第五話 トクベツな屋上
「本当にヘリポートって円とアルファベットの『H』だけで書かれてるんだね」
僕は病院の屋上のヘリポートの中心に立って下を見るとそう言った。
長年使われているのか円の線は所々消えている。これだけで意味があるのだろうか、と思う。
しかし、空から見ればこの印は目立つのだろう。そうでなければここに描く意味がないはずだから。
「和明、あんたのその好奇心はどこから来るわけ?」
茜は呆れているようだが僕はほとんど気にしない。それでも、彼女の声音が少し楽しそうだというのには気がついていた。
「それで、それは和明の納得のいく特別だったのかしら?」
「全然。ちょっと特別な感じはするけど納得はできないね」
僕は笑いながら言う。これは、半分諦めのような笑みだ。僕の探している特別がどれだけ見つけにくいかはよく分かっている。
ただ、もう半分はどのような笑みだったのか自分でもわからなかった。けど、長い間特別を探し続けていたのでこれからも探し続けるという余裕さを表した笑みだったのかもしれない。
「そう、それは残念ね」
あまり、残念がっていないような声だった。まだ、僕と茜はほとんど他人のような関係なので言葉に感情がこもらないのは仕方がないのかもしれない。それに僕自身もそれほど残念がっていない。
ふと、僕はヘリポートよりは特別な感じのする場所を見つけた。僕は、その場所へと歩きながら言った。
「ヘリポートよりはこっちの方が特別な感じがするよ」
僕が見ているのはこの屋上から見渡せる街の風景。
この街は県境のすぐ隣にある。だが、それは地図上での線だ。地上から見ればそんなものわかりはしない。いくつかの一軒家が建っているがどれがこちらの県の建物でどれが向こうの県の建物なのかということはわからない。だから、ここから見れば隣の県、と言い表すのも悪いような気がした。
僕は特別を捜し求める過程で何度か街を見たことがある。ただ、その場所というのは山の上からだ。なので、見渡せる範囲が限られていた。
しかし、ここならどこを見ても街を見渡せる。それは、ここが周りよりも少し高い丘の上に造られているからのようだ。
この病院よりも高い建物など数えられるほどしかなかない。なのでほとんど視界は遮られない。そして、北のほうを見てみれば山が見えた。
「そりゃそうよ。ヘリポートの方が特別だなんて言ってたらわたしひくわよ」
いつの間にか僕の横に茜が立っていた。茜は可笑しそうに笑っている。彼女の長い髪を少し強い風がなでている。
「それでもいいよ。僕が特別だって思えるようなものを見つけれたんなら」
僕は隣の茜を見ながら言う。僕は自分にとって納得のいく特別なものがあれば周りからどんな目で見られようとかまわない。
「あんたって、不思議な性格してるわよね。子供の時からそんな感じだったの?」
「さあ、どうだったかなんて覚えてないよ。でも、特別、は結構昔から探してるよ」
「昔って何歳の時からよ」
「確か小学一年生の時からだったと思うよ」
僕は今から十年ほど前のことを思い出しながら言った。
十年前、幼稚園から小学校へと上がった僕は周りの環境が変わったという特別に酔いしれていた。しかし、その特別も長くは続かず、すぐに日常へと変わってしまった。
その時から探し始めたんだと思う。特別、というものを。けど、その時は今とは違い特別なら何でもよかったような気がする。
特別は直ぐに日常へと変わる、と知ったのはつい最近だ。自分の納得できる特別、を探すと決めたのも最近だ。
「へえ、そんな小さいときから和明ってそんなふうに変わった人だったのね」
ふふ、と茜は小さく笑った。今の茜は自殺をしようとしてた人には見えない。こんななんでもないことに笑うような無邪気な一人の少女にしか見えない。
何となくそういう雰囲気が今の彼女にはある。
「そうだわ。わたし達が退院したらあんたの特別探しにわたしも連れて行ってくれるかしら?」
少し恥ずかしそうに茜は聞いてきた。何故、恥ずかしそうにしているのだろうかと思いながら僕は返した。
「うん、別についてきてもいいけど……多分、つまらないと思うよ」
僕は僕の為に行動している。そんな行動に誰かがついてきてもそのついてきた人は決して面白くないと思う。
「それでも、いいわよ。……多分――になるから」
最後に「多分」と「なるから」の間で何かを言った気がしたが声が小さくよく聞こえなかった。
「そう言うなら、付いてきてもいいよ。そういえば、最後の方になんて言ってたの?」
「な、何にも言ってないわよ」
少し動揺したように茜は言った。何を言ったのかは本当にわからないがあまり、言いたくないことらしい。ならば、聞かないでおこう。
「そうだ、茜はいつぐらいに退院できるの?僕は遅くて三日後ぐらいなんだけど」
「わたしは、脳に異常が無ければ明後日に退院できるわ」
茜は僕よりも早くに退院できるらしい。それほど軽い傷で済んだということなのだろう。
「こうやって早く退院できるのも和明のおかげね。自殺しようとしてた人が言うのも変だけれどありがと……」
茜の感謝の言葉はとても小さかった。こうやってお礼を言うのが苦手なのかもしれない。それに、彼女の言うように自殺をしようとしていた人には似つかわしくない言葉だった。
けれど、そんなことは関係ない。それよりも今までとは違う態度をしている茜に僕は戸惑っている。それでも、彼女の感謝の言葉だけははっきりと受け取った。
「どういたしまして」
僕は静かにそれだけ言った。助けてくれたお礼を言うということはもう自殺をする気はないということだろう。
そのことに僕は安心した。今まで全く関係なかった人とはいえ誰かが死ぬ、というのは嫌だった。
と、そう思っていると茜が小さくくしゃみをした。
僕は茜に気がつかれないように小さく笑いながら言った。
「さてと、そろそろ部屋に戻ろうか。ここはちょっと寒いからね」
空気が少し湿っている。もしかしたらこれから雨が降るかもしれない。
「ええ、そうね。ちょっと寒いわね」
茜は素直に自分が寒いということを言ってくれた。本当にどうしてしまったのだろうか。
「なによ。わたしの方を見て」
茜は僕の視線に気がついたようで自分の腕を自分の手でさすって暖めながらそういってきた。
「うん、なんか昨日とか今日の朝の茜とは全然態度が違うなって思ってね」
「な、なに言ってるのよ。昨日からこういう態度だったわよ、わたしは」
少し慌てたように茜は言う。自分の態度が変わっているということを僕に知られたくなかったのかもしれない。
「ごめん、気が付かれたくなかったみたいだね。態度が変わってたことを」
「だから、変わってないって言ってるでしょ。それに悪いと思ってるならわざわざ言うんじゃないわよ」
茜は少し怒ったように言って屋内へと先に戻っていってしまった。僕は少し苦笑をして茜のあとを追うように屋内へと入っていった。