第十二話 トクベツな昼食
足音の主は階段を上ってきているらしい。階段を上るときの独特の音が聞こえてくる。
僕は階段の方を見てみた。そこにいたのは雄輝だった。両手には購買で売られているパンと紙パックのお茶が四人分抱えられていた。多分、佳織の分はもちろんのこと僕と茜の分もあの中にあるのだと思う。
「わざわざ、ごめんね、雄輝」
佳織は階段を上りきった雄輝にそう言う。
「まあ、気にすんなって。それで、そこにいるのが桜崎さんか?」
雄輝は手が使えないので視線で確認をとる。
「うん、そうだよ。あ、これ全部あたしが持つから二人とも自己紹介してて。……はい、和明もこれ持って」
佳織は雄輝からパンと飲み物を受け取り二人分を僕に手渡してきた。当然、佳織は残りの二人分を持っている。
僕と佳織にパンと飲み物を渡して手ぶらになった雄輝は茜の前に立つ。
「俺は大西雄輝だ。よろしくな。それと、俺のことは雄輝でいいしお前のことも茜って呼ばせてもらうからな」
雄輝は茜に手を差し出している。佳織と同じように握手を求めているのだろう。佳織の自己紹介を少し粗雑にしたらこんな感じなのだろうな、と僕はかすかに思った。
「ええ、よろしく、雄輝」
茜は差し出された手を今度は戸惑うことなく握った。雄輝はもう一度「よろしくな」、と言うと茜の手を放した。
「さてと、それじゃあ昼飯にするか。和明、お前の持ってるパンと飲み物はお前と茜の分だからな」
雄輝は僕が持っている二人分のパンと飲み物を指差しながらそう言う。やっぱり、雄輝は僕達のためにこれらを買ってきてくれていたようだ。
僕は、佳織からパンと飲み物を受け取った雄輝にお礼を言う。
「ありがとう、雄輝。何かお礼は必要かな?」
「いや、いいよ、気にしなくて。俺がこうしたいって思ってやったことなんだからわざわざ礼なんて必要ねえよ」
本人はそう言っているがやはり何かした方がいいだろう。僕はポケットの中から財布を取り出すと中からお金を出し雄輝に手渡した。
「じゃあ、お礼じゃなくて仕事料として受け取ってよ。さすがに四人分の支出は痛いでしょ?」
「そこまで言うなら受け取っておいてやるよ」
雄輝は僕からお金を受け取ると財布の中に納めた。僕はそれを確認してからパンと飲み物を茜に渡した。
「雄輝、それじゃあ、わたしも払うわ」
「いや、茜は払わなくてもいい」
雄輝は財布からお金を取り出そうとしていた茜を制した。茜がその理由を聞くよりも早く雄輝が言葉を続けた。
「茜の分の代金はもう、和明から受け取ってる。そうだろ?和明」
何か意味がありそうな笑みを浮かべながら雄輝が言ってきた。確かに僕は茜の分の代金も一緒に雄輝に払っておいた。雄輝なら気がつくだろうな、と思って何も言わなかったけど気がついてたみたいだ。
「あ、そうなの?……ありがとう、和明」
少しはにかむように茜は言った。そんな彼女の姿を見ると僕の中の特別な感情が揺れた。
「茜、もしかして恥ずかしがってる?お礼を言うだけなのに?」
佳織はからかうように茜の顔を覗き込みながら言う。茜は何を恥ずかしがっているのか顔を赤くして俯かせている。
「あ、もしかして、和明のことがす――――」
佳織が何かを言い終えるよりも早く茜は佳織の口を手でふさいだ。茜の持っている紙パックの角が頬にささっていて痛そうだった。
茜はあまり力がないのか佳織は簡単に茜の手をどけた。
「いたた……。茜、紙パックの角はひどいと思うよ」
佳織は頬をさすりながら非難がましくそういう。
「か、佳織が変なこと言おうとするからじゃない」
茜は顔を真っ赤にしてそんなことを言っている。茜には佳織がなんと言おうとしていたのかわかっていたのだろうか。
「変なことじゃないよ。それに、和明はすごい鈍いからちゃんと言わないとわかってくれないよ」
佳織が僕のことを鈍いと言っている。さっき佳織が言おうとしていたことと何か関係あるのだろうか。
そう考えているとふと、前にも鈍いと言われたことを思い出した。そして、茜が僕に対してどんな感情を持っているかと雄輝が言ったことも。
それらを思い出して考えると佳織が何を言おうとしていたのかがわかったような気がした 。その瞬間に僕は何だか恥ずかしくなる。そして、僕の中の特別な感情が先ほどよりも大きく揺れている。本当になんのなのだろうか、この感情は。
「お前ら、早く食ったほうがいいんじゃないか?早くしねえと昼休み終わっちまうぞ」
雄輝がパンを食べながら僕を含む三人にそう言った。今から昼食を食べなければいけないということをまた忘れてしまっていた。
「あ、そうだ、そうだ。忘れてたよ」
佳織も僕と同じように昼食を食べなければいけないということを忘れていたようだ。佳織は茜の前から離れ雄輝の隣に移動した。
「なんか、茜をからかうのって楽しいからついついこれからしなくちゃいけないことを忘れちゃうんだよ」
佳織はパンの袋を開けながら茜の方を見ているようだ。茜はまだ恥ずかしがっているのか顔を俯かせたままゆっくりとした動作でパンの袋を開けている。
そんな茜の様子を見ていると僕も何故か恥ずかしくなってくる。なので、茜の方から少し視線をそらせる。
最初の数分は無言で食事が進められる。僕を含むここにいる全員は食事中に話をすることなどしないのだろう。茜と佳織と食べるのは今日が初めてなのでなんともいえないのだが。
ただ、雄輝はいつもどおりなので佳織もいつもこんな感じなのだろうと思う。茜も普段、何かを話しながら食べているような人には見えない。今は、別の理由で黙っているようだが。
一番最初に食べ終わった佳織が不意に口を開いた。
「ねえねえ、和明って昨日、茜の家に行ったんだよね。……どんな家だった?」
僕は佳織の質問に答える前にパンの最後の一切れを口に入れ紙パックの中の飲み物で流し込んだ。それから、一息をつくと僕は言った。
「普通の家だったよ。大きさは大体僕の家と同じくらいだったかな」
「ふうん、そうなんだ」
佳織はそれだけ言って何も言わなくなった。本当は茜の家のことではなく昨日家で何を話したかを聞きたかったのかもしれない。
けれど、佳織はそれを茜の前では聞かないほうがいいと思って別の質問に変えたのかもしれない。
「あ、雄輝、食べ終わった?」
佳織が雄輝の方に視線を動かしたのにつられて、僕も雄輝の方を見た。確かに、佳織の言ったように雄輝は食べ終わっていた。
「ああ。さて、と、俺達は北棟に戻っとくか」
「うん、そうしよっか。ばいばい、和明、茜」
佳織は雄輝の言葉に頷くと僕達にそう告げる。それから、佳織と雄輝は立ち去ろうとする。
「うん、じゃあね。それと、今日は二人ともありがとう」
僕は立ち去ろうとする二人に礼を告げる。二人はほとんど同時に僕のほうに振り返った。
「まだ礼を言うのは早いぜ。俺達はまだまだお前らに付き合ってやるつもりだからな」
「茜、また困ってたらあたしが助けてあげるからね」
雄輝と佳織の言葉を聞いて今まで無言だった茜が口を開いた。
「あの、今日はごめんなさい。わたしのせいで二人には迷惑をかけたみたいで」
茜は本当にすまなさそうに言っている。茜は結構気にしているようだ。自分の為に二人の時間を邪魔してしまったことを。
「気にしなくていいよ。雄輝も言ったようにあたし達がやりたいって思ったことなんだから、茜は全然気にする必要なんてないよ」
嘘偽りの全く入っていない笑みを浮かべて佳織は言った。佳織の表情を見た茜の表情は少し緩んでいたような気がした。
「そう、わかったわ。でも、本当にありがとう」
「どういたしまして。それじゃあ、あたし達は戻るけど二人はギリギリまでここにいたほうがいいよ」
「わかってるよ」
僕の返事を聞いた二人は頷くと下へと降りて行った。北棟に行くためには一回の渡り廊下を通らなければならないからだ。
茜が北棟に行かないほうがいいというのは昼休みの始まりの時に人に囲まれていたあの様子からわかる。
あれらをどうにかすれば茜の苦しみを無くすことができるのだろう。ただ、あれらの人々をどうにかするには茜自身が頼むしかない。
その為には茜にとても大きな勇気がいる。しかし、今の茜ではそんな大きな勇気を持つことなど無理だと思う。
苦しみの根源の前で勇気を持つなどそんなことはできるはずがない。ならば、どうすればいいのか、と思うのだが僕なんかではわかるはずがない。
「ねえ、和明」
いきなり、茜が話しかけてきた。僕は彼女の方を向く。いつの間にかパンを食べ終えていたようだった。
「なに?茜」
「佳織と雄輝って話しやすい人達ね。特に佳織は遠慮なくわたしと関わってくれたわ」
茜は今までに見たことがないような穏やかな笑みを浮かべていた。もしかしたら、茜は人々から期待の目で見られ始めてから一度も普通に同性の人と接せなかったのかもしれない。
「うん、あの二人以上に話し易い人なんてそうそういないと思うよ」
僕は素直な気持ちでそう言った。けれど、一瞬茜は不機嫌そうな顔をしたように見えた。何か彼女の気にさわるようなことを言っただろうか。
「ええ、そうね」
そう言った彼女の顔は笑っていたので先ほどのは気のせいだったのだろうと僕は思い直した。
「さてと、今から授業の始まりまでどうする?」
僕は腕時計を見てみた。今の時刻は午後十二時四十分だ。午後の授業は午後一時からなので後二十分ほど時間がある。
「こんな場所ですることなんてあるのかしら?」
茜から返ってきた答えはそれだった。教室の鍵が開いていれば何かいろいろと物色をして時間を潰せると思う。しかし、すべての扉の鍵は閉まっているはずだ。
「まあ、適当に歩いてみようか」
ここで考えていても何もならない。ならば歩いて時間を潰したほうが賢明だと思った。
「あんたってそれしかないのね」
呆れたような声で茜は言う。
「でも、何もしないでここに立ってるよりはましだと思うよ」
「それも、そうね。それじゃあ、行きましょうか」
おそらく、僕と茜以外誰もいないであろう南棟を僕達は二人きりで歩き始めた。
ゆっくりと歩いて四階についたとき茜は不意に立ち止まり窓を開けた。開けた途端に風が入り込んできた。
その風は少し湿っぽくてあまり気持ちのいい風ではなかった。
「今日も、晴れそうじゃないわね」
茜は窓から少し乗り出して空を見上げている。彼女の声には残念そうな響きがあった。
茜が見上げる空はどんよりと曇っている。茜と星を見に行く約束をしてから気になって週間天気予報を確かめてみたのだがずっと雨か曇りだった。
僕自身はそれほど残念だとは思わないが残念そうな顔をしている茜の顔を見ると残念がっている自分が僕の中にいた。
「そうだね。雨が降りやすかったり曇ったりするのは六月だからこそなんだろうけどね。けどやっぱり、こうやって約束の弊害なるんだったら嫌だよね」
僕は基本的に季節感のあるものを嫌うことはなかった。けれど、今は違う。嫌うとまではいかないがあまり快く受け入れてはいない。
「……あんたがそんなこと言うとは思わなかったわ。どうしたのよ」
茜は僕の言葉に驚いているようだ。
「僕が雨が嫌、っていうとは思わなかった?」
僕は茜の驚きを代弁してみた。これであっていたらしく茜は首を縦に振る。
「今までの僕は季節感のあるものって好きだったよ。でも、今はさっき言ったとおり約束の弊害になるから嫌だな、って思うよ」
「それは、わたしのため……?」
茜は俯いてとても恥ずかしそうにそう言った。そんな彼女の姿を見ているとまた僕の中の特別な感情が揺れる。
「さあ、僕自身もわからないよ。でも、残念がってる茜の姿を見てたら僕も残念な気持ちになるよ」
何となく僕が感じたことを茜に伝えたくなりそう言ってしまった。茜は先ほどとは違う驚きを顔に浮かべて僕の方を見ていた。しかし、すぐに俯いてしまう。茜の顔が赤くなっているような気がする。
僕は変なことを言ってしまったのだろうか。
「ねえ、茜、僕何か変なこと言った?」
「い、言ってないと思うわよ。ええ」
「だったら、何で顔が赤いの?」
「き、気のせいよ、気のせい。そ、それよりも、早く戻らないと時間ないんじゃないかしら?」
顔を上げて焦ったように言う茜の顔はどう見たって赤くなっていた。どうしたのだろうか、と気になるところではあるが時間を確認しなくてはいけない。
僕は腕時計を見てみた。時刻は十二時五十五分をさしている。そろそろ、戻らなくてはならない。
「もう、五分しかないね」
「さ、早くそれぞれの教室に戻るわよ」
僕達は窓を閉めると授業に遅れないように少し急ぎ足で歩いた。その途中で見た茜の顔は暗かった。
やはり、あそこへ戻るのは嫌なのかもしれない。それでも、彼女はあそこへと行かなければならないのだと僕は思う。そうしなければ茜は進むことができない。
そう僕は信じている。