表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四嶺の国  作者: ネージュ
17/32

スピンオフ 第4話 同じ傷、違う結末


スピンオフ 第4話 同じ傷、違う結末


 東の街ハナカゲに、秋の気配が降りてきていた。


 森の葉はまだ青さを残しているが、

 朝の空気はひんやりと冷え、

 薬草庫では乾燥棚の配置が冬用に変えられ始めている。


 リナは、見習いとなって半年が過ぎていた。


 文字はまだ拙いが、

 カルテを書く速度は目に見えて上がり、

 止血や固定の作業は、もう手が考える域に入りつつあった。


 だが――

 それでも彼女の胸の奥には、

 決して消えない一つの顔があった。


 最初に救えなかった、

 あの狩人の顔。


---


 その日の午後、ギルドに一人の男が運び込まれた。


「……猪だ!」


「脇腹をやられている!」


 担ぎ込まれた瞬間、

 リナの足が、わずかに止まった。


 ――右脇腹。

 ――深い裂創。

 ――大量出血。


 半年前と、

 あまりにも似すぎている。


 胸が、強く締めつけられる。


(……また、同じだ……)


 一瞬、視界が白くなる。


 だが次の瞬間、

 彼女は自分の太腿を、爪が食い込むほど強くつねった。


「……大丈夫。

 今回は……今のわたしで見る」


 そう、小さく呟いて前に出た。


---


 男は、若かった。


 二十代前半。

 森の木こりだという。


 運ばれてきたときには、

 まだ意識があった。


「……すまねぇ……

 俺……死ぬか……?」


 その言葉が、

 あの夜の狩人と重なって聞こえ、

 リナの胸がきしんだ。


 だが、今回は違う。


 リナは、はっきりと男の目を見て言った。


「死なせません。

 ……生きて、また森に行きましょう」


 言葉は震えていたが、

 視線は逸らさなかった。


---


 処置が始まる。


 血の量。

 脈の速さ。

 皮膚の冷え。

 腹部の張り。


 すべてが、

 前回よりも冷静に目に入ってくる。


(……内臓までは、まだ届いていない)


 だが、出血量は多い。


 このままでは、前と同じ結末を辿る。


 ――あの時、自分は止血に意識を向けすぎた。

 ――本当に必要だったのは、流れを作り直すことだった。


「……先生」


 リナは、フォルンを見上げた。


「止血だけでは、間に合いません。

 この人……このままだと中から弱っていきます」


 フォルンは、鋭い目でリナを見た。


「……続けろ」


「血を止めながら、

 体の巡りを回復させる処置が必要です。

 温薬と循環刺激同時に行いたい」


「リスクは?」


「……高いです。

 でも、何もしなければ……」


 あの夜の「ダメか」という声が、脳裏をよぎる。


 だが、今度は違う。


「……今度は、迷いません」


 フォルンは一瞬だけ静かに目を閉じ、

 次の瞬間、はっきりと頷いた。


「……やれ。

 責任は、私が持つ」


---


 温薬が用意され、

 リナは男の腹部と背に、慎重に手を当てる。


 水の感覚が、静かに広がる。


 滞った流れ。

 冷えた内側。

 逃げ場を失った血。


(……怖くない。

 前より、はっきり見える)


 リナは、呼吸を合わせるように、

 そっと圧を加え、次に緩め、

 流れる方向を身体に思い出させる。


 額に汗が滲む。


 腕が、震える。


 だが――

 血の色が、ほんのわずか、明るくなった。


「……っ」


 ミュリエが、息を呑む。


「……巡りが、戻ってきてる……!」


 リナは、歯を食いしばった。


「まだ……まだです……!」


 温薬の匂いが強くなる。


 男の呼吸が、

 ごくわずかに、深くなった。


---


 決定的な瞬間は、静かに訪れた。


 リナが、最後の圧を抜いた瞬間――

 男の腹部の緊張が、ふっと緩んだ。


(……通った)


 閉じていた道が、

 確かに開いた感覚。


 血は、完全には止まっていない。

 だが、命を奪う流れではなくなった。


「……いけます」


 リナの声は、掠れていたが、確信に満ちていた。


「……この人、助かります」


 フォルンは、短く、しかし確かに言った。


「……ああ」


---


 夜明け前。


 木こりは、浅いが安定した眠りに入っていた。


 まだ予断は許さない。

 それでも――

 峠は越えた。


 リナは、処置室の隅に座り込み、

 しばらく、立ち上がれなかった。


 指先が、熱を持っていた。


 あの時の狩人の冷え切った最後とは、

 まるで違う温度。


「……同じ傷でも、

 同じ結末には、ならなかった……」


 ミュリエが、そっと隣に座った。


「……あの日のあなたなら、

 きっと救えなかったと思う。

 でも今のあなたは……別だ」


 リナは、静かに涙をこぼした。


 声を立てず、

 ただ、静かに。


 悲しみではない。

 後悔でもない。


 越えたという実感の涙だった。


---


 数日後。


 木こりは、自分の足でギルドの扉を出た。


 まだ歩みは頼りない。

 だが、確かに戻る背中だった。


「……ありがとうございました」


 深く頭を下げる。


 リナは、少し照れながらも、はっきりと答えた。


「……森に戻る前に、

 ちゃんと、脚を休ませてください」


 木こりは、弱く笑った。


「はい、先生」


 その呼び方に、

 リナの胸が、静かに震えた。


---


 夜。


 下宿の机に向かい、

 リナは今日の処置を書き記していた。


 ……書き終え、ふと手が止まる。


 引き出しの奥から、あの石を取り出す。


 光らない石。

 もう、二度と光らない石。


 それを、そっと机の隅に置いた。


「……あなたが治したんじゃない」


 静かに言う。


「わたしが……

 人として、治した」


 石は、何も答えない。


 それで、よかった。


 窓の外で、秋の風が森を揺らす。


 同じ傷。

 違う結末。


 それは――

 この世界が、人の選択によって変わる世界になったという、

 何より確かな証だった。


 そしてリナは、その変えられる世界の中で、

 これからも、迷いながら、誰かの命と向き合っていく。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ