第7話 水と光の回廊、最初の番人
第7話 水と光の回廊、最初の番人
鉄製の扉は、想像以上に重かった。
ロイシュとタエンが肩を入れて押し込むと、ぎい、と低く錆びた音を立てながら、ゆっくりと内側へ開いた。
その隙間から、ひんやりと湿った空気が流れ出してくる。
地下水の匂い。
そしてどこか金属が焼けたような、異質な匂い。
「……ここが、首都の下か」
タエンの声が、わずかに震えた。
暗闇の奥には、階段が続いている。
石造りの古い階段だ。最近掘られたものではない。明らかに最初からここにあった構造だった。
エルディアが油灯に火を入れる。
揺れる橙色の光が、狭い通路を照らし出した。
「慎重に行こう。
ここから先は、薬も理屈も、どこまで通じるか分からん」
ロイシュは頷き、リナの背に手を添えた。
「離れるな。音がしたらすぐ止まれ」
「……はい」
三人と一人は、ゆっくりと地下へ降りていった。
◇ ◇ ◇
階段は、思った以上に深かった。
二十段、三十段……
数えるのをやめた頃、足元の石がぬらりと濡れ始めた。
地下水だ。
壁の隙間から、絶えず水が滲み出している。
それは雫となり、やがて細い水路となって、階段の脇を下へ流れていく。
「……この水が、首都の小麦畑へ」
ロイシュが低く呟いた。
「そして、森へ、池へ、谷へ……」
やがて階段は、広い通路へと繋がった。
そこは――
石と水と光でできた、奇妙な回廊だった。
床には浅く水が張られ、天井から青白い光が脈打つように降り注いでいる。
光源は見えない。
だが一定のリズムで、明滅していた。
ゴウン……ゴウン……
遠くから、あの鼓動の音が聞こえてくる。
リナの石が、まるで呼応するように同じ拍動で光った。
「……近い」
リナの声は、耳元で囁かれるほど小さい。
だが、はっきりとした確信がこもっていた。
回廊の壁には、無数の溝が走っている。
水はそこを伝い、一定の方向へと流れていた。
――まるで、血管。
ロイシュの胸に、言い知れぬ戦慄が走る。
「……これは装置だ。
生き物じゃない、だが……生きてる」
そのとき、足元の水面が、ふいに揺れた。
さざ波ではない。
下から、何かが“触れた”ような揺れ方だ。
「止まれ」
ロイシュが低く命じる。
全員が動きを止めた瞬間、
水面の下で、影が――動いた。
形は分からない。
だが、人よりも大きい何かが、通路を横切ったのは確かだった。
次の瞬間、回廊の先に青白い光が一つ、灯った。
それは人の背丈ほどの位置に浮かび、
やがて、輪郭を形作っていく。
「……来る」
エルディアが、短く告げる。
光は、やがて像となった。
それは――
まるで、人の姿を模した、水と光の集合体だった。
輪郭は曖昧だが、頭と胴と四肢の形はある。
水が集まり、光が神経のように走っている。
番人。
言葉にすると、その二文字が自然に浮かんだ。
番人は、無音で一歩、こちらへ踏み出した。
その足元から、水が波紋を描く。
リナの石が、まばゆく光った。
番人が、ぴたりと動きを止める。
「……照合、している」
エルディアが歯を食いしばるように言った。
「石を鍵として、こちらを識別している……」
番人の胸部に、光の筋が走った。
次の瞬間、低く機械じみた音が空気を震わせた。
――ゴウ……ン……
それは声のようでもあり、ただの振動のようでもあった。
ロイシュは、ゆっくりと一歩前へ出た。
「俺たちは敵じゃない。
この装置の異常を止めに来た」
通じるはずがない。
だが言葉にしなければ、進めなかった。
番人は、首をわずかに傾けるような仕草をした。
そして――
床の水が、一気に盛り上がった。
「来る!」
タエンが叫び、斧を構える。
番人の腕が、鞭のようにしなり、
水の塊が、一直線にロイシュたちへと撃ち出された。
轟音。
石壁が削れ、水飛沫が回廊いっぱいに広がる。
「散れ!」
ロイシュの声と同時に、四人は左右へ跳んだ。
水撃は通路中央の石床を深く抉り、
そこに新たな水路を作り出す。
「……これが、森や地面を削っていた力か」
エルディアが叫ぶ。
番人は、再び腕を振り上げた。
今度は二本の水流が、交差するように迫ってくる。
「リナ、後ろへ!」
ロイシュは彼女をかばい、壁際へ押しやった。
タエンが雄叫びを上げ、斧を振るう。
「うおおおっ!」
斧は、番人の体に直撃した――
だが、手応えは水を叩いたように軽い。
番人の体が一瞬崩れ、
しかしすぐに、周囲の水を吸って再構成される。
「……効かねえ!」
「斬撃は通らん。
光の核を狙え!」
エルディアが叫ぶ。
番人の胸部、脈打つ青白い光。
そこだけが、異様に凝縮されている。
ロイシュは、腰の短剣を抜いた。
商人の護身用のありふれた刃だ。
「……頼むぞ」
誰にともなく呟き、
迫りくる水撃の隙間を縫って、前へ踏み込む。
足元の水が抵抗となる。
だがロイシュは、歯を食いしばり、全身で踏み切った。
その瞬間――
リナの石が、これまでにないほど強く、光を放った。
青白い閃光が、ロイシュの背を押す。
短剣が、番人の胸の核へ突き立てられた。
――ギィィン……!
金属とも水ともつかぬ、不快な高音。
番人の体に、無数の亀裂が走る。
光が乱れ、拍動が狂い――
次の瞬間、番人は霧のように崩れ落ちた。
水が床に広がり、
青白い光だけが、名残のように揺れている。
静寂が、戻った。
ただ、水の滴る音だけが回廊に響く。
「……勝った、のか?」
タエンが、息を荒らしながら呟いた。
「いや」
ロイシュは、短剣から滴る水を振り払いながら言った。
「これは、入り口の門番にすぎない」
彼の視線の先、回廊の奥――
さらに深く、地下へ続く通路が、青白い光を放ちながら、静かに口を開いていた。
そして、その奥から、
あの鼓動が、よりはっきりと、強く、響いてくる。
ゴウン……
ゴウン……
ゴウン……
まるで、巨大な心臓が、
この国の“すべて”を巡らせているかのように。
リナが、小さな声で言った。
「……呼ばれてる。
あの奥に……本体がいる」
ロイシュは、ゆっくりと仲間たちを見渡した。
「戻るなら、今のうちだ」
誰も、動かなかった。
タエンは斧を肩に担ぎ、
エルディアは薬袋の口を締め、
リナは、石を胸に抱いたまま、真っ直ぐ奥を見つめている。
ロイシュは一度だけ、深く息を吸った。
「……行こう」
こうして彼らは、
この国を裏から支えてきたものの中枢へと、
ついに――
足を踏み入れた。




