1話 迷い込んだ新たな世界
何となく授業に耳を傾けるのが憂鬱で、それとなく左手の窓辺に肘を乗せ、外を眺める。なぜだか、めまいがするようで、その原因を探るかのようにあたりを素朴に見渡す。すると、その違和感が薄々と理解できた。『あの山』がものすごく気になる。理由もきっかけも思い当たらないが、吸い寄せられるような衝動にかられる。山の色がほのかに目に残り、まためまいがする。そのような葛藤をいくらか続けていたら、中学からの友人である優弥に声をかけられた。
「凪沙、もう授業終わったぞ。早く帰ろうぜ」
「ん…...あぁ、もう授業終わったのか。オッケー、今準備するわ」
「大丈夫かよ。さてはお前、授業聞いてなかっただろ」
親指を上向きに立てて、笑顔を見せる。優弥には呆れられたが、頭の中では『あの山』のことでいっぱいだった。不思議な違和感を置き去りに、優弥と共に帰路へと向かった。
今日するべきことは大体終わらせ、あとは寝るだけだというときに、父さんと母さんがニュースをみていたので、少し目を通すことにした。
「離理山での中学2年生女子生徒失踪事件からはや2年が経ちましたが、未だに新たな手掛かりは発見されていません。修学旅行の登山中に、行方不明となった…...」
そういえば、『あの山』では2年前にそのような事件があったことを思い出す。今日の違和感とも何か関係があるのかなと考えてみるが、全くもって見当がつかない。
「もう2年も経つのねぇ。近いし、何か手掛かりがあるといいのだけれど」
「しかしなぁ、これだけ経っていれば生きているか怪しいからな。父さんは、どうしようもないと思う」
「そうねぇ、凪沙と年齢は同じだし、ちょっと心配だわ」
「凪沙、くれぐれも気を付けてな」
父さんに軽くうなずく。おやすみを言って、自分の部屋へ行く。特別なことでもなければ、いつもと大して変わらない感じ…...のはずなのだが、今日に限っては、明らかにいつもとは違う。そう、『あの山』だ。絶対に勘違いではない。離理山は何かがおかしい。そう思って、いろいろと考えていたら、いつの間にか眠りについていた。
~~~
山の中、木々を避けながらハァハァと息を切らして走る自分。後ろから何かが追いかけて来ていることを確信して、本気で走り続けている。行く先は見えず、終わりの知りえない中、体の痛みに耐えながら走る。そんな絶望の宵闇に苛まれて、夢は幕を閉じた。
~~~
やはりおかしい。昨日、あんな夢を見たことも相まって、離理山には何かがあるなという話題が、気まぐれの小話ではなく好奇心を連れて頭に定着するほどの主題になってしまった。結局、帰りの道中ではそんなことばかりが頭でグルグルして、優弥の話を真剣に聞けなかった。明日、朝会ったら謝ろう。そんなことを思いながら、玄関から離理山を眺める。夕日に染められたそれは、こちらに何かを訴えているようで、今日そこに行くという考えを確信に変えた。
日付が変わるくらいの時間帯、家の中は静まり返っている。懐中電灯とスマホだけを持って、階段を忍び足で下る。玄関で靴を履き替え、覚悟を決めてドアを開いた。
閑散とした山道、木々を避けながら前へと行く当てもなく歩き続ける。木々のにおいが香る中、凹凸のある地面でこけかける。特に何かが起こるわけではないので、少し期待外れで気分が落ちる。でも、それでよいのではなかろうか。何か危ないことに関与して、命を危険に晒すのはゴメンだ。何となく切りのいい所まで、前進してから振り返る。特に何かがいるわけでもない。そのまま、来た道を辿っていく。
それから数分間来た道を歩いているが、一向に外に出れそうにない。途中で道を間違えたのかな......。そんな不安に駆られ、少し早足になる。あたり一面の木々が、少しずつ数を減らしていることに気づいて、安堵のため息をつく。そうしてその先に見えた光景は、目を疑うものだった。本来そこにあるはずの光景は、コンビニの青白い光と、街灯のぼんやりとした光が街並みを照らす、閑散としたものなのだが、そこにあるのは、賑わいをみせる酒場と、こんな時間でも明かりのついた家で街並みを沸かす西洋のそれだった。その状況に困惑し、自分は果たしてどこに来てしまったのだろうかとパニックになる。早く戻らないとまずい。どこに行けば帰れるかの見当もつかず、ただこの街からは離れなければならないという気がして、山道へ戻る。がむしゃらに道を行くが、辺りの不鮮明さに毒づきながら、とりあえず前を行く。すると、自分が右手に持つ懐中電灯からの光ではなく、奥のほうに光があることに気づく。そんな一筋の希望に、喜びを覚えた。玄関のドアを開いて、離理山に着いてからもう1時間以上経っている。こんな訳のわからない状況下で、これだけ長い時間を過ごしていると、心も折れてくる。
そうやって、期待を膨らませて見つけたそれは、古小屋のついた家だった。家から光が漏れ出して、周りを照らしている。早足で玄関前まで行き、ドアに手を添えノックする。
「すいませ~ん、道に迷ってしまって」
そういって、少し待っていると、隣の古小屋から一人の若い女性が現れた。
「あらあら、こんな時間にどうしましたか。お困りのようですが」
優しく話しかけてくれたその女性は、黒髪ロングの美少女だった。というか年齢は多分23くらいだろう。優しいお姉さんという感じだ。服装は......古小屋で何か作業をしていたのだろう。顔以外の肌が露出しないように、しっかりとした作業服を着ている。そして、血の匂いがする。おそらく、家畜の処理をしていたのだろう。
「すいません、夜に登山をしていたら道に迷ってしまい......」
嘘は言っていない。異世界転移しちゃって、元の世界に戻りたいんです......なんて言ったら対応してくれないだろうし。
「なるほど......それは災難でしたね。とりあえず、今はとても暗くて危ないので、家に入ってゆっくりしていって下さい」
「本当ですか!ありがとうございます!!」
神だこのお姉さん!どのみち、異世界に来てしまっているので根本解決とまではいかないが、凍え死ぬことがないというのは不幸中の幸いだ。何と言っても、現実とは比にならないほど寒いのだ。
「とりあえず、入ってください」
「ありがとうございます!本当にありがとうございます!」
お姉さんに案内され、部屋の奥へと行く。靴を脱ぐような場所はなく、土足で付いていく。部屋の中はあまり広くなく、先ほどの街の風景から察する通り、テレビなどはない。アナログなキッチンだ。
「とりあえず、コーヒーを出しますね」
「すいません、お心遣いありがとうございます」
お湯を注ぐやさしい音が聞こえる。机の前で、椅子に座って待っているが、台所で楽しそうに鼻歌を歌いながらコーヒーを作ってくれるお姉さんの姿には、思わず見とれてしまう。
「できましたよ。今持っていきますね」
「ありがとうございます」
とてもおいしそうなコーヒー......などと言えればモテるのであろうが、俺はそんなに感性豊かではない。ごく普通のコーヒーだ。ただ、先ほどまでの疲労からか、本当に美味しそうに見える。
「いただきま~す」
お姉さんは笑顔で頷いた。湯気が出ているからか、この山を学校で眺めた時のことを思い出す。もしかしたら、いつも授業を真面目に聞かない俺を、この世界に誘っていたのだろうか。そんなことを考えながら、コーヒーを一口いただく。......とても温かい。冷え切った体はだんだんと温かさを帯び、俺を安心させてくれる。そんな安堵感に包まれた。そしてその刹那、頭を突くような眠気に襲われる。長時間にわたる焦りから急に解放されたからだろうか。......いや、違う。これは睡眠薬だ。おそらく、目の前でお姉さんは......いや違う、この女は陰湿な笑みを浮かべているのだろう。しかし、それを確かめられるほど瞼を開けない。そんな葛藤の中、急に肌寒くなったのは外に引きずり出されからなのだろう。そうこうして、俺は意識を失った。