気まずい再会
・・・とは言ったものの、夜の姿、すなわちアナスタシアに会いたいと思ったヴァルバトスことシリウス様は、すぐには帰らずにアルマの館内をうろついていた。もうすぐ夕餉の時間なので、調理場の近くを通ってみると・・・・
「アナ――――!この水がめを運んでくれるかい?」
「は―――い!」
とかわいらしい声が聞こえた。
仮面をつけたヴァルバトスの前を、朱色のウェーブがかった髪を腰までのばした、華奢な女の子が通り過ぎていった。ふたつの瞳はつぶらで大きく、朱金色のきれいな瞳が印象的で、ほっそりした腰に、胸には先ほど試合をしたときに見かけた十字架をかけている。この娘がアナスタシアで間違いなかった。
シリウスが息をのんで少女に見惚れていると、調理場の入り口から、成人の半分くらいの大きさの水がめを両手で抱えると、アナと呼ばれた少女はとくに苦も無く軽々とそれを運んでいった。ついで、ふらふらと仮面の男もつられて彼女の後へついていった。
「えっほ、えっほ、えっほ・・・」
かわいらしい掛け声をかけながら、少女は水がめを指定の位置に持っていこうとすると・・・・
「・・・・おい」
といきなり背後から声をかけられた。
恐る恐るアナが背後を振り向くと、仮面をつけた上等の服に身を包んだ男に声をかけられた。
「・・・・え?わたし・・・・ですか?」
「・・・・そうだ。その身では、その水がめは重かろう。・・・・俺が運ぼう」
「あ、平気です!私、こう見えて力持ちなんで!」
少女が丁寧に断ると、仮面の男は納得がいかなかったのだろう。むっとした様子で、彼女が持っていた水がめを強引に奪うと、傍らに置いた。
「あ――――っ!お客様!!何するんですか!っていうか貴方、一体誰なんですか?」
「いきなり失礼する。俺はヴァルバトスという。貴方はここで働いているのか?」
「え?ええ。今日から入った新入りですけど・・・・」
アナが戸惑いながら返事をすると、仮面の男は恭しくひざまずいてこう言った。
「・・・・シア。やっと見つけた。・・・相変わらずお美しい・・・」
そういって初対面の彼女の華奢な手をとって口づけると、
「高貴な生まれの貴方には、こんな下女の仕事なぞさせられない。俺と一緒に屋敷に帰ろう」
さっきからわけのわからないことを言われていたアナは、不審げに仮面の男を見ると、
「貴方、さっきから一体なんなんですか?それに、私の事、シアって・・・。なれなれしく呼ばないでください!」
そういって急いで手を振りほどこうとするも、男の少女をつかむ力の方がはるかに上だった。
「わからないのか?無理もない。シア、俺は・・・・」
「あ――――――っ!!お客さん、失礼しますぅ!!この子、商品じゃないんで!失礼しました―――――!!」
そういって、アナの背後から別の侍女が飛んできて、すごい勢いでアナを連れて逃げて行ってしまった。残されたヴァルバトスはぽかんとして置き去りにされてしまった。
「痛い、痛いよ――――!ミラ!」
ミラと呼ばれた少女は柳眉をつりあげてアナを叱った。
「うるっさいわねぇ!言ったそばから、ホイホイと男に引っかかるんじゃないわよ!私はねぇ、アルマ様からアンタの教育係を仰せつかってんだから!」
「う――――。だって、私は何もしてないよ?あの男が、勝手に声かけてきたんだもん!」
「ああいうのは、適当にあしらってスルーしとけばいいの!」
「でも、あの人、お客さんなんでしょ?適当でいいのかなぁ?」
「こういうのは臨機応変なの!もう水がめはいいから、さっさと夕飯食べてきなさい!」
「はぁーい」
ミラに怒られたアナは、しょんぼりしながら食堂へと向かっていった。
次の日。
「本当に一人で行くのかい?ユーリ」
心配げに車いすからユリウスを見上げる兄をよそに、
「うん!兄さんは神官の仕事があるんでしょ?僕一人で大丈夫だよ!」
と、ユーリは笑顔で神殿から来た神官の使いたちに兄を任せると、都市の中央へと歩いて行った。
街の中央には大きな石でできた闘技場――――コロッセウムがあり、その周りを囲むようにしてどうやらたくさんの道場とかがあるらしい。とりあえず、ユーリは一番大きい道場に入って見学することにした。
「う・・・わ―――――」
道場に入るのは初めてだったので、おそるおそる入ってみると、道場の中央には剣闘士たちの模擬戦をやる場所らしく、四角く綺麗に整えられていた。その脇では剣闘士見習いの子たちだろう、各々向かい合って木刀で修練していた。
「ほっほっほ。剣闘士養成所を見るのは初めてかね?」
いきなり背後から話しかけられたので、ユーリはびっくりしてしまった。
見ると、杖をついた白髪の老人がいつの間にかたっていたのである。気配を殺していたとはいえ、相当な手練れとみた。
「あ、はい!すごいですね!強そうな人がたくさんいる!」
ユーリはワクワクが止まらないのか、おじいさんに向かって目をキラキラさせながら話しかけた。
「お兄さんも相当やるみたいだねぇ。どうだね?我がカルドリア剣闘士団に入るかね?」
「う―――――ん。それはありがたい話なんですが、まずはほかの剣闘士団も周ってみようかと・・・」
「あ―――――ッ!!??テメェは!!シリウス様と戦ったガキじゃねぇか!」
すると、背後から怒声を響かせながら、褐色の大男が近寄ってきた。
「これ、レオンハルト。はしたない。客人の前ですぞ」
老人がいさめると、レオンハルトと呼ばれた男は老人に向かって深くお辞儀をした。
「はっ!申し訳ありません!マルコ師範!!」
(うげ――――――・・・・コイツがココにいるってことは・・・!)
嫌な予感がして、辺りを見回すと、離れたところで首の後ろで艶やかな黒髪を結った男が、じ―――っと意味ありげにユーリを見ていた。
「知り合いかね?レオンハルト」
師範がいぶかし気に尋ねると、レオンハルトは直立不動で答えた。
「はっ!先日、我が主、シリウス様とコイツが決闘をしまして・・・シリウス様が珍しく木刀を落とされたものですから・・・」
「ほほう。うちのエースのシリウスが負けたと?」
「あ、ああ!いやなんていうか!偶然です!偶然!!運よく勝てたって感じなので・・・」
ユーリは慌てて謙遜するが、すでに師範の興味はユーリとシリウスの決闘の話が気になっているようだった。
「おい!!お前、庶民の分際で、この栄誉あるカルドリア剣闘士団に入る気じゃないだろうな?」
レオンハルトは、会った当初からどうやらユーリが気に入らないらしく、こてんぱんにのしてやろうと目が爛々と輝いていた。
「・・・・ほう。それは面白い。レオンハルト。模擬戦の準備を。このお兄さんの実力を儂も見てみたい」
「え、ええ―――――!!あ、あの、まだここに通うとか決めてないので・・・
」
「なあに。戦うのはどこでもできるだろう?儂はお兄さんの実力が見たいんじゃよ。あのシリウスを負かしたという、な」
そうマルコ師範から言われて、ユーリは引くに引けなくなっていた。
(うう・・・・逃げられないよぉ・・・。どうしよう・・・・)
そういって内心冷や汗をかきながら、ユーリはほかの剣闘士見習いから木刀を受け取ると、しぶしぶ模擬戦場へと足を運ぶのであった。
「・・・・・・・」
先ほどからじっとユーリを見つめ続ける、紫水晶の瞳をもつシリウスを残して。