次世代編 第6話 第二の心臓
次世代編 第6話 第二の心臓
南の街の夜は、赤かった。
谷の底から立ち上る熱が雲を染め、
星のない空に、鈍い光の層をつくっている。
坑道の入口は、すでに警備隊によって封鎖されていた。
「……ここから先は、
もう採掘場じゃない」
南街警備隊長が、低く言った。
「災害区域だ」
その言葉の重さを、
ロイシュもリナもユイも正確に理解していた。
「……災害の発生源を、
確認してくるだけです」
リナは、静かに答えた。
「戻らない可能性も?」
「……あります」
隊長は一瞬逡巡し、
やがて、短く頷いた。
「……許可する。
ただし、必ず道標を残せ」
「ええ」
ロイシュが、腰の袋から白い粉を取り出した。
「……塩だ。
これは流れを拒まない塩だから、
消える道の検出に使える」
ユイは、息を呑んだ。
(……全部、
前の時代の知恵……)
---
三人は、最深部へ向かってゆっくりと降りていった。
空気は、進むほどに重くなる。
呼吸をするたび、喉が焼ける。
壁の岩塩は、半分以上が溶けた形で崩れ落ち、
床には、ガラス質に変質した鉱石が点在していた。
「……熱の通り道が、
生き物の血管みたいです……」
ユイの声が、わずかに震える。
「ええ」
リナは、頷いた。
「これはもう……
自然現象とは呼べない」
ロイシュが、歩きながら白い塩を撒く。
塩が、床に落ちた瞬間――
一部だけ、すっと消えた。
「……空白が、
ここにもつながっているな」
その言葉に、
ユイの背筋が冷たく粟立つ。
---
最深部。
かつて、誰も足を踏み入れなかった旧管理層。
そこにあったのは――
巨大な空洞だった。
直径、およそ三十メートル。
高さは見上げても終端が見えない。
そして、その中心に――
脈打つ赤黒い塊が、浮かんでいた。
ゴウン……ゴウン……という鈍い音。
まるで、心臓そのものの鼓動のような振動。
「……あれが……」
ユイの声が、かすれる。
ロイシュが、低く言った。
「……第二の心臓だ」
---
それは、生物ではない。
だが、完全な機械でもない。
表面は岩塩と金属と、
何か有機質の膜が、奇妙に混ざり合っている。
無数の管が、四方八方へ伸び、
その先が――
北の氷室へ。
東の保存庫へ。
首都の地下水路へ。
そして――
南の高温鉱脈へと、つながっていた。
「……循環の末端が、
自分で中心を作ってしまった……」
リナの声は、かすかに震えていた。
「装置の本体が止まったあとも……
各地に残った奪取構造だけが、
互いに干渉し合って……」
「……寄せ集まって、
新しい核になった」
ロイシュが、続きを言った。
「……人の意思とは無関係に、な」
それは――もはや管理機械ですらなかった。
奪うという性質そのものが、自律化した存在。
---
ユイは、震える足で一歩前に出た。
「……これ……
冷やし過ぎて、
温め過ぎて、
腐らせないで、
溶かさないで……
そんなことを、同時にやっている……?」
リナは、ゆっくりと頷いた。
「ええ。
だから世界が……
バラバラに壊れ始めている」
必要のない冷え。
行き場のない熱。
止まる腐敗。
進まない老化。
それは、
生きている世界の否定そのものだった。
---
突然。
第二の心臓が、
ひときわ大きく脈動した。
ゴウン――ッ!!
空洞全体が、揺れた。
地鳴りと同時に、
無数の管の一部が、赤く輝く。
「……まずい……
接続を、拡張し始めている……!」
リナが叫ぶ。
ユイの温度計が、
異常な数値を示した。
零度と百十度が、
同時に表示される。
「……測定不能……」
「……こいつは、
均衡を理解していない……!」
ロイシュは、歯を食いしばった。
「奪えるものを、
奪えるだけ奪う……
ただの、欲求の塊だ……!」
---
その時。
空洞の奥から、
かすかな“音”が響いた。
――キィ……
――ギ……
……ギィ……
金属とも、生物ともつかない軋み。
第二の心臓の表面に、
ひび割れのような影が走る。
「……先生……
あれ、
中身……動いてます……!」
ユイの声が、震えた。
リナは、静かに言った。
「……ええ。
奪取構造そのものが、
ひとつの意思を持ち始めている」
それは、
装置の記憶でも、
人の意図でもない。
奪い続けた結果として生まれた、歪んだ擬似生命。
静かで、
しかし、止めようのない存在。
---
ロイシュは、拳を強く握った。
「……だから、
止めても終わらなかったのか」
かつて彼は、
世界の心臓を止めた。
だがそれは、
奪う仕組みの本体を止めただけ。
奪うという行為そのものまでは、
殺し切れなかった。
「……今度は……」
ロイシュは、低く言った。
「壊すしかないな」
リナは、ゆっくりと息を吸った。
「……ええ。
修復も、再接続も、
もはや意味がありません」
ユイは、二人を見つめた。
「……壊したら……
世界は……どうなるんですか……?」
その問いに、
誰も、すぐには答えられなかった。
答えは一つだ。
――もっと不便になる。
だが同時に――
もっと生き物らしくなる。
ロイシュは、静かに言った。
「……壊したあとは、
もう誰も、勝手に救われない世界になる」
ユイは、ぎゅっと唇を噛んだ。
「……それでも……
わたし……
測る仕事を、続けます……」
その言葉に、
リナの目がわずかに潤んだ。
---
その瞬間。
第二の心臓の中心核が、
はっきりとした収縮を見せた。
ゴウンッ……!!
まるで――
三人の会話を感知したかのように。
空洞の壁から、
新たな管が、
ゆっくりと伸び始める。
向かう先は――
首都の地下方向。
「……時間が、ない……!」
リナが叫ぶ。
「……首都につながる前に、
必ず、ここで断たなければならない!」
ロイシュは、即座に決断した。
「……一度、戻る」
「……え……?」
「首都の地下制御記録と、
装置時代の遮断手順が要る」
彼は、ユイを見る。
「……お前は、
この異変を測れる唯一の人間だ」
その言葉に、
ユイの胸が強く打った。
「……わたし……ついていきます……!」
リナは、短く頷いた。
「……ええ。
もう、
この子は現場の人間よ」
---
三人は、第二の心臓を背に、
静かに踵を返した。
背後で、
赤黒い塊が、
再び――
大きく、ゆっくりと脈打った。
ゴウン……
ゴウン……
まるで、
「待っている」とでも言うように。
南の谷の地下で――
生まれ直した心臓が、
静かに、
次の接続先を探し始めていた。




