次世代編 第3話 流れのない場所
次世代編 第3話 流れのない場所
氷室の全停止事故から、三日が経っていた。
北の街は、表向きは落ち着いているが、
その実、どこか張りつめた空気が残っている。
配給は減った。
保存食の計算は、すべて余裕なしで組み直された。
そして――
氷室の地下水路は、いまだ 完全復旧していなかった。
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「……ここが、問題の地点だ」
ベテラン職人のグラードが、地下通路の奥を指し示した。
石灯りに照らされた水路は、
途中までは確かに水が流れている。
だが、ある地点を境に――
水が消えている。
止まっているのではない。
存在していない。
ユイは、喉を鳴らした。
「……壁が、乾いてる……」
本来、地下水路の壁面は、常に湿っている。
それが、まるで最初から水に触れていなかったかのように乾いている。
リナも、石壁にそっと触れた。
「……ここだけ、
流れた痕跡そのものがない」
「詰まり……じゃ、ないんですね」
「ええ。
詰まりなら、押し返される水の圧が残る」
だがここには、それがない。
流れは、途中から“消された”ように断ち切られている。
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「……水路の石積みを、ここから一段崩す」
グラードが低く言った。
「中を直接、確かめるしかない」
職人たちが、重い工具を運び込む。
慎重に石を外すと――
その奥には、想定されるはずの水の空洞がなかった。
あるのは、
不自然な空白。
「……なんだ、これ……」
空洞は、石や土ではなく、
まるで最初から何もなかった部分のように、
滑らかに削られて存在していた。
人工でも、自然でもない。
空間そのものが失われた跡。
ユイの背筋を、冷たいものが走る。
(……似てる……)
どこかで、見た感覚。
けれど、それが何かまではまだ掴めない。
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「……この空白の向こう、
水路はどうなっている?」
リナが問いかける。
「……地図上では、
この先で井戸第六水源と合流しているはずです」
「……はず?」
「実際に、掘って確かめたことは……ない」
沈黙。
北の街の氷室水路は、
旧時代の設計を流用した半分だけ人の施設。
すべてが、
人の手で把握されているわけではなかった。
「……つまり」
リナが静かに言う。
「人の知らない経路が、
いま、人の知らない方法で断たれた可能性がある」
誰も、否定できなかった。
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その夜。
ユイは、氷室の管理室で古い設計図を広げていた。
羊皮紙に描かれた、
歪で曖昧な地下網。
そこには、いくつかの線が途中で意味もなく途切れている部分がある。
「……これ……
仮設水路って、書いてある」
欄外の小さな文字。
半世紀以上前、
装置と併用されていた頃の暫定構造。
つまり――
人が完全に理解していないまま、使い続けてきた水路。
ユイの理解が、
ゆっくりとだが確実に追いついてくる。
(……わたしたちは……
分からない場所の上で、
仕事をしていた……?)
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そこへ、リナが静かに入ってきた。
「……眠らなくていいの?」
「……眠れません」
ユイは、図面を指さした。
「この仮設水路……
誰が、作ったんですか」
「……おそらく、
装置時代の管理工たち」
「……じゃあ、その人たちは……
どこまで、この水路を理解していたんですか」
リナは、しばらく黙っていた。
「……理解していなかった可能性もある」
「……」
「装置の時代は、
整ってしまう世界だった」
だから、
整っていれば、理由を考えなくても済んでいた。
そのツケが、
今、氷室に返ってきている。
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翌朝。
職人団による、
第二次掘削調査が始まった。
例の空白の先を、
慎重に、少しずつ切り開く。
半日後。
ようやく露出した先に――
誰も知らなかった古い地下空間が現れた。
「……部屋……?」
それは、部屋とも、空洞ともつかない、
奇妙な形状の空間だった。
壁面は、黒い石で覆われ、
どこにも接合の跡がない。
そして床には――
水が、まったくない。
本来なら、
ここは水の通り道でなければならない場所。
だが今は、
完全な無流地帯になっていた。
「……ここが、水を奪った場所……?」
ユイの声が、震えた。
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リナは、そっと床に膝をついた。
掌を当て、
目を閉じ、
流れを探る。
「……熱も冷えもない」
「……どういうことですか」
「ここは……
循環から切り離された場所よ」
水も、熱も、
入っても来ないし、
出ても行かない。
まるで――
世界の配管から、ここだけ切除されたかのような空間。
その瞬間。
ユイの脳裏に、
はっきりとした感覚がよみがえった。
――氷室が止まった瞬間に感じた、
吸い抜かれるような冷え。
「……先生」
「……何?」
「……これ……
誰かが切ったと思いますか」
リナは、すぐには答えなかった。
だが、
その沈黙こそが答えだった。
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夜。
リナとユイは、診療所の裏室で向かい合っていた。
「……これは、
自然災害ではありません」
「……やっぱり」
「そして、
ただの老朽化でも、ありません」
リナは、低い声で告げた。
「装置が止まっても、
あの仕組みは……
まだ、完全には死んでいない」
ユイの胸が、強く打たれた。
「……この街の下に……
まだ、何かがある……?」
リナは、ゆっくりと頷いた。
「……そう」
そして、
初めて、はっきりとこう言った。
「それは――
奪う循環の残骸よ」
装置が機能していたとき。
世界は勝手に回っていた。
だがそれは、
どこかから奪い続けることで成立していた循環でもあった。
ロイシュが止めたのは、
その中心。
――だが、
末端は、まだ惰性で動き続けている可能性がある。
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その夜。
誰もいなくなった地下空間で――
かつて水が流れていた“空白”の奥、
誰にも見えない場所で、
再び、かすかな脈動が走った。
それは、氷でも水でも熱でもない。
欠損した循環そのものが、
まるで生き物のように、
ほんの一瞬――身じろぎした。
そして、
北の街の地下で、
第二の異変は、静かに方向を定め始めた。




