83 思わぬ同行者
遠くに見える富士の山……私たちはその山頂に大空から舞い降りた、〝竜〟らしき物体を目撃する。
「……まだ決まりじゃないけど」
「うん」
唇から煙草が落ちたことにも気づかず、そう呟いたヤエコの言葉に私も頷く。
……確定じゃない。おそらく数日か数週間前、米軍の前哨基地を壊滅させて大陸から飛び立ったドラゴンは、東方……日本の方角へ向かった。だからと言ってここに現れたあの影がそのドラゴンとは限らない。
あの雷獣と同じような怪鳥の類いかもしれないし、成層圏辺りから人工衛星が落ちたのかもしれない。……でも、ヤエコも私もそうじゃないと思い、心のどこかであれがドラゴンだと確信していた。
先ほど感じた、まるで地震と錯覚するほどの爆発のような衝撃。
あれは、あのドラゴンの〝咆吼〟だ。
「とにかく、私は見たことを上に報告するわ。ツバキちゃん、勝手に動かないでね!」
「そう、だね。わかった」
私がとりあえず素直に頷くと、納得してないのか口をへの字に曲げたヤエコは落ちた煙草をサンダルで踏み潰し――
「本当にどっか行っちゃ駄目よ! 振りじゃないからね!」
「はいはい」
歩きながら振り返って指さしながら注意するヤエコに、私は苦笑しながら手を振って彼女を見送った。……階段で落ちないと良いけど。
それから結構大騒ぎだった。あの衝撃に避難民が不安を覚えたのもあるけど、私やヤエコだけじゃなくて、富士山頂に降下する巨大な鳥のようなものを目撃した人も居たのだから。
一般市民は情報を制限されているから、あれがドラゴンだと考える人はいなかったけど、これからあれがどう動くかによって状況が変わってくる。
あれがドラゴンだと確定すれば、同じ〝竜〟である〝私〟の存在に不安を覚える人も出てくると思う。そうなるとせっかく纏まりつつあるこの避難所もどうなるか分からない。
「ツバキっ!」
私が子どもたちの宿舎に戻ると、待機を命じられていたジェニファーたちが飛びつくように駆け寄ってきた。
「何が起きたの!? あれは……」
「う~~ん、まだよく分かってない。ヤエコが上の人に報告しているからそれ待ちかなぁ」
「そう……」
誤魔化すような私の言葉に不安そうな顔をした子どもたちが、また私を取り囲むように私の周囲に寄ってくる。
……やっぱり、この子たちは分かるんだね。
「……ツバキちゃん」
その翌日、目の下の隈をさらに濃くしたヤエコが現れて、私を外に連れ出した。
「上層部も意見は割れているけど、やっぱりあれがそうなんじゃないかって話になったわ」
「だろうねぇ」
「ひょっとして、ツバキちゃんは確信がある?」
「たぶん……だけどね」
あの姿を見た瞬間から私の中でざわめくものがあった。私の血がそう言っているのか、私はあれが私と〝同じ〟もののように思えたんだ。
あれが移動を始めたのも、その方向が日本だったのも、きっと偶然じゃない。
切っ掛けは数週間前……。私がここに囚われて、覚醒したときに大陸のドラゴンは私の存在を感知して、〝私〟に向かってきたのだ。
それが直接ここへ来ないのは、細かい位置が分からないのかもしれないけど、たぶん、私を誘っている。
竜が放つ〝選別〟の咆哮をあげ、この国で一番高い山に陣取り、自分の所に来る勇気があるのか問うている。
「……それじゃもう決めているのね」
「そうだね。私が行かないとダメだと思う」
どこか諦めたように言うヤエコに、私は深く頷いた。
私は出発を翌朝と決めた。それまでに装備や必要なものを用意すると言ってくれたヤエコと別れて宿舎に戻ると、そこには悟ったような顔をした子どもたちが待ち構えていた。
「……行っちゃうの?」
やっぱり子どもたちは、私がここを離れると察していた。だからここ数日ずっと私の側を離れなかった。
「頑張って戻ってくるよ……」
約束はできない。でも嘘は吐きたくない。私の精一杯の誠意に子どもたちは落ち込みながらも止めることはしなかった。
その日はみんな一緒に食事をして、みんなで集まるように眠った。
ちゃんとお勉強するんだよ、とか、自分の居場所を守るように、とか色々話したいこともあったけど、そんなことを言うとお別れみたいで、結局何も話すことはできなかった。
「ツバキちゃん、用意はしたわよ。最低限だけどね。それとアレも」
「ん? ありがとう」
そして次の日の朝。ヤエコから予備の装備や食料を受け取った私が、子どもたちや研究所の人、特殊部隊の人たちが見送りに来る中で出発しようとすると……。
『わふん』
「ハチベエ……」
ここでお留守番してもらおうと思っていたハチベエが私の横に立っていた。
「あのね……」
『わふん!』
説得しようと口を開きかけたところで、キラキラしたつぶらな瞳で見つめてくるハチベエに何も言えず、思わず溜息を吐く。
「……一緒に来る?」
『わふんっ』
まぁ、……仕方ないか。
「ハチベエ……ちゃんと戻ってきてね」
『わふん!』
だいぶ成犬に近くなって、大きくなったハチベエに子どもたちが縋り付く。
……私より惜しまれているような気がする。
「あんたもよ、ツバキっ!」
「うん、ありがとね、ジェニファー」
隣にいてくれたジェニファーの頭を撫でると、彼女は真っ赤な顔をして……それでも手を振り払うことはなかった。
「では出発!」
『わふん!』
――ブルン! とエンジンが掛かり私たちは出発する。
以前、ヤエコに私たちが使っていた軽トラの回収をお願いしていて、彼女はそれも用意してくれていた。
軽トラは数週間の放置程度なら大丈夫だろうと思っていたけど、かなりギリギリの状態だったみたいで、ヤエコたちはフル整備もしてくれて新しいガソリンも荷台に積んでくれていた。
でも、ハチベエ、君は外だ。もう荷台に乗るにはデカすぎるよ。
「良い風だねぇ」
『わふんっ』
私の呟きに軽トラの隣を走っていたハチベエがお返事してくれる。
これまでも子どもたちや人間と一緒に駆けずり回っていたけど、ハチベエも無意識のうちに脆弱な人間が側にいるので控えていたのか、久々に全力を出せて喜んでいるように見えた。
「…………」
これから別の〝竜〟の所へ行くというのに随分とのんびりしているけど、実際に私がただそこへ行くだけなら、空を飛んでいけばいい。
これから何かが起こるという確信がある。だからこそ、今の世界を巡るこの時間を大切にするべきだと思った。
東京方面には向かわず道沿いに南下する。こちらのほうが放置車や被害が少なく走りやすいと教わった。
木々に呑まれた建物も多いけど無事なものも多く、その日は無事な家屋を借りて、久しぶりにハチベエと二人きりで野宿をした。
時間が掛かりすぎるかな……? まぁいいか。
そして次の日には順調に県境……というのはちょっと違うか。これは……。
「大きな橋だねぇ」
『わふん!!』
ハチベエが初めて見る海を渡る長い橋に、興奮したように吠えた。
この橋がまだ無事なことは避難所で聞いていた。実際に巨大マグロや巨大クジラに壊されているかと思ったけど、これで大幅に近道をできる。
そう考えて橋を渡ろうとしたとき、私はとんでもないものを目撃する。
「ハチベエ……」
『くぅ~ん……』
私の問いかけにハチベエが困ったような声を漏らす。そこには……
「ヤァ、待っていたッスよ。乗せてくれないッスか?」
以前どこかで見て、何度も見たような黒髪セーラー服の少女が、橋の入り口でヒッチハイクをするように親指を立てていた。
……どういうこと!?
いつも誤字報告ありがとうございます。
突然現れた黒髪セーラー服の少女。その真意は?