次世代編 第5話 運ばれてくる異常
次世代編 第5話 運ばれてくる異常
首都へ向かう街道は、今日も変わらず人と荷で溢れていた。
岩塩の樽。
保存魚の箱。
北の根菜、南の鉱石、東の染布。
それらが、いつも通り循環している――
そのはずだった。
だが、その荷台のひとつに、
いつもと違う匂いが混じり始めていた。
「……腐ってないのに、甘い……」
馬上で首をかしげたのは、
公認岩塩商人――ロイシュ。
四十を越えたが、背筋はまだ真っすぐで、
目だけが、より鋭くなっていた。
(……首都の赤い小麦の時と、
同じ匂いの質だ)
彼は、馬車を止め、
南から届いた保存肉の箱を一つ開けた。
中身は、見た目も色も正常。
腐敗の兆候なし。
だが――
鼻腔の奥に残る、
微かに焼けた甘さ。
「……いやな予感がする」
彼は、荷印を確認した。
南・第一坑道沿い保管庫。
――ちょうど、南で「高温鉱脈」の報が出た場所だ。
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首都の市場。
ロイシュは、いつもの取引先ではなく、
異常品だけを扱う検査商の屋台へ向かった。
「……十年ぶりだな、ロイシュ」
しわだらけの商人が、目を細めた。
「……同窓会には、まだ早い」
「違いない。
で、この匂いを持ってきたってことは――
また始まったって顔だな」
ロイシュは、無言で箱を差し出した。
検査商は、肉片を薄く削ぎ、
火口であぶり匂いを嗅ぐ。
「……やはりな」
「何だ」
「腐敗じゃない。
保存限界そのものが、延びている」
ロイシュの眉が、わずかに動いた。
「……延びている?」
「本来、塩と冷気で止まる分解が、
別の力で止められている」
検査商は、低く言った。
「――昔と、同じだ」
ロイシュの胸の奥で、
重たい歯車が、再び回り始めた。
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その夜、ロイシュは補助金庁舎に立ち寄った。
もちろん、正式な用件は岩塩の配給調整だ。
だが、本当の目的は別だった。
「……異常保管品の記録を見せてほしい」
窓口の役人が、怪訝な顔をする。
「ロイシュ殿、それは――」
「国の循環を、
止めた男の名前で申請する」
一瞬、空気が凍った。
やがて役人は、無言で奥へと消え、
分厚い帳簿を運んできた。
そこに並ぶ記録。
腐らない保存魚(南)
発酵が止まらない漬物(東)
温度が下がらない氷水(北)
そして――
常温で溶けない岩塩(南)
「……北・南・東……」
ロイシュは、ゆっくりと帳簿を閉じた。
「やっぱり、
また、歪み始めているな」
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翌日。
ロイシュは、久々に単独遠行の支度をしていた。
護衛なし。
随行なし。
積むのは、商材ではなく――
**情報と、過去の記憶**だ。
向かう先は、南。
「……まったく。
一回止めた心臓が、
今度は別の場所で鼓動を始めるとはな」
誰にともなく、呟く。
馬にまたがり街道へ出る。
その背中を首都の城が静かに見送っていた。
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同じ頃。
南の街の外れ、
封鎖された坑道の上で――
リナとユイが、
冷えた一点の測定を続けていた。
「……先生、
ここ……また温度が……」
「……上がってるわね」
冷えと熱の境目が、
徐々に移動している。
まるで、
地下の何かが、
自分の居場所を探すように。
その時。
南への街道から、
一台の馬が近づいてきた。
「……誰か来る」
「……あの乗り方……」
リナは、一瞬で悟った。
「――ロイシュね」
馬上の男と、
その名を呼ぶ薬師の視線が、
遠くから、確かに重なった。
北で別れ、
南で再び交わる視線。
それは、
第二の異変を挟んだ、
三人の運命の合流点だった。
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ロイシュの馬が止まる。
彼は、リナとユイを順に見て、
低く言った。
「……予感が、当たったな」
リナは、苦く微笑んだ。
「……ええ。
商人の鼻と、
薬師の感覚が、
同時に同じ場所を指しました」
ユイは、二人を見比べ、
息をのみながら言った。
「……この下に、
まだ何かが、いるんですか?」
ロイシュは、静かに頷いた。
「いる。
そしてたぶん――
前より、質が悪い」
冷えを奪い、
熱を押し付け、
物を腐らせず、
塩を溶けさせない。
それはもう、
管理の装置ではない。
歪みそのものが、
循環の皮をかぶって動いている状態だった。
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南の谷に、再び、生ぬるい風が吹いた。
北では冷気が失われ、
南では熱が噴き上がり、
東では保存が狂い、
首都では腐らない食が広がり始めている。
そして今――
それらをすべて運んでしまう役目の男が、
最前線に戻ってきた。
ロイシュは、谷底を見下ろしながら言った。
「……今度は、
止めれば終わりじゃ済まないぞ」
リナは、うなずいた。
「ええ。
今度は――
人が、最後まで責任を持って、
壊さなければならないものです」
ユイは、小さく拳を握った。
ここからが、
装置なき時代の、本当の戦いなのだと、
十五歳の彼女にも、はっきりと分かっていた。




