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どうして少女を受け入れたのかを考える。
すでに病が全身を蝕んでいた少女。
見る者に不快を与えるであろう顔の発疹をさらすまいとして、包帯を取ることを拒み続けた少女。
ただただ海が見たかった少女。
鳴かない鳥と、余命いくばくもない少女と、表情のない女と。
睡眠をほとんど取ってない身はこたえ始め、疲れが芯を揺るがす。食物も少量しか口にしていない。つまづきがちになってきた。何度か手をつき、立ち上がる時間が徐々に長くなる。
それでもいいと女は思った。少女と共に地に没するように、また地に没するまで歩む。
下っているのですぐ傍に急斜面があり、へたに転べば、転んだだけではすまない。少女が重しとなっているから、足をとられれば平衡を保てなくなる。心の中で、自分が落ちたら海に行けなくなるのだと少女に言い聞かせている。
意識と無意識の間を揺れ動く女は、やがて背の重みも分からなくなっていた。
気づいたときには、すでに地面は今までの斜面がなくなり、立ち止まるとほとんど平らに近くなだらかに下っていた。
女は前方を見た。
林立する木々は見通しを遮るが、心なしかその数が減じているようで、遠目の利く女はある変化を、心のうちに囁かずにはいられない。
すると女の傍で密やかに流れていた川は大きく蛇行し、女が注視する方とは別の方向へと進路を変えていったのだった。
今度は足元など一瞥すらせず、そのまま歩き出す。
なだらかな下りとはいえ滑りでもすれば、崩れやすい地面は足を支えてはくれないだろう。枝や幹を伝いながら、信じられないような青の煌めきを見た気がする。辿り着いた先は山の終わり、つまりは崖となっていた。
照り返しは柔らかく、藍錆色をした水面は淡く揺れ、だが何よりも満ち満ちていっぱいに広がる。光と溶け合い、岩肌を洗い、そして川と混ざり合うのだった。
彼方からたゆまぬことなく旅をしてきた川は導きを終えると離れ、他の川と合流して太い一本の筋となり、一斉に海へと注ぎ込んでいく。
海は流れない。旅しない。ただ迎え入れて蕩々と渡る。女の目にもその心にも、海は満ちていって浸していくのだ。
海は岩場の間に切り込み、静かな波間が打ち寄せる入り江となりながら、そのさらに奥へ越えていくと限りない調べが瞳を包む。彼方は蒼然と彩られていた。
女はやっと腰を落とし、縛めを解くと袋を自分の前に置いた。
だがなかなか袋を開こうとはせず、また何かしようともしない。
木にもたれさせながら、女の目は海と袋とをさ迷い出す。
海は全てを受容するが如く、在り続けるだけだ。
長い間逡巡した後、解放した。
すぐに顔を背けたものの、鼻を覆う臭気の代わりに優しく甘やかな芳香が広がり、そして眠る少女の顔がひたすら安らいで穏やかなのであった。
顔の半分を焼き尽くしたような痕も、消えてしまったと思えるくらいに静寂だったのだ。
溢れ出る様々な花たち、辛く甘く、清廉な香で少女を抱いている。
少女の髪を撫で、頬に触れられるほどだった。体を起こしてやり、海と出会わせた。
なぜか懐かしさを感じさせる風が吹き過ぎていく。
女は少女を抱え上げた。袋を捨て、崖の淵に臨むとそのまま手を離した。
共に散っていく花々の名残が波間に漂っているのを、いつまでも眺めていた。
夜が訪れた。汐が引いていくと歩けるだけの砂浜が現れたので、翌日にでもと思う。
暮れ空の下で、崖を下りるのは危ない。
そしてあっという間に光を失っていった海は底知れぬ穴を穿つようで、深い宵の神秘へと繋がっていくのだった。
女は少女のことを考え、闇の海がまさに冥府への道を示しているように思えてならなかった。濃く湿る冷えた風を受けて、そのままじっと動かない。
静まり返る女は、すでに周囲の闇と一つになっている。
皓々と明かりが映えて、上弦の月が夢見るように昇っていく。
色の消えた世界に仄かな標が浮かび上がり、淡い燐光を放っていた。
しかしそれよりも女の目を引いたのは、空に飾られた無数の星たちの姿だった。
ちょうど欠けかけたまま浮かんでいる月、その欠けた部分が砕けて散らばっているのだろうか。
あれは月の欠片に違いない。
それでもきっと、自分は笑おうとしたのだ。
優しく穏やかに包んでいられたらと願っていた。
夫もそれを認めてくれていた。
無骨な手はだからこそ薄青の珍しい小鳥をとらえ、そして壊していった。
小鳥は鳴かなかった。美しい羽を持ちながら誇ることもなく。
女はその死まで、小さな体を抱いたことがなかった。
短い命を精一杯愛したのは、病気の幼い少女であった。
自分の、帰る場所は、どこにあるのだろう。
星を見上げる女の頬をひとしずくふたしずく、涙がこぼれ落ちていく。
星の向こうに、女が心から愛した者がいた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。




