても、もっと奥、一番深い処から声が聞こえる。

『嘘つき、嘘つき、嘘つき、嘘つき』と、囁くように恫喝する。

 これから始まるのは、そんな惨めな男の話だ。

 それほど愛された女の話だ。

 いや――そんな物語、とうの昔に終わっているのかもしれないけれど。

 ならば、ここから先に始まるのは僕の物語だ。

 高坂圭哲という記号でしか表せない、僕だ。

 桜を愛していた頃の自分に、引導を与えてしまった裏切り者だ。

 かつての僕は、もういない。

 かつての桜も、もういない。

 愛に溺れ、愛に生き、愛に裏切られた……。

 否、裏切ったのは僕。

 勝手に生きて勝手に死んだのも僕。

 誰もがはじめは信じていた筈だ、変わらぬ愛を自分は貫けるのだと。そんな信念を捻じ曲げて、愛を裏切った僕だからこそ、アイツは傍にやって来るのだろう。何くわぬ微笑みを向けながら、暖かな陽だまりを持って、僕の喉元に咬みついてくるのだろう。

 あぁ駄目だ、愛に喰われる。


   ×××


 彼女との出会いは彼女との決別、清水目桜という人間が消え失せた代わりに現れた紛い物が、彼女、シミズメサクラだった。

 桜が死んだのは、まだ温かみを残しながらも紅葉の色付いた秋の朝だった。普段と何ら変わりない登校中の話だ。

 住宅街からほど近い通学路、銀杏の並木道、明るい太陽が暖かいのはありがたいが、木々の葉は色を変え終えている姿には、違和感を感じる。

「ねぇ、聞いてる?」

 そう聞いてきたのは清水目桜、彼女は寒がりらしく暖かな秋である今日も学生服の上にセーターとマフラーを着込み、スカートからは学校指定の黒いタイツが足を覆っているのが見える。

 細い体だ。

 結構な厚手のセーターのように見て取れるのに彼女は着膨れした様子もなく、むしろそれだけの厚みをプラスしてようやく人並みと行っていい程に華奢。

 袖口から指先だけがちょこっと出ている指が可愛い、『そのブームはもう過ぎた』とか言う意見は知らないが、可愛いものは可愛い、いつも、そして今日も小枝のような足がテクテクと僕に付き添うように動きついて回る。

 そんな桜が、可愛い桜が僕は大好きだった。

「うん」

 眠い目をこすって、短く返す。

 少ない会話でも訪れる安心と幸せ、馬鹿みたいに毎日毎日、飽きもせずに僕は桜の存在に安堵する。

「……じゃぁ、私がさっきまで話してた内容、言ってみてよ」

「おばあちゃんが…………………………なんだっけ?」

「ほら、やっぱり聞いてないんじゃん!」

「聞いてたよ」

「うー、そー」

 区切って、強調して言う。

「一回聞いて忘れてただけで」

 目をそらして答えると桜がため息をこぼした。

「それってつまり、右から左ってことでしょう? 全然聞いてないじゃない、ホント圭ちゃん、朝はぼけっとしてるよね」

「遅刻しないような時間に学校行けてるだけ神崎とかよりまし」

 寝起きの良くない僕は半覚醒のまま、桜に引きずられるように学校へ向かう、いつもどおりの朝だった。何か特別なことがあるわけでもない、取り立てて騒ぐほどのこともない、どこにでもいそうな仲睦まじい男女の登校風景。

 早くも落ちだした銀杏が数枚足元に転がり、人に踏まれて砕けている乾いた葉が先ほど以上の違和感。

 徐々に地球もおかしくなり始めている、なんてことを考えながらも『もともと四季とか言ってコロコロ温度が変わるほうがメンドクサイ』と普段から口にしている僕にとっては、春と秋がなくなりそうなことぐらいどうでもよかった。

「…………圭ちゃん」

 僕をぼけっとした思考から呼び戻したのは桜の呼び掛けだった。

「桜?」

 次の瞬間、桜は倒れ始める。

 スローモーションのように緩やかに力が消えていく様を僕は見る。

即座に僕は、はっきりと桜に体ごと向き直し返答する。

 なぜ即座にそんな大仰な動きができたのかは知らないが、おそらくは桜の呼び声が普段とは違い弱々しく感じられたからだろう。

 桜は前を歩いていた姿勢のまま、膝の力が抜け、前に倒れそうになる。振り向いた勢いもそのままに、僕は桜が地面と衝突しないように支え、腕の中の桜を仰向けに持ち直しながら叫んだ。

「桜ッ!」

 何が起きているのかはさっぱりだったけれど、僕は不安でしょうがなかった、不安で、怖くてしょうがなかった。

 寝不足? 貧血?

 そうだったらいいのに、その程度だったら問題ないと言った可能性を頭の中に浮かべつつも、断固として存在する不安に僕は恐怖していた。

 僕は桜が消えることを、いつも怖がっていた。

 その焦燥がどこから来るかも知らないまま、疑ってかかれないその不安にいつも怯え震えていた。

 桜が倒れた時の思いが『ついに』だったことに僕自身、驚く。

「……けい、ちゃ、ん」

 先ほど以上に切れ切れで弱々しく、僕の不安を一層掻き立てた。

 僕は何も出来ない、僕は何をしたらいいのかも解らない。

「けい、ちゃん………………ごめんね」

 何が『ごめんね』なのかが理解できない。

 と言うかだ、狼狽に時間を持っていかれて桜が倒れてから、どれだけの時間抱えていたのかも分からなくなっている自分に気がついた。桜に声をかけられるまで《救急車を呼ぶ》という当たり前の行動すら行えていなかったことに対し自分に落胆した。

 面食らってる場合じゃないんだ!

 僕は即座に携帯電話で救急車を呼びつけ、その際には自分への落胆を誤魔化すように電話口で怒鳴りを上げた。

 早く早く! と叫ぶ。

 相手側からしてみれば訳の分からない恫喝をトンデモナイ狼狽具合で捲し立てる僕を宥めるのは骨が折れた事だろう。

 声をかけ続け、手を握り締めた、いつしか目を閉じた桜の目覚めを待つ、消えゆく彼女に耐える時間。

 まだ……? まだ、まだ来ない。

 待っても、待っても、桜は目を開けない。

 頼みの綱である救急車も、まだ来ない。

 ××××程で到着すると、電話口では言っていた――思い出せない、記憶がとんでいる。いつだ? いつになったら助けてくれる? 僕はいつまで、桜の眠りを見続けなければならないのだろうか。

 目覚めることのない事を、僕は知っているのに。

 そんな眠りを、一体いつまで―――――――――ッ。

 ……救急車が到着したのは、それから二十分も後の事だった。

 僕は知った。

 ――二十分は永遠より長い。


   ×××


 病院での気分は、もう、最悪としかいいようがない。

 人生初だ、想像しうる許容範囲を大きく飛び越えた精神異常、これほどまでに桜の急変が心にくるものだとは、流石に思っていなかった。

 桜が死んじゃう。

 頭の中身はそればかり。

 桜が死んじゃう。桜が消えちゃう。桜が死んじゃう。桜が消えちゃう。桜が死んじゃう。桜が消えちゃう…………。

 どれほどの間、一人で絶望していたかは分からないけれど、暫くして桜の両親が病院へと到着した。

 おやじさんは仕事を放り出し、早退をゴネる契約先を怒鳴りつけて飛んできたという。まぁ、当然の話だろう、なんせ実の娘が死にかかっているのだから。何なのかも解らない原因に対しての激しい怒りと、娘への身を切るような心配を抱えて。

 これらが全て、僕のせいなどとは知りようもない。

 もちろん、僕自身にとっても。

 程なく医者からの説明が入るが、専門知識のない一般人である僕達には何が起こっているのか理解しきることは難しかった。どうして専門家は、専門用語を用いてでしか説明ができないのか。

 僕の焦りは鎮静されたわけではない。未だに心臓が止まるんじゃないかと思う程に慌てている。まるで燃え尽きる前の火炎だ。

 そして燃え尽きた。


「十一月二日、八時二十三分…………心肺停止、確認」


 桜が死んだ。

 想像以上に、酷くあっさりとした最後だった。

 ついさっきまでは横にいて、生きていて、話して、学校に向かっていただけだというのに。……激しい憤りを感じた。

 疑問が頭に押し寄せる。何で桜がこうもあっさり死んでしまうことができるのか? 周りの人に愛されていた桜だ、皆に優しく、暖かい陽だまりのような存在の少女だ、何一つ悪い事などしてこなかった彼女だ、何故、何故こうもあっさりと、そして早く、命を落としてしまうのか……納得ができずにいた。

「――――神様」

 小声で、わけも解らず、懇願し始めた。

 瞳からは涙が溢れ、頬をつたい、狂ったように呟き続けた。

「桜を……桜を返してください、僕の桜、皆の桜、何で桜が死ななくちゃいけなかったんだ、おかしい、絶対におかしい」

 誰にでもなく文句を言う。

「神様、なぁ神様――神様じゃなくてもいい誰でもいい悪魔でもいい化物でもいい誰でもいい、桜を助けて」

 おかしな事なのだろう……〝神様〟などと言う訳の解らない者に懇願するなど。しかし、願いたくもなる。だっておかしいのだから、桜が死ぬなんておかしいのだから、あれ程に愛に溢れていた少女を僕は知らない、だからこそ……。

 ――――彼女が死ぬなど、ありえてはいけない。


   ×××


 私立・折笠高校の二年四組、教室の中には生徒が一人もいない、そのクラスが特別どうという訳ではなく、折笠高校自体、生徒が登校しないという事が最近では常識と化していた。

 理由はハッキリとしている。

 事件だ。

 はじめの頃は『オカルトだ』と重要視されず、教師達は対応を見せぬまま一週間を過ごした。

 誰が何をしたのかも解らないけれど、一人の生徒が徐々に衰弱し始めたのだ。健康的な男子生徒、運動部に所属していた彼は活発で明るい、何の問題もない生徒だったという。しかし彼はある日を境に、その元気を失っていき、調子を崩しはじめる。

 そして同時期に、もう一人、もう一人と増えていき、一週間の内に四人の生徒がその症状にかかっていった。

 学校側は、それをインフルエンザか、何かの流行病だと断定し、特に何も行なってはいなかった。しかし生徒側は違っていた。その衰弱していく生徒達は、とある男子生徒の友人であるという共通点があった為に『これはアイツの呪いだ』と噂が立った。

 その男子生徒は、やはりというか、僕だ。

 僕には確信があった。この衰弱は僕のせいで引き起こっている現象だという事に。仲の良い友達が順々に窶れていくのだ、それはもう、僕が関わっていないことの方がおかしいとさえ思った。

 それにもう一つの確信。

 彼らがその症状に犯され始めたのは、彼女が退院して、三日が経った頃だったという事だ。そこが境目だ、原因はそこにあるに違いない……彼女が登校し始めてから三日でそれは起きたんだ。

 彼女、シミズメサクラが現れて三日だ。

 彼女が登校できるようになるまで僕自身も休学していた、その上、あれ程に仲睦まじいと言われていた僕らがよそよそしくしているのだ、それはもう疑われるのも当然だろう。

 子供は変化に敏感だ。

 それが更に学校という特殊な環境内であるのならば、その感度は鋭敏に増していく。

『オカルト』な噂は広まり続け、触らぬ神に祟りなしとでもいった具合に皆は僕から距離を置きはじめ、僕は友達とクラスメイトを失いつつあった。

 そうして騒ぎが起こって一七日目の事だ。最初に衰弱し始めた友達、神崎が死んだ。

 とてもあっさりしていた。それは朝のホームルームで先生より生徒らに伝えられ、騒めくクラスの中で、僕は絶望した。クラスで僕の存在が『死神』扱いされはじめ、その日を境に誰も口を聞いてくれなくなった。

 阻害と、それ以上に友人の死という出来事。動揺が収まるのに一晩では短く、次の日も僕はのろのろとした意識で登校した。

 その日、残りの三人も死に至った。その死体は病死というにはあまりにも痛々しく、全身に歯型を残し血に塗れた肉だったという。

 もう僕は、苦しんでばかりもいられなくなった。


   ×××


 次の日から、学校が閉鎖。教師がただ事ではないと考えを改め、世間も動き出す『事件』へと一気に発展していった。

 誰も登校してこない学校。

他人のいない教室に僕達はいた。自分の席に落ち着いている。

「結局、お前――誰なんだよ?」

 半分閉じたような瞳の視界で、霞がかった意識で、彼女を認識してみた。

「んー?」

 彼女は特にこちらの質問を気にした様子もなく、ただ僕の膝の上に腰を落ち着け、顔を胸元に押し付ける事に熱中している。すりすり、と。幸せそうに顔を埋めてくる彼女がとてつもない不快感を僕に与える。その声で、その顔で、僕に陶酔を向けるその姿勢が堪らなく腹立たしい。

 彼女はとても繊細な顔の造りをしている。体も細く、小枝のような手が大き目のカーディガンに覆われ指先だけが顔を出す、短いスカートから足が伸びている。彼女も僕も制服。

 シミズメサクラ、それが彼女の記号だ。

 僕が高坂圭哲としか呼べないように、彼女もまたシミズメサクラとしか呼びようがない……以前のように愛着を込めて口にはできないけれど。

 そんな器量の良いサクラでも、どれだけ愛情を感じようとも、今の僕は、今のサクラでは畏怖と共に嫌悪しか感じない。

 ――だって、きっと彼女は、もう人間ですらないのだろうから。

「お前、何したんだよ。……神崎も東上も大田も堂本も」

「んー?」

 問い質すと決めてここに来た。二人だけになれる場所に学校を選び、四人の死を知りたくて、ここに来たんだ。

 それでも、どうしても、なかなか次の言葉が喉元にしがみ付いて離れない。

 未だに躊躇しているというのだろうか?

 彼女が、人ではないと理解することを。

「……何で、殺した」

 意を決したように、意気込んでその言葉を口にする。

「ころしたぁー? なんのはなしー?」

 核心を突こうとも、なんら変わらず僕に擦り寄り続けている彼女、相も変わらず、気の抜けたような声を発している。……腹が立つ。

「いい加減、触るなよ」

 語気を強めに言い放ち、座っていた椅子から立ち上がり、彼女を振り落とす。

「イテッ――――んー、圭哲、痛いよ」

「痛いよ、じゃねぇよ」

「立ち上がるときは言ってよ、一回離れるからさ」

「僕は触るなって言ったんだ」

「無茶言わないでよ、ボク圭哲に触ってないと落ち着かないんだから」

「女の子が〝ボク〟とか言ってんじゃねぇ」

 〝僕の真似〟のつもりらしい。

「ボクは生まれた時から〝ボク〟なんだけど?」

「桜の一人称は〝私〟だ」

 そう言うと、くすっと笑い、僕の首に腕を回してくる。

「ボクは桜だよ――ボクが桜だよ。いつまでそんな妄想にとり憑かれているの?」

「――ッ!」

 その『妄想』という言葉に、今まで以上に、激しい怒りが押し寄せてきた。

「うるさい! いい加減にしろよ、誰なんだよお前は! 桜の顔で桜の声で、桜のふりして僕に話しかけてくるなッ!」

 誰もいない教室に、僕の声だけが響き渡る。しんとする空気の中で、彼女は少しだけ微笑んだ。


「――――いい加減にしろよ」


 聞いたこともないような冷たい声が、サクラから響く。

「ボクは桜なんだ、サクラだろうと、桜だろうと関係ない、ボクが清水目桜だ。……圭哲が大好きで大好きでたまらない、あの桜だよ、愛している女の事もわかんないの? 何度もキスしたじゃない、あんなに抱いてくれたでしょ? なんで認めようとしないの、今ここにいるボクが桜だって事を、圭哲が望んだくせに、圭哲が望んだくせに、大好きな桜が戻ってきますようにって、圭哲が願ったくせに、なんなの? 嫌いなの? 桜のことが嫌いなの? ボクが、ボクのことが、嫌いなの? いつもどおりにキスしていいんだよ、抱いていいんだよ? 吐き出しなよ、最近は抱いてくれてないじゃん、欲求不満でしょ? 虚しいでしょ? ボクが愛してあげるから、気持ち良くしてあげるから、愛しなよ、愛してよ、ボクは桜なんだから、今までと同じ、愛してよ……」

 叩きつけるような求愛に、吐きそうになりながら僕は追い詰められていく。『愛して』と言いながら迫ってくるサクラを避けるように、段々と壁へと近づいていく。

「来るな」

「好きだよ?」

「来るな」

「大好き……」

「僕に触るなッ!」

「愛してるよ、圭哲」

 サクラの指が僕の肩に触れる。

 撫で回すように胸をまさぐりながら、もう一方の手を首へとかけ、近づいてくる。

僕とサクラの体が密着した、僕は恐怖で動けなくなる。

 女性らしい甘い匂いが鼻腔をくすぐり、脳が痺れる、首元に顔を近づけ、動けない僕の首筋を舐める。徐々に顔へと登ってきた舌は、頬を舐め、一度離れる。

僕とサクラの距離は、ほぼゼロ。

「ねぇ、圭哲――――」

 甘い声で、彼女が囁く。

「――――――――しよ?」

 得体の知れない恐怖の中で、停止した体を必死で動かす。

 口元だけを薄く開いて、一言だけ、震えた唇から絞り出す。

「……嫌だ」

 次の瞬間、サクラとの距離はゼロになった。


 愛すべき人、終わりの始まり。

続きます

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