第1話 終わらない橋
第1話 終わらない橋
朝の首都ホウランは、パンの匂いから始まる。
石畳の細い路地に、焼きたての香ばしい香りが流れ込んできて、眠りの残った街を少しずつ目覚めさせていく。
ロイシュはその匂いに背を押されるように、首都の宿で借りている二階の部屋の窓を開け放った。
「……今日も平和だな」
小さくそう呟き、外を見下ろす。
城の尖塔が朝日に照らされて淡く光り、その周囲にはすでに市が立ち始めていた。小麦粉を運ぶ人夫、野菜籠を担ぐ農夫、眠そうな顔のパン職人。どれも見慣れた光景だ。
首都には城壁がない。
それでも誰も不安に思わないほど、この国は長く平和だった。
ロイシュは身支度を整え、階下の宿屋で簡単な朝食をとった。硬めのパンと薄い塩スープ。豪華ではないが、仕事前にはちょうどいい。
「今日も南かい」
宿の女将が木椀を片付けながら声をかけてくる。
「ええ。岩塩の仕入れに。昼過ぎには向こうに着けるはずです」
「若いのに、よく走り回るねぇ。無理だけはしないでおくれ」
ロイシュは軽く笑って答え、宿を出た。
馬車はすでに城下町の倉庫前に待たせてある。
御者は雇っていない。ロイシュは昔から、荷も馬も自分で扱う主義だった。
首都での仕事は要領が決まっている。
補助金申請の書類を役所に提出し、前便の納品確認を取り、その足で岩塩の売値を確認する。
どれも面倒だが、国の補助があるからこそ、冬の岩塩は人々の手に届く。
(補助がなくなったら、この国の暮らしは一気に傾く)
そう考えながらも、ロイシュはそれをただの制度として受け取っていた。
仕組みが壊れるなど、考えたこともない。
必要な用事をすべて終え、彼は南へ向かう荷のない馬車を走らせた。
街道は平坦で、畑の間を縫うように伸びている。
ところどころで、農夫が麦の穂を整えているのが見えた。赤みを帯びた穂が、風にざわざわと揺れている。
南へ向かうにつれて、空気は乾き、風は荒っぽくなっていく。
やがて遠くに谷の影が見え始め、ロイシュは自然と背筋を伸ばした。
南の街カゼイワ。
断崖と鉱石と風の街。
雨や雪は少ないが、代わりに一年中、風が吹き荒れている。
採掘場に到着すると、鉱夫たちの怒鳴り声と金属のぶつかる音が響いていた。
「来たな、ロイシュ!」
顔なじみの岩塩管理官が手を振ってくる。
「今日の分はこれだ。鉱夫の一人が怪我してな、量は少し減ってる」
「この時期は仕方ないですね」
そう答えながら、ロイシュは岩塩の質を一つ一つ確認した。
白く、乾いていて、余計な湿り気がない。上等だ。
(首都と東に回す分には十分だな)
荷を積み終えるころには、すでに昼を回っていた。
鉱夫たちと簡単な食事を済ませ、ロイシュはそのまま首都へ戻ることにした。
谷へ向かう街道に出ると、風が一段と強くなる。
馬が耳を伏せ、蹄を踏みしめながら進む。
そして、あの大橋が見えてきた。
ここから先は、先ほどあなたが上で読んだとおり――
「終わらない橋」と「光る雲」と「崩落」 の体験へと続いていきます。
「よし、行くか。……なあ、今日も頼むぞ」
ロイシュは軽く馬の首を叩いた。栗毛の馬が鼻を鳴らし、ゆっくりと橋へ歩みを進める。
空は晴れ、雲ひとつない。
岩肌には雪が薄く貼り付いているが、道はすでに人々が固く踏み固めていた。見慣れた景色。いつも通りの、冬の南の風景。
ロイシュは心の中で、今日の段取りを反芻していた。
(まずは首都で岩塩を納品して、冬は岩塩の生産量が減るからその補助金の申請書類を出して……そのあと、あのパン屋に寄ってみるか。最近、新しい客を引き寄せてるって噂の……)
そんな取りとめのない予定を組み立てながら、馬車は橋の上へと差し掛かった。
谷から吹き上げる風が強くなる。馬の足取りがわずかに重くなり、車輪が石畳にきしむ音が大きくなった。
けれど、それもいつものことだ。
橋の長さは、感覚で覚えている。
馬の歩幅、車輪が何度きしんだか――それらを合わせれば、「そろそろ渡り切る」というタイミングは、もう身体に染み込んでいた。
ロイシュは一度だけ振り返って、南の街の方を見やった。
遠くに小さく煙が上がっている。採掘場だろう。鉱夫たちの怒鳴り声が風にさらわれ、細い音になって届いてくる気がした。
(あれが終われば、また次の便だ。……まあ、食っていくには困らない。国の補助様様だな)
目を前に戻す。
橋はまっすぐに伸び、谷の向こうの崖へと続いている――はずだった。
ロイシュは眉をひそめた。
(……あれ?)
もうそろそろだ。
足の感覚と時間の流れからすれば、そろそろ反対側の地面が見えてくる。橋を渡り切る直前の、あの“安堵の一歩”が来るはず。
だが、前方はまだ橋のままだった。
石畳が、ただただ真っ直ぐに続いている。
谷の向こう岸は、遥か先にかすんでいるように見えた。
「感覚、鈍ったか?」
苦笑まじりに独り言を零す。
このところ首都と南を行き来するばかりで、少し疲れているのかもしれない。そう思いながら、ロイシュはそのまま前へ進ませた。
風の音が、少しだけ変わった気がした。
谷底の暗がりから吹き上がる風が、耳の奥で“こすれる”ような音を立て始める。
五歩、十歩、二十歩。
それでも、橋は終わらなかった。
(……長くないか?)
ロイシュは無意識に手綱を引き、馬の足を緩めた。
首をひねりながら、ぐるりと辺りを見回す。
いつもなら、前からも後ろからも、歩行者や荷馬車が行き交っている。
鉱夫、旅人、他の岩塩商人。南の街と首都を結ぶこの道は、この地域でもっとも人通りの多い“血管”だ。
だが今、この橋には――
誰もいなかった。
ロイシュと、その馬車。
その二つ以外に動くものはない。
背後を振り返る。
さっきまで見えていたはずの南の街の輪郭は、薄い霞の向こうにぼやけていた。よく見ようと目を凝らすほど、輪郭はかすれていく。
胸の奥で、何か冷たいものが落ちた。
(おかしい)
そう認めた瞬間、世界の静けさが一気に押し寄せてきた。
風の轟音だけがやけに大きく、石畳をたたく蹄の音も、自分の呼吸も、遠くへ置き去りにされてしまったように感じる。
「……おい」
ロイシュは、馬の首筋を軽く叩いた。
馬も落ち着きをなくしたのか、耳を前後へ忙しなく動かしている。
「一度、戻るか」
そう判断し、手綱を引いて引き返そうとした――その瞬間だった。
光が、視界の上端を横切った。
「……?」
反射的に見上げる。
青空のはずのそこに、一本の“白い線”が浮かんでいた。
雲……にしては細すぎる。
糸のように細く、しかし眩しいほどに白く光るそれは、空中に固定されているように見えた。
ロイシュが見つめる間にも、その光の線はじわじわと横に伸びていく。
一本が二本に裂けるのではない。
一本の糸が、そのまま左右に引き延ばされていくような伸び方だ。
やがて、それは橋の横幅と同じ長さになった。
ぴたり、と動きが止まる。
風の音が一瞬、消えた。
次の瞬間――光の線は、真下へと落ちた。
白い閃光が、橋の中央を縦に貫いた。
ロイシュの正面、ほんの数十歩先の石畳が、光の柱に飲み込まれる。
「――ッ!」
遅れて、耳をつんざくような轟音。
足元が大きく揺れ、馬が悲鳴のような嘶きを上げる。
ロイシュはとっさに荷台にしがみついた。
石の砕ける音。
何かが裂ける音。
橋そのものが悲鳴を上げているようだった。
視界がぐらりと傾いた。
前方の橋が崩れ落ちていく。
石畳が断ち切られ、谷底へと吸い込まれる。
粉塵と白い光が混ざり合い、輪郭が溶けていく。
(落ちる――)
頭でそう理解した時には、身体はもう空中に投げ出されていた。
風が全身を叩きつける。
空と谷と橋の残骸が、ぐるぐると混ざり合って視界を回る。
ロイシュは叫ぼうとしたが、自分の声は風にちぎられてどこかへ消えた。
そのとき、視界の隅に、何かがチラリと光った。
谷底のさらに、その下。
闇の中に、青白い光点が瞬いていた――気がした。
そこから伸びる細い線が、橋へ、空へ、と絡みついているように見えた。
まるでこの国そのものを“下から”支えている糸のように。
(……なんだ、あれは――)
問いは、最後まで言葉にならなかった。
頭の中で何かが弾け、すべての音と光が一度に遠ざかっていく。
落ちていく感覚も、風も、痛みも、
すべてがふっと切り離された。
世界が、暗転した。
◇ ◇ ◇
「――おい、聞こえるか」
遠くから、声がした。
「おい、あんた。大丈夫か?」
今度は、もう少し近くで。
まぶたを持ち上げると、灰色の空と、見慣れた男の顔が視界に入った。
鎖帷子の上に厚手のコートを羽織り、胸には南の街の紋章。
南の警備隊の制服だ。
「……隊長、こっち、目を開けました!」
別の声が飛ぶ。職務の声。
異常にあわてた様子はない。
ロイシュはゆっくりと上体を起こした。頭が重い。
身体に痛みは――ない。擦り傷一つ感じない。
周囲を見回して、ロイシュは息を飲んだ。
そこは、橋を渡る“手前”の道だった。
谷を渡る大橋が、目の前に伸びている。
崩れていない。中央に穴もない。
石畳は、いつも通り、なめらかに続いている。
彼の馬車は道端に寄せられ、馬は落ち着かない様子で地面を掻いていた。
岩塩の荷も、崩れていない。一本たりとも道にこぼれていない。
「……どういう、ことだ」
かすれた声が、勝手に口から漏れた。
警備隊の男が、少し困ったように笑った。
「こっちが聞きたいですよ。橋の入り口に、止まったままの馬車があるって通行人から連絡があってね。来てみたら、あんたがここで、なにもないのにひっくり返ってた」
「……橋は?」
「橋、ですか?」
隊員は何気なく振り返った。
「ほら、いつも通りですよ。さっきも人が何台か渡っていきました」
風に乗って、石畳を行く車輪の音が聞こえる。
視線を上げると、荷馬車が一台、のんびりと橋を渡っているのが見えた。
崩れていない。
終わりなく伸びてもいない。
ただいつも通り、谷の向こう側へと続く橋。
「……嘘、だろ」
ロイシュは、唇を噛んだ。
頭を振る。頭の中では、さっきの光景が何度も反芻される。
終わらない橋。
光る雲。
轟音。
崩落。
そして、落ちていく途中に見た、谷底のさらに下の、青白い光。
そんなものが“何もなかった”はずがない。
だが今目の前にあるのは、
“何も起きていない”世界だった。
「念のため聞きますが……気分が悪いとか、そういうのは?」
警備隊員の問いに、ロイシュは少しだけ間を空けて首を振った。
「……いや。平気だ」
身体は、本当にどこも悪くないのだ。
だからこそ、余計に気味が悪い。
「迷惑かけてすまない。たぶん……疲れてたんだろう」
そう言う自分の声が、他人のもののように聞こえた。
隊員は「まあ、無理はしないでください」とだけ言い、仲間とともに元の持ち場へ戻っていった。
ロイシュはしばらく、その場に立ち尽くしていた。
風がマントを揺らす。谷からの冷気が脚のあたりを撫でていく。
(夢、だったのか?)
もしそうなら、どれだけ楽だろう。
そう思いながら、ロイシュは荷台に目をやった。
岩塩の木箱の上に、
一か所だけ、粉塵がうっすらと積もっていた。
淡い灰色の砂。
橋の石が砕けたときのような、細かい粉。
指でなぞると、ざらりとした感触が残った。
夢なら、触れない。
「…………」
ロイシュは息を吸い込み、長く吐き出した。
「行くか」
自分にそう言い聞かせるように呟き、手綱を握り直す。
馬が一度だけ鼻を鳴らし、前へ歩き出した。
そして彼は再び、何事もなかったかのように、
いつもの橋を渡っていった。
だが、荷台の岩塩箱の隅に残った、あの灰色の粉塵だけが、
確かにここで “異常が起きた”証拠 だった。
谷の底から吹き上げる風は、相変わらず冷たく、
そして、どこか――
こちらを見上げているような音を立てていた。
――この橋が、世界の“最初の歪み”であったことを、
ロイシュはまだ、知らない。
これはチャットGPTで書いてみた小説です。そのまま眠らせるのもなぁと思い載せることにしました。




