スピンオフ 第4話 同じ傷、違う結末
スピンオフ 第4話 同じ傷、違う結末
東の街ハナカゲに、秋の気配が降りてきていた。
森の葉はまだ青さを残しているが、
朝の空気はひんやりと冷え、
薬草庫では乾燥棚の配置が冬用に変えられ始めている。
リナは、見習いとなって半年が過ぎていた。
文字はまだ拙いが、
カルテを書く速度は目に見えて上がり、
止血や固定の作業は、もう手が考える域に入りつつあった。
だが――
それでも彼女の胸の奥には、
決して消えない一つの顔があった。
最初に救えなかった、
あの狩人の顔。
---
その日の午後、ギルドに一人の男が運び込まれた。
「……猪だ!」
「脇腹をやられている!」
担ぎ込まれた瞬間、
リナの足が、わずかに止まった。
――右脇腹。
――深い裂創。
――大量出血。
半年前と、
あまりにも似すぎている。
胸が、強く締めつけられる。
(……また、同じだ……)
一瞬、視界が白くなる。
だが次の瞬間、
彼女は自分の太腿を、爪が食い込むほど強くつねった。
「……大丈夫。
今回は……今のわたしで見る」
そう、小さく呟いて前に出た。
---
男は、若かった。
二十代前半。
森の木こりだという。
運ばれてきたときには、
まだ意識があった。
「……すまねぇ……
俺……死ぬか……?」
その言葉が、
あの夜の狩人と重なって聞こえ、
リナの胸がきしんだ。
だが、今回は違う。
リナは、はっきりと男の目を見て言った。
「死なせません。
……生きて、また森に行きましょう」
言葉は震えていたが、
視線は逸らさなかった。
---
処置が始まる。
血の量。
脈の速さ。
皮膚の冷え。
腹部の張り。
すべてが、
前回よりも冷静に目に入ってくる。
(……内臓までは、まだ届いていない)
だが、出血量は多い。
このままでは、前と同じ結末を辿る。
――あの時、自分は止血に意識を向けすぎた。
――本当に必要だったのは、流れを作り直すことだった。
「……先生」
リナは、フォルンを見上げた。
「止血だけでは、間に合いません。
この人……このままだと中から弱っていきます」
フォルンは、鋭い目でリナを見た。
「……続けろ」
「血を止めながら、
体の巡りを回復させる処置が必要です。
温薬と循環刺激同時に行いたい」
「リスクは?」
「……高いです。
でも、何もしなければ……」
あの夜の「ダメか」という声が、脳裏をよぎる。
だが、今度は違う。
「……今度は、迷いません」
フォルンは一瞬だけ静かに目を閉じ、
次の瞬間、はっきりと頷いた。
「……やれ。
責任は、私が持つ」
---
温薬が用意され、
リナは男の腹部と背に、慎重に手を当てる。
水の感覚が、静かに広がる。
滞った流れ。
冷えた内側。
逃げ場を失った血。
(……怖くない。
前より、はっきり見える)
リナは、呼吸を合わせるように、
そっと圧を加え、次に緩め、
流れる方向を身体に思い出させる。
額に汗が滲む。
腕が、震える。
だが――
血の色が、ほんのわずか、明るくなった。
「……っ」
ミュリエが、息を呑む。
「……巡りが、戻ってきてる……!」
リナは、歯を食いしばった。
「まだ……まだです……!」
温薬の匂いが強くなる。
男の呼吸が、
ごくわずかに、深くなった。
---
決定的な瞬間は、静かに訪れた。
リナが、最後の圧を抜いた瞬間――
男の腹部の緊張が、ふっと緩んだ。
(……通った)
閉じていた道が、
確かに開いた感覚。
血は、完全には止まっていない。
だが、命を奪う流れではなくなった。
「……いけます」
リナの声は、掠れていたが、確信に満ちていた。
「……この人、助かります」
フォルンは、短く、しかし確かに言った。
「……ああ」
---
夜明け前。
木こりは、浅いが安定した眠りに入っていた。
まだ予断は許さない。
それでも――
峠は越えた。
リナは、処置室の隅に座り込み、
しばらく、立ち上がれなかった。
指先が、熱を持っていた。
あの時の狩人の冷え切った最後とは、
まるで違う温度。
「……同じ傷でも、
同じ結末には、ならなかった……」
ミュリエが、そっと隣に座った。
「……あの日のあなたなら、
きっと救えなかったと思う。
でも今のあなたは……別だ」
リナは、静かに涙をこぼした。
声を立てず、
ただ、静かに。
悲しみではない。
後悔でもない。
越えたという実感の涙だった。
---
数日後。
木こりは、自分の足でギルドの扉を出た。
まだ歩みは頼りない。
だが、確かに戻る背中だった。
「……ありがとうございました」
深く頭を下げる。
リナは、少し照れながらも、はっきりと答えた。
「……森に戻る前に、
ちゃんと、脚を休ませてください」
木こりは、弱く笑った。
「はい、先生」
その呼び方に、
リナの胸が、静かに震えた。
---
夜。
下宿の机に向かい、
リナは今日の処置を書き記していた。
……書き終え、ふと手が止まる。
引き出しの奥から、あの石を取り出す。
光らない石。
もう、二度と光らない石。
それを、そっと机の隅に置いた。
「……あなたが治したんじゃない」
静かに言う。
「わたしが……
人として、治した」
石は、何も答えない。
それで、よかった。
窓の外で、秋の風が森を揺らす。
同じ傷。
違う結末。
それは――
この世界が、人の選択によって変わる世界になったという、
何より確かな証だった。
そしてリナは、その変えられる世界の中で、
これからも、迷いながら、誰かの命と向き合っていく。




