次世代編 最終話 壊すために、生かす
次世代編 最終話 壊すために、生かす
首都の夜明けは、重かった。
暴動の名残。
崩落した市場の穴。
そして、人々の間に残る消えかけた奇跡の期待。
腐らない食は、確かに衰え始めていた。
だが、完全には終わっていない。
――第二の心臓は、まだ生きている。
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地下管理通路。
リナ、ユイ、ロイシュは、再び同じ場所に立っていた。
あの取引の管の前。
「……反応は鈍っている」
リナが低く言った。
「熱も冷えも、
首都への送出量は、半分以下……」
「……ロイシュさんの商談が、
本当に時間を作った……」
ユイが呟く。
ロイシュは、静かに首を振った。
「……時間を作った、だけだ」
「こいつは……
奪うという行為そのものだ」
「壊されると学習した以上、
次はもっと巧妙になる」
そして――
もう二度と、人の目に見える奇跡としては現れない。
それが、彼の確信だった。
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地下深く。
再び三人は、第二の心臓の前に立っていた。
赤黒い塊は、
以前よりも、わずかに小さく見える。
だが、
その鼓動は――
より静かに、より深く、
より狡猾に変質していた。
ゴウン……
ゴウン……
まるで、
次の餌はどこだ
とでも言うように。
「……もう、選ばせてはいけない」
リナが、はっきりと言った。
「これは交渉する存在になった。
つまり――
放っておけば、必ずを選んで殺す存在になる」
ユイの胸が、強く打った。
「……壊すしか……ないんですね……」
ロイシュは、ゆっくりと頷いた。
「……ああ。
今度こそ、完全にだ」
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だが――
ユイの手が、震えた。
温度計が、狂ったように振れる。
零度。
六十度。
零度。
六十度。
「……待って……ください……!」
二人が、驚いてユイを見る。
「……この心臓……
いま、弱っています……」
「……何?」
リナが、即座に共鳴した。
「……確かに……
脈動が……
奪うリズムではなく、
保とうとする波形に……」
ロイシュは、目を細めた。
「……俺の“商談”で、
“奪う相手”を失った結果か……」
第二の心臓は、
欲の流れを遮断された今、
自分自身の構造を、
壊さないように保つ段階に入っていた。
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その時。
ユイは、
心臓に伸びる無数の管の一本が――
氷室方向に戻ろうとしているのを感じ取った。
「……先生……!」
「……ええ……」
リナも、察する。
「……このまま壊せば……
最後に残った冷えが……
一気に、
すべて解放される……」
それはつまり――
北の氷室、
南の鉱脈、
首都の地下水路、
そのすべてに、
極端な温度反動が起きる可能性。
即ち――
人死にが出る。
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沈黙。
重く、長い沈黙。
今すぐ壊せば、
確実に世界は救われる。
だが――
誰かは、死ぬ。
今壊さなければ、
第二の心臓は必ず進化し、
もっと多くの人が、
もっと無残に死ぬ。
ユイは、唇を噛みしめ、
小さく、しかしはっきりと言った。
「……わたし……
測れる時間が、
まだ……
三十六分……あります……」
二人が、息を呑む。
「……完全に均衡が崩れて暴発するまでの……
猶予です……」
ユイは、泣きそうな顔で笑った。
「……それまでに……
少しずつ切り離せば……
誰も……死なない……」
ロイシュは、震える声で言った。
「……お前……
それ……
氷室を壊すって言ってるのか……?」
ユイは、頷いた。
「……はい……」
氷室。
北の街の命脈。
ユイの居場所。
それを――
自分の手で、犠牲にする提案。
リナは、目を閉じた。
「……あなたは……
測る者じゃなく……
選ぶ者になったのね……」
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決断は、下された。
順次切断。
氷室ライン――遮断。
南鉱脈ライン――減圧。
首都水路――流量制御。
そして最後に――
第二の心臓本体を、
完全孤立させて、自壊させる。
それは、
誰もやったことのない――
循環を殺すための、外科手術。
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三十六分間。
氷室では、
最後の冷気が、
ゆっくりと抜けていった。
南では、
岩塩層の赤熱が、
徐々に沈静化した。
首都では、
井戸水の異様なぬるさが、
静かに戻っていった。
人々は、理由も分からず、
ただ――
世界が元に戻りつつあるのを、
肌で感じていた。
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地下。
第二の心臓は、
無数の管を失い、
中央で、小さく、
震えるだけの塊になっていた。
ゴウン……
ゴウン……
ゴウン……
その音は、
もはや欲の鼓動ではない。
孤立した存在の、最後の生存反応。
ロイシュは、ゆっくりと一歩前へ出た。
「……これで終わりだ」
彼は、かつてと同じ場所に、
今度は交渉ではなく、
終わらせる塩を置いた。
――溶けない岩塩。
だが今回は、
ゆっくりと、確かに溶けていった。
白い塩が、赤黒い核に染み込み、
音もなく、
奪う性質そのものを中和していく。
第二の心臓は――
一度だけ、大きく脈打ち。
そして――
二度と、動かなかった。
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地鳴りは、なかった。
爆発も、なかった。
ただ――
世界の中から、
一つの歪みが、
静かに消えた。
それだけだった。
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地上。
首都の崩落口から漏れていた赤い光が、
ゆっくりと、完全に消えた。
人々は、理由も分からないまま、
ただ、深く息を吐いた。
「……終わった……?」
「……なんだか……
ちゃんと寒い……」
それは、
普通の世界が戻った
という、何よりの証拠だった。
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数日後。
北の街。
氷室は、完全に停止していた。
中は、ただの石の倉庫になっていた。
だが、誰も泣かなかった。
人々は、井戸と地上保存と、
新しい知恵で、
必死に、次の冬の準備を始めていた。
ユイは、氷室の入口の前で、
小さな温度計を静かに外した。
「……ありがとう……」
それは、
氷室に向けた言葉であり、
自分自身に向けた言葉でもあった。
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首都の外れ。
丘の上で、
リナ、ロイシュ、ユイの三人は、
沈みゆく夕日を見ていた。
「……これで……
勝手に救われる時代は……
本当に、終わりましたね……」
ユイが、呟く。
リナは、静かに頷いた。
「……ええ。
これからは、
必死に生きなければ、
救われない時代よ」
ロイシュは、遠くを見つめた。
「……それでいい」
「世界は――
楽になるためにあるんじゃない。
選ぶために、ある」
ユイは、夕焼けに目を細め、
小さく微笑んだ。
「……わたし……
これからも、測ります」
「冷えも、熱も、
人の不安も……」
「……すべてが……
また、壊れないように……」
リナは、優しく言った。
「……あなたはもう、
立派な次の管理者よ」
ロイシュは、少し照れたように、
視線を逸らした。
「……俺は、
もう二度と……
心臓を止める役は、やらんからな……」
ユイは、くすっと笑った。
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その夜。
地下深く、
かつて第二の心臓があった空間には――
何も、残らなかった。
熱も、冷えも、
欲も、恐怖も、
すべて――
人の世界へ、還された。
だから、世界は再び――
不便で、不完全で、
それでも、生きている循環へ戻ったのだった。




