表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四嶺の国  作者: ネージュ
4/32

第4話 濁る池、光る石


第4話 濁る池、光る石


 東の街ハナカゲを発ったのは、森の修正を目の当たりにした翌日の朝だった。


 荷台の岩塩はすでに納品済み。

 今のロイシュの馬車は、空に近い。

 だが心だけは、これまでで一番重かった。


(南で橋が狂い、首都で人の心が狂い、東で森そのものが戻された……)


 そして今、向かう先は西の街シジマ。

 自分の生まれ育った、静かな池の街。

 何も起きないはずの場所。起きてほしくない場所。


 エルディアは、別れ際にこう言った。


「もし中枢があるなら、西だ。

 あそこは水脈が集まりすぎている。

 装置があるなら、必ず水を使ってる」


 ロイシュはその言葉を、何度も頭の中で反芻しながら、街道を西へと進んだ。


 ◇ ◇ ◇


 西へ近づくにつれ、土地は次第に湿り気を帯びていった。

 乾いた南の岩肌とも、花の匂いが満ちる東とも違う。

 地面がやわらかく、空気が重く、足元のどこかで常に水音がしている。


 やがて視界が開け、大小の池が幾重にも広がる光景が現れた。


 ――西の街シジマ。


 風は弱く、空は静かだ。

 水面は鏡のように空を映し、雲がゆっくりと流れている。


(……変わってない)


 ロイシュは胸の奥で、ほっと息を吐いた。

 少なくとも“見た目”は、いつもの故郷だった。


 街に入ると、湿った土の匂いと、魚を干す匂いが混ざり合って鼻をついた。

 行き交う人々の顔も見知ったものばかりだ。


「……ロイシュか?」


 不意に、声をかけられた。


 振り向くと、網を肩に担いだ壮年の漁師が立っていた。

 西の街の腕利き――タエンだった。


「久しぶりだな。首都暮らしって聞いてたが」


「仕事で戻っただけだ。……あんたも、相変わらずだな」


 二人は軽く言葉を交わした。

 だがロイシュは、すぐに異変に気づいた。


 タエンの網の中の魚が、どれも小ぶりなのだ。

 しかも、水気がやや濁っている。


「最近、魚の具合がよくないのか?」


 タエンは一瞬だけ、視線を池の方へ流した。


「……一部の池だけ、な。濁るようになってきた」


 ロイシュの胸が、ひくりと跳ねた。


「昔は、こんなことなかったはずだ」


「俺もそう思う。

 だが、不思議なことに……翌日には元に戻ってる」


 修正。

 東の森で聞いた言葉が、脳裏に重なった。


「濁ったまま、にはならないのか?」


「ならん。

 だから皆、あまり気にしてない。

 だが……」


 タエンは、少し言い淀んだ。


「この前、娘が変なものを拾った」


 ロイシュは、思わず息を呑んだ。


「……変なもの?」


「光る石だ。

 池の浅瀬で見つけたらしい。

 西の石にしちゃ、やけに綺麗でな。記念にって持ち帰らせた」


 胸の奥で、何かが“カチリ”と音を立てた。


「その石……見せてもらえるか?」


「構わんが……急にどうした?」


「……仕事の延長だ」


 嘘ではなかった。だが事実の一部しか言えない。


 ロイシュはタエンの家へ案内された。

 木造の素朴な家。昔、魚の買い付けに来たときに何度も訪れた場所だ。


 戸を叩くと、奥から小さな足音がした。


「はい……?」


 戸を開けたのは、まだ幼さの残る少女だった。

 黒髪を後ろでまとめ、少し警戒した目でこちらを見ている。


 タエンの娘――十四歳。


「……初めまして」


 ロイシュは、ぎこちなく頭を下げた。


「父さんの知り合いだ。ロイシュっていう商人だ」


 少女は小さく会釈したが、その視線はすぐにロイシュから逸れた。


 奥へ案内され、居間の卓の上に、布に包まれたそれが置かれた。


「これだ」


 タエンが布をほどく。


 次の瞬間、ぼんやりと青白い光が室内に滲んだ小さな石だった。


 水に濡れたような質感。

 表面には、かすかな文字のような模様。


 ロイシュの背筋に、ぞくりとしたものが走った。


(南の谷で見た、あの光と……同じだ)


「娘が拾ってきたとき、大したもんだと思ったが……」


 タエンの言葉が、遠のく。


 ロイシュの視線は、石から離れなかった。


 そのときだった。


 石が――ごく微かに、脈打つように光った。


 同時に、ロイシュの胸の奥に、奇妙な圧迫感が走る。

 まるで、水の底から何かに握られたような感覚。


「……触るな」


 彼自身も気づかぬうちに、そう呟いていた。


 タエンと娘が、同時にロイシュを見る。


「触らない方がいい」


「どうしてだ?ただの石だろう?」


「……ただの石じゃない」


 言葉にした瞬間、ロイシュは確信していた。

 この石は――源だ。


 そのとき、外でどよめきが起きた。


「おい!池が……!」


 誰かの叫び声。

 ロイシュ、タエン、そしてタエンの娘は同時に外へ飛び出した。


 家の裏手の池。

 ふだん澄みきっているはずの水面が、黒く濁っていた。


 しかも、それは自然な濁りではない。

 水の“中”が、まるで煙のように揺れている。


「昨日までは、確かに澄んでいた……!」


 集まった漁師たちの声が震える。


 そして――

 池の中央が、わずかに盛り上がった。


 水が押し上げられるように、円を描いて膨らむ。


 その瞬間、ロイシュの視線が無意識に石へ戻った。


 石が、先ほどよりもはっきりと光っている。


「……連動している」


 ロイシュの喉から、かすれた声が漏れた。


 池の水が揺れ、闇のような影が水底を這う。

 それは生き物ではない。

 だだ動きだけは、確かに存在していた。


 タエンの娘が震えた声で言った。


「……この石、拾ってから時々……夢を見るんです」


 ロイシュは彼女を見た。


「どんな夢だ?」


「……水の底。すごく深いところから、

 上を見てる夢です」


 背筋を、冷たいものが貫いた。


 南の谷で、自分が見た光景。

 谷底のさらに下から、こちらを見上げていた何か。


 それと同じだ。


「……タエン」


 ロイシュはゆっくりと言った。


「その石は、この国の異変の中心にある可能性が高い」


「……なんだと?」


「南で、東で、首都で、

 すでに世界は、少しずつ狂い始めている」


 タエンは言葉を失った。

 タエンの娘は石を胸に抱きしめたまま、震えている。


 池の水はやがて静まった。

 黒い濁りも、数分で嘘のように消えていく。


 だがロイシュは、確信していた。


 これは始まりだ。


 石がここにある限り、

 この国の修正された平穏は、いつか必ず破綻する。


 ロイシュは、ゆっくりとタエンの娘の前に膝をついた。


「……君の名前を、教えてくれるか」


 少女は少し戸惑ったあと、か細い声で答えた。


「……リナ」


「リナ。その石は、もうただの拾い物じゃない。

 この国すべてを揺らす鍵になってしまった」


 彼は、はっきりと言った。


「首都へ来てほしい。

 そして、東の街の薬師エルディアにも会ってほしい」


 タエンが叫ぶ。


「ふざけるな!娘を危険な場所へ――」


「放っておいても、危険は向こうから来る」


 ロイシュは、初めて感情を強く滲ませた。


「さっきの池がその証拠だ」


 沈黙が落ちた。


 風のない西の街で、

 水だけが、微かに音を立てて揺れていた。


 こうして――

 ロイシュは、世界循環装置の心臓部と、

 最初の 運命的な同行者 に出会ったのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ