第二話 トクベツな入院
桜崎さんが部屋を出てから、数分後、男性の看護師が入ってきた。首からは彼の名前が書かれているであろう名札がかけられている。
そこには『外科医 藤原信義』と書かれていた。彼は藤原さんというようだ。
「目を、覚まされたようですね。体調の方はどのような感じですか?どこか痛む場所などありますか?」
僕を心配している感じのしない事務的な響きを持った声で聞かれる。おそらくそれほどひどい怪我ではないのだろう。
「体を動かすと痛みますが、大丈夫だと思います。どのような状態なのでしょうか」
腕が折れている、ということはわかるがそれ以上はわからない。なので、藤原さんに聞くしかない。
「お分かりだとは思いますが左腕の骨が折れていますね。それと胸の辺りに強い衝撃を受けたようですが幸い臓器に損傷はありませんし、骨折もありませんでした。全治するのにはしめて二週間ほどかかると思います。それと、もしもの場合がありましたらいけませんのであなたには四日ほど入院してもらいます」
四日間は暇な毎日が続くということらしい。そういえば、しっかり見てはいなかったが桜崎さんの怪我はどのような感じなのだろうか。
「あの、桜崎さんの怪我はどのような感じなのですか?彼女も入院をしているようですが」
詳しくは教えてくれないだろうな、と思いながらも僕は藤原さんにそう聞いた。
「桜崎さんの怪我ですか?今のところは問題のない程度の傷です。ただ、頭をぶつけたようなので完全に大丈夫だといえません。なので、こちらで預かって様子を見ているだけです。あなたのおかげで彼女は死なずに済んだのですよ」
藤原さんは僕に微笑みかけるようにしながら言った。僕はちゃんと桜崎さんの怪我の様子を教えてくれたのに少し驚いた。しかし、少し考えてみればちゃんと教えてくれた理由がわかったような気がした。藤原さんは僕が桜崎さんを助けたということを知っていたからだ。
とりあえず、この人の話では桜崎さんは大事に至っているということではないらしい。
先ほど僕の部屋に入ってきた桜崎さんの様子では大丈夫だと思ったが、もしかしたら、という思いもあった。なので、僕はほっとする。
「それでは他の患者さんの様子を見てくるので私はここで失礼します」
そう言って一礼すると藤原さんは僕の部屋から出て行った。それで、僕は一人になってしまった。
部屋に置かれている時計が針を刻む音だけが病室内に静かに響く。
そういえば、母さんと父さんは僕がここにいることを知っているのだろうか。まあ、当然知っているだろう。学校内でおきたことなのだからすぐに親の所へと連絡が行くはずだ。
待っていればいずれ見舞いに来てくれるだろう。個人的には来ても来なくてもどちらでもいいのだが。
僕は起こしたままだった上体を横にする。そのときにまた胸の辺りに少し痛みを感じた。
そういえば、今何時だろうと思い時計を探してみる。首を動かしただけでは見つからなかった。
痛いのは嫌だが時間が気になる。だから、もう一度上体だけを起こした。そして、正面に壁にかけられた時計があるのを見つけた。
時間を見てみると八時になっている。外の明るさからして午後の八時だろう。僕は思ったよりも長い時間、眠っていたようだった。
もう一度ゆっくりと上体を横にする。いつになったら痛くなくなるのだろうかと思いながら。
体を横にして数分後、何もすることがないことに僕は気がついた。そして、何となく桜崎さんのことについて考えてみる。
名前を聞いても思い出すことができない。けれど、どこかで聞いたはずだ。頭の中に妙な引っ掛かりがある。
いろいろと思い出し考えていると彼女に関してのことで一つ思い出した。確か友達から聞いた話だ。
桜崎茜、僕の通っている高校ではアイドル的存在となっているらしい。容姿端麗で知的。スポーツは微妙らしい。どう微妙なのかは聞いていない。
その時はほとんど興味を持たなかったので覚えていなかった。けれど、そんな彼女が何故、自殺をしようとしたのだろうか。
それに、桜崎さんは僕が彼女のことを知らないと言った時とても驚いたような表情を浮かべていた。それは純粋に僕達の高校で彼女のことを知っていない人がいることに驚いたのか、それともそれ以外の別の理由なのか。それは本人に聞いてみなければわからない。
と、いきなり扉が叩かれる音が聞こえた。おそらく僕の母さんと父さんだとは思うが一応敬語で、
「入っていいですよ」
と、上体を起こしながら言った。
扉が開けられると予想通り母さんと父さんが扉の向こう側にいた。二人とも僕のことを心配してくれているようだ。とても心配そうな表情を浮かべている。
「大丈夫か、和明」
そう言って最初に僕に歩み寄ってきたのは父さんだった。家に帰ってすぐに来たのか仕事用のスーツを着たままだった。
「和明、調子はどうなの?」
母さんはとても心配そうな今にも泣き出しそうな表情で僕に聞く。母さんは心配性すぎるところがある。
「見てのとおりだよ」
僕は左腕の包帯を見せながら言う。その言動に母さんの顔がさらに歪んだ。そのままでは本当に泣き出してしまいそうなほどだった。
僕は慌ててもう一つ言葉を付け足す。
「見た目は結構ひどいかもしれないけどそんなひどいってことでもないらしいよ。二週間ぐらいで治るらしいから」
母さんを安心させるように微笑みながら僕は言った。その言葉だけで母さんは少し安心したようだった。
「それにしても父さんは驚いたぞ。お前が女の子を助けるなんてな」
女の子、という単語が少し強調されていたようだったが僕は気にしなかった。けれど、そのまま黙っているわけにもいかないので言われたことには何か言葉を返しておく。
「僕も結構とっさだったんだよ。もう少しまともに受け止めれてたらもうちょっと軽い怪我で済んでたかもね」
実際にそうだった。僕は桜崎さんが落ちてくるまで別の考え事をしていた。
もし、別の考えごとなどをせずに桜崎さんを受け止めることだけを考えていればもうちょっと軽い怪我済んでいたかもしれない。いや、でも、僕はそれほど力とか身体の強さには自信がないからこれが一番よかった結果だったのかもしれない。
「生きているだけましというものだ。もしかしたらお前が死ぬという状況になっていたのかもしれないぞ」
「そうよ、和明。母さんはあなたが生きていてよかったと思ってるわ」
母さんは大げさに涙を滲ませながら言う。しかし、それは浅はかな考えだなと僕はすぐに考え改める。
父さんの言っていた通り一歩誤っていれば僕が死んでいたかもしれない。もしかしたら、桜崎さんだけだったかもしれないし、両方死んでいたかもしれない。
単純に確立で言い表せることなどできないが僕は四分の一の確立の中でもっともよいものを引いたようだった。どのような因果関係が働いたのかはわからないが。
「四日間入院しなくてはいけないらしいがどうするんだ?勉強でもするか?」
父さんがこれからどうするのかを聞いてきた。あからさまに父さんは僕に勉強をさせたいみたいだ。けれど、別にやりたいことがあったので勉強をしようとは思わなかった。
「勉強は遠慮しとくよ。僕は、ちょっとこの特別な雰囲気を満喫から」
その言葉は僕がとっさに用意した言葉だ。確かに本音が入っていることは入っているがそれ以上に本当にやりたいことがある。
それは、桜崎さんと話をすること。どうしても、彼女のことが頭から離れず気になってしまっている。
父さんはそんな僕の考えにはまったく気がついていないようだ。いつもの口調で言う。
「そうか、まあ、一時的に勉強から離れるのもいいとは思うがな」
僕の両親は基本的に放任主義だ。だから、僕が意味もなく外を出歩いていることを知っても何も言わなかった。
「だが、勉強から離れすぎるんじゃないぞ。遅れた分を取り戻すのは大変だからな」
しかし、しっかりと釘を刺すのは忘れていなかった。父さんは何か苦い思い出があるのかもしれない。何故なら苦笑しながら言っていたからだ。
「母さん達はそろそろ帰るわ。あんまり迷惑をかけないようにするのよ」
「大丈夫だよ、母さん。安心して」
僕は二人に微笑みかけながら言う。その様子を見て母さんと父さんは安心したように笑って部屋を出て行った。
ふう、と息を吐きながら体を横にする。何故だかとても疲れたような気がした。瞼がとても重い。
今日はもう起きていても意味がなさそうだ。いつもよりも早いがもう寝ようと思い。僕は目を閉じた。
それから、すぐに僕の意識は途切れた。