第十九話 トクベツな特別
僕と茜が話せるような状態ではなかったので僕、茜、雄輝、佳織の四人は無言で歩いていた。そして、今いるのは南棟の四階。唯一いつも鍵の開いている使用用途不明の教室。そこで、僕たちは向かい合うようにして椅子に座っている。
歩いている途中にある程度落ち着いて顔も元の色に戻ったと思う。それが、隣に座っている茜の顔を見て判断したことだ。
「それで、僕たちと何を話したいの?」
僕達の反対側の席に座る雄輝と佳織に僕は聞く。答えたのは佳織のほうだった。
「あたしたちは和明たちが茜の苦しみのことを打ち明けたことについて聞きたいんだ。結果はどうだった?」
「結果はって言われても……。伝えたいことを伝えて受け止める人は受け止めてくれたよ」
「受け止めてくれる人は?もしかして、受け止めないような人がいたのか?」
雄輝が僕の言葉から何かを感じ取って聞き返してきた。
「うん、一人だけね。どうにか、納得してくれたと思うけどね」
僕は最後まで残っていた男子生徒の姿を思い出しながら言う。多分、同じ学年の人だと思うが僕の記憶の中に彼の名前はない。
「そっか……もしかしたら、そういう人の影響を受けてみんな、茜のことを異常に特別してたのかな?」
「僕もそう考えたよ。そういう人が完全にいなくなれば茜を特別に見る人はいなくなると思うんだ。……僕を除いてね。別にいいよね、茜」
最後の一言は茜の方を見ながら言った。
「なんでわざわざ確認なんてとるのよ。……あんたならいいに決まってるじゃない」
茜は恥ずかしそうに少し顔を赤く染めながら答える。
「二人ともラブラブだね〜。あたしたち以上に恋人同士っぽいんじゃないの?」
眩しいものを見るかのように目を細めながら佳織は僕達のことを見る。佳織の言葉に反応して僕は佳織と雄輝を見てその後に茜の方を見た。茜も僕と同じ順番に見ていたのか最後に僕と茜の目が合った。
「僕と、茜、が?」
「わたしと、あんた、が?」
僕と茜はほとんど同時にそうつぶやいた。
「あ、恋人同士だってことは否定しないんだ。もしかして、あたしたちの知らないところで何かあったの?」
佳織は僕と茜の視線の間に入るようにして身を乗り出して言う。僕達はまたしても同時に佳織の顔を見て言った。
「そ、そんなことないよ」
「そ、そんなことないわよ!」
同時に言ったのだが語気が違った。僕はいつもの語気で、茜は少し語気を強めて言っていた。共通していたのはどちらとも焦っていたという点だ。
「そんなに焦るってことはやっぱり何かあったんだね〜。何があったの?まあ、いっか。言わないんなら。いつかまた聞き出すからその時には言ってよ」
そう言って佳織はきちんと椅子に座りなおす。今は一応諦めてくれたようだった。
「じゃあ、俺達はそろそろ戻るか?」
雄輝は佳織の方を見て言う。今まで佳織が落ち着くまで待っていたらしい。
「うん、そうだね」
佳織が頷くと雄輝と佳織はほぼ同時に立ち上がった。
「じゃあね、和明、茜。二人っきりになったからって変なことするんじゃないよ〜」
「へ、変なことなんかしないわよ!」
「あはは、わかってるわかってる。ちょっとからかってみただけだよ〜。さ、行こう。雄輝」
佳織は笑いながらそう言う。
「じゃあな、和明、茜」
雄輝がそういうと雄輝と佳織はこの教室から出て行った。
「さてと、これからどうする?茜」
「そういえば、まだお昼、食べてないわよね」
「そうだね。じゃあ、今から買いに行こうか」
言いながら僕は立ち上がる。少し遅れて茜も立ち上がった。
「ええ。行きましょうか。……よく考えてみれば佳織たちと一緒に出てればよかったのよね」
「そうだけど、仕方ないよ。二人が出て行ってからお昼、食べてないことに気がついたんだから。そんなことよりも早く行こうよ。急がないと売り切れちゃうよ」
「売り切れてたら放課後まで何も食べれないのよね。でも、お昼抜いてもわたしは大丈夫よ」
「僕も大丈夫だけどね。食べないよりは食べたほうがいいんじゃないかな」
僕は学校内ではあまり動いたりしないのでそれほどエネルギーは消耗されない。だから、昼食は抜いても大丈夫だ。多分、茜もそういう類の人なのだろう。
「それも、そうね。じゃあ、行きましょうか」
僕は茜の言葉に頷いて茜と並んで教室から出て購買の場所まで移動をした。
意外にもまだあまり時間は経っていなかったらしくまだ昼休みはまだ四十五分もあった。それから、三十分かけて僕と茜は無人の教室へと戻ってきた。ちなみに、一番遠いところからでも十分はあればここまで来れる。
何故、二十分も多くかかったかというと、僕と茜が抱き合っていたという話が結構な数の人たちに広まっているらしくそのことについて聞きたがっている人たちに僕達は囲まれて身動きが取れなくなってしまった。
僕達が抱き合っていたということを多数に言われると羞恥で逃げ出したくなる。実際に僕達は逃げ出そうとしたのだが、動くことができないのでなかなか逃げることができなかった。
それでも、羞恥に苛まれながらも僕達は人の薄いところを見つけてそこを半ば無理やりに突破した。人ごみの中から抜け出すと同時に僕達は走ってこの教室まで走ってきたということだ。
隣にいる茜の顔は羞恥からか真っ赤になっている。そう思っている僕自身も多分顔が赤くなっている。顔が熱くなっているのが嫌でもわかる。
僕は風で火照った顔を風で冷やそうと思い窓を開ける。茜も同じことを思ったのか僕の開けた窓の隣の窓を開けた。
窓をあけた途端に入ってきたのは梅雨らしくない風だった。少し湿っているけれども少し冷たい風。どこかで雨が降ってそこの冷えた空気が流れてきたのかもしれない、と僕は適当に考える。
どんな理由でどんな風が吹いているかなんていうのは些細なことだ。今吹いているそのままの風を感じていればいいのだと、僕は思っている。
少し冷たい風が僕の火照った顔を優しく冷やしてくれる。僕にはそれが心地よく感じ取れた。
「……何か前以上にひどくなったんじゃないかしら?」
いきなりなので何のことを言っているのかわからなかった。少し考えてみるがそれでもわからなかったので、僕は横にいる茜に聞く。
「なんのこと?」
「わたしたちを囲む人の人数よ。それに、前と違って恥ずかしいことばかり聞いてくるじゃない」
まだ少し赤い顔に不機嫌そうな表情を貼り付けて茜は僕に言う。
「うん、そうだね。どうしたらいいんだろうね、あれは」
「わたしが聞きたいわよ……。そのせいで、結局お昼、買えなかったわね」
ため息混じりに茜は言った。とても食べたかったというわけではなさそうだが一応食べれるときには食べておきたかったと思っているのだろう。
「はは、仕方ないよ。あの調子だと買ってる途中にまた囲まれそうだったからね」
僕はため息を吐いている茜の横顔を見て小さく笑いながらそう言った。
「な、なに笑ってんのよ」
いきなり小さく笑った僕を見て茜が不審そうに聞いてきた。
「うん?なんか茜のため息を吐いてる顔がおもしろかったからつい、ね」
「あんた、人が憂鬱になってる顔を見て笑ってるんじゃないわよ」
先ほどとは違い茜は口を尖らせて自分の不機嫌さを表している。それは、茜がそれほど嫌がっていないということだと僕は思っている。
そんな茜を見ていると小さく笑ってしまった。それと同時にそんな茜の表情が可愛いと思う。
「こ、今度は何よ」
今度の茜は困惑したように聞いてきた。何故、二度も笑われなければならないのだろうと思っているだろう。
「そうやって口を尖らせてると可愛いなって」
つい僕は本音を言ってしまった。あ、と思ったときには遅かった。茜の耳にもしっかりと届いたようで彼女の顔が徐々に赤くなっていっているのがわかる。
「え、え、え?あ、あんた、な、な、なに言ってんのよ!」
茜はとても動揺しているようでうまく舌がまわっていない。しかも、最後の言葉を言い終えるころには彼女の顔はこの部屋に入ったとき以上に真っ赤になっている。
それ以上まともに顔を上げていられないのか茜は自分の顔を自分の手で覆い下を向いた。
僕も自分が言った思いもよらない言葉で自分の顔が赤くなっているのがわかる。視線も一点に定まらずまともに茜の顔を見ていられない。
好き、と言ったときよりも恥ずかしいような気がするのは気のせいだろうか。
「そ、それって……あんたの、本音、よね……」
下を向いたまま搾り出すような声で茜は聞いてきた。彼女の足のつま先はその場で落ち着きなく動いている。
「うん……本音、だよ」
僕も視線を泳がせたまま答える。
「そ、そう、なのね。……嬉しい、わ……」
変な沈黙がこの教室の中に流れる。僕も茜もお互いの顔を見ていない。というよりも見ることができない。
教室の中が妙な雰囲気で満たされる。それは言葉でうまく表せることのできないような雰囲気だ。
恥ずかしいような、けれど嬉しいような。そういう、二つの感情が混ざり合ったよくわからない雰囲気。
そんな雰囲気でも不快だとは思わない。むしろ、快いような気さえする。ただ、ずっとここにいるとおかしくなってしまいそうな気もした。
その雰囲気の中なんともいえない居心地を伴った十分間が過ぎた。その時になって、僕はやっとまともに茜の方を見て話せるようになっていた。
「茜。もう、時間だから、戻らないと、授業に遅れるよ」
僕は腕時計を見てから茜の方を見た。今の時間は十二時五十五分。授業開始まであと五分しかない。
ちなみに、僕の言葉が切れ切れになっているのはまだ恥ずかしさが残っているからだ。
僕の言葉に茜は下を向いたまま頷くだけだ。まだ、顔の色が元に戻っていないようだ。
恥ずかしいのはわかるが授業に遅れるわけにもいかない。僕は窓を閉めると彼女の腕を持って先導するように歩いた。
北棟につくまで僕はずっと茜の手を引っ張っていた。茜がとても素直についてくるのでほとんど苦労はしなかった。
けれど、今はほんの些細なことで恥ずかしいような何かの感情で顔が赤くなってしまうような状態だ。なので、僕と茜は始終顔が赤いままだった。
茜との別れ際の彼女の顔は当然赤いままだった。そうなると、僕も赤くなっているままである。本当は顔の色が元に戻るまで気持ちを落ち着かせてから教室に戻りたかったのだが生憎今は時間がない。
仕方がないので、僕は放課後に迎えに行くとだけ言い茜と別れた。
それから、教室に戻ると一騒ぎあった。昼休みにお昼を買いに行こうとした時と同じように生徒たちに囲まれてしまった。
何で顔が赤いのか、とか、茜とはどこまでいったのか、とか。そういう類の質問がいくつも飛び交った。
僕は答えられずどうすることもできなかった。そんな僕を救ってくれたのが授業の始まりを告げるチャイムだった。
チャイムが鳴ると同時にみんなそれぞれの席へと戻っていった。それから僕はすぐに自分の席に座り授業道具をすぐに出した。
その時、ちらり、と雄輝の顔が見えた。彼の顔は苦笑を浮かべていた。
その後の授業とホームルームが終わったあと僕はすぐに茜の教室を目指した。
茜の教室へと移動する途中何人もの人に声をかけられた。僕は彼らの相手をしていたらまた昼休みのときのように囲まれると思い無視をして足早に進んだ。
そうしていたら茜と廊下でばったり出会った。茜も周囲の人たちの反応に対処するのが大変だったらしい。しかも、茜の方は佳織もからかってくる、ということもあったらしく見た感じ茜はかなり疲れているように見えた。
けど、ここで立ち止まっていると囲まれてしまうかもしれない。よくよく考えてみれば僕と茜が一緒にいるということは二つに分散されていた人たちが一つになるということだ。それが、昨日の昼の状態だ。
たぶん、時間が経ったことでもう学校中に広まっているかもしれない。そうであれば一度捕まればどんどん人が集まってきて逃げられなくなる。
そうならないために、僕と茜は急いで学校から出た。
「はあ……」
校門からある程度離れたとき茜は大きなため息を吐いた。
「茜、すごい疲れてるみたいだけど、大丈夫?」
僕は心配して隣の茜を見る。
「大丈夫じゃ、ないかもしれないわ」
疲れきったように茜は言う。その直後に誰かのお腹が鳴った。僕のではない自分のなら気がつかないはずがない。
僕は茜の顔をじっと見る。茜は僕の視線の意味に気が付いたのか少し顔を赤くして言う。
「しょ、しょうがないじゃない。お昼、食べてなかったから……」
茜はお昼を抜いても大丈夫だ、と言っていたような気がする。けれど、今はそんな事を気にしても意味がないので口にはしないでおく。
「じゃあ、今からどこかに食べに行こうか?」
「そうね。どこに行こうかしら」
茜は打って変わって少し嬉しそうな表情を浮かべる。僕はそんな茜を見て幸せだと思うことができる。そして、茜も同じように思っていてくれると思っている。
これが、僕の見つけた僕だけの特別だから。そう、思うことが出来たんだ。