85 邂逅
「それじゃ、しゅっぱーつッス!」
『わふん!』
「……そうだね」
人のいない温泉宿に泊まった翌朝、私たちは出発した。
……若干、すっかり餌付けされたハチベエに思うところはあるけども。このいやしんぼめ。
温泉宿では何もなかった。樹木や湿気に侵食されていないまともな部屋を探したり、食事時に雪男が自然薯を分けてくれたりしたけど、本当に何もなかった。
あの雪男は随分と理知的で、積極的に私たちと関わろうとはしなかったけど、ウータンのように人間に歪んだ執着があるわけでもなく、騒ぎすぎたハチベエを叱って巨大鹿の大腿骨を分け与えるなどの寛容さを見せてくれた。
ちなみに文字は温泉宿に残されていた本や雑誌で覚えたらしい。だから日本語の聞き取りができるわけでもなく、文字でのみ意思疎通が可能だった。
なんかすっごく頭いいんだけど……。
『くぅ~ん……』
おべんきょう……する?
それはともかく、タマチーが言ったように、雪男はあきらかに他の巨大生物とは違っていた。
その差はなんだろう……? ハチベエ、その兄弟や親である巨大狼たち。そのすべては、十数年前にこの世界を侵食した〝不思議な力〟を得て巨大化した動物と違う、二世の個体だった。
そして雷獣、雪男……。巨大化した生物から発生した変異体。でもその在り方は正反対といってもいいほど違っている。
雷獣は、自らの力を自覚し、他の変異体が脅威となることを察して新たな世界で強者となることを画策したが、雪男は高い知性で争うことに意味を見出さず、穏やかに生きることを望んだ。
争いを好み、平和を望む。これではまるで……。
「〝人間〟みたいッスか?」
「…………」
まるで心を読んだかのような発言に、私は思わずタマチーにジト目を向ける。
いや、たぶん読んでいるんだろうなぁ……ツッコまないって決めたから追及はしないけど。
「タマチーは何がしたいの?」
「花椿ちゃんと一緒ッスよ」
本当は〝何者〟か知りたいけど、教えてはくれない気がする。だからあえて曖昧な質問をするとタマチーはへらへら笑いながら言葉を返した。
それなら……。
「私に何をさせたいの?」
私のそんな問いかけにタマチーは目を細めるように微笑んだ。
「選んでほしいだけッスよ」
「…………」
〝私〟に何を選ばせたいのか……。
あらためて自分のことを考えてみる。生まれたときから独りだったから気にしたこともなかったけど、ジンベエや婆ちゃんと出会い、色々な巨大生物と戦って、この世界で生きようとしている人間たちと関わることで、私はこの世界で〝異質〟であると理解した。
私は人間に近い姿を持ち、人間に近い思考をしているけど、私の本質は〝人間〟じゃない。
思考が人に寄っているから人に近い行動をしているけど、私は人間を友人や親しいものだと感じても、人間を〝同胞〟だと思ったことは一度もなかったのだと、あらためて気づかされた。
私は〝竜〟だ。
傲慢な言い方になるけど、私の前に並ぶ生物はすべてにおいて上下はなく、私にとって同列の存在なんだ。
避難所の人間たちとは仲良くなったけど、あのときジェニファーたちに対して迫害を続けていたら、私はあの場所を護ることはなかった。
私はこの世界でただ唯一の異物……ただひとつの〝竜〟――。
でもそこに、もうひとつの〝竜〟が現れた。
私はその存在に会いに行く。そこで……私は何かの〝選択〟をすることになるのだろう。
「あっ、向こうにダチョウが走っているッスよ」
助手席からの声に、そちら側の窓の向こうを見ると、……なんか何処かで見たような巨大ダチョウが草原を爆走しており、一瞬こちらに気づいて……あ、崖から落ちた。
「あはは、可愛いっすねぇ」
「あ、うん」
なんかシリアスになりきらないなぁ……。
それから数日が過ぎて。
――ブルンッ。
「ここまでッスかねぇ」
「そうだね」
富士の五合目。出発してから十日後、標高が高いこともあって、まだアスファルトが見える道を進んできた私たちは、停滞することもなくここまで来ることができた。
まぁ、順調だったのはタマチーが何故か土砂崩れや落石で潰れた道を避けて、まともな道順を教えてくれたおかげだけど、ここから先は軽トラではなく自分の足で歩いて登らないといけない。
「……やっぱり私一人で飛んで行っちゃダメ?」
『わふん!?』
なんとなく聞いてみるとハチベエは、今更!? みたいな顔をする。
「あはは、ここまで来たらみんなで行くッスよ」
まぁ、仕方ないか。タマチーは放置してもたぶん大丈夫だろうからいいとして、ハチベエは置いていきたかったんだけどなぁ。
「…………」
五合目から山頂を見上げる。そこには何も見えていないけれど私にはわかる。……そこにいる。私と同種の存在が。
姿かたちはまったく違うけど、根源が同じ存在がいる〝気配〟をひしひしと感じていた。
向こうも私に気づいているはず。きっと……ううん、ほぼ確実にあの〝竜〟は私という〝竜〟に惹かれてここまで来たのだから。
そして私たちが山頂へ向かおうとしたそのとき――
「……地震?」
足元から感じた微かな揺れ。
「あ~~、我慢できなかったんスねぇ」
それって……。
――ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!
突然鳴り響いた〝咆哮〟に大気が震え、色づき始めた木の葉が散り、ハチベエが尻尾を巻いて私の後ろに隠れる。
その中で笑みを絶やさないタマチーの横で、私はじっと富士の山頂を見上げた。
「……来る」
そう呟いた瞬間、富士の火口から真っ黒な鳥のようなものが飛び出し、大空の雲を切り裂いて舞い降りると、五百台は停まりそうな駐車場の落ち葉と土を吹き飛ばすように降り立った。
全長は尻尾まで含めておよそ四十メートル。あの不思議な力を噴出させて飛行していた翼は、横に広げれば五十メートルを超えるだろう。
その全身を覆う真っ黒な鱗……鋭利な黒い爪と牙、捻じれて伸びる六本の黒い角、そして私を見つめる、私と同じ金色の竜の瞳。
しばし互いを確かめ合うように見つめ合い、黒い竜は静かに口を開いた。
『――ようやく見えた。この世界の〝竜〟よ――』
顎の違いから空気が漏れるように少しだけ聞き取りにくかったけど、その言葉からは確かな知性と理性が感じられた。
でも……不安が消えない。いきなり戦闘になるようなことはなかったけど、それなのに黒竜を見た瞬間から、私の中に炎が沸き上がるのを感じていた。それに……。
「……〝この世界〟?」
黒竜は確かにそう言った。この世界……それではまるで他の世界があるような。
視界の隅でタマチーの笑みが深くなる。そして私の呟きが聞こえた黒竜が再び言葉を紡いだ。
『――我は闇の竜ウェールム。異界ムンドゥスより、この世界の〝火竜〟と戦うために来たれり――』
いつも誤字報告ありがとうございます。
ついに邂逅した竜は、異界の存在だった。
その目的は!?




