8 ジンベエの畑 その3
朝は日の出と共に起きる。私が目を覚ますと同時にジンベエも目を覚まし、ミルク鍋を持って水を汲むついでに顔を洗う。
ジンベエはお爺ちゃん犬なのにとても元気だ。用水路で何かを探して、跳びはねた拍子に私に水がかかる。
「ジンベエ……」
クゥ~ン……。
仕方ないなぁ。顔を隠すように反省しているのを見て苦笑した私は、毛皮の胸当てと腰巻きを脱いで髪と身体も洗い始めた。
角があるので洗いにくいけど、角の付け根も丹念に洗う。角はまだ十センチくらいであれから伸びたりしていないみたい。結局伸びたのは何が原因なのだろう……。
「ひゃんっ!?」
いつの間にかジンベエが私の尻尾にじゃれついていた。
「コラッ、これはオモチャじゃないし、鱗が生えているから危ないよ」
そう嗜めてみたけど、ジンベエは人の身体に尻尾があるのが珍しいのか、匂い嗅いだりして遊んでいる。
「このぅ」
キャンッ!?
聞き分けないので、水をすくってジンベエにもかける。私は身体が濡れてもブルブルすれば平気だけど、お爺ちゃんのジンベエは後で身体を拭いてあげよう。
家に戻ってタオルを借りてジンベエを拭いてあげると、気持ちがよかったのか妙に大人しくて笑ってしまった。
朝ご飯は適当だ。焚火を起こして家庭菜園からキャベツを貰い、千切った物を昨日のシチューの残りに混ぜて、水を足して炊き込んだ。
キャベツ大好きジンベエは大興奮。
「まだダメだって」
熱いとジンベエは食べられないから冷めるまで〝待て〟をして、その間に塩を足して自分の分を煮込んだ後に、ジンベエと一緒に食べ始める。
味はまあ……こんなものか。ほんのり旨みのある野菜と塩だけの優しい味だね。
「本日は家庭菜園に手を入れます」
バウ?
ジンベエが不安そうに首を傾げる。別に大それたことをするわけじゃないんだよ。ただ手入れをするだけだよ。
まずは、家庭菜園の雑草を引っこ抜く。ただひたすらに引っこ抜く。野生化している野菜と見分けがつきにくい物もあるけど、頑張って引っこ抜く。
でも雑には抜かない。できるだけ根っこごと引っこ抜き、くっついてきた土は払って家庭菜園に戻しておいた。
……野菜より雑草のほうが多い。これだけ生えていたら野菜も痩せるよねぇ。
抜いた雑草の片付けは後にして引き抜く作業だけに集中していると、なんとなく私のすることを理解してくれたジンベエが、最初に抜いて捨てておいた雑草のところへ持って行ってくれた。
ジンベエ、賢い! でも、一人と一匹の作業でも全部を抜くことができず、終わりの見えない作業にほんの少しだけ後悔した。
「お腹減った?」
バウッ。
減ったみたい。お昼は昨日茹でたザリガニの残りを食べる。沢山獲ったから三日分くらいにはなるかと思ったけど、一人と一匹で食べるともう無くなりそう……。
「そうだ」
来る途中でどんぐり拾ったのを忘れていた。確か美味しいのと不味いのがあるんだっけ?
見分けはつかないけど、洗うために水の中に入れると、虫に食われて軽くなったやつが浮いてきたのでそれを取り除き、穴が開いていないか確認してから、とりあえず帽子みたいな部分を取って茹でてみた。
毒でないかぎりは茹でれば食える。茹でる最強。たぶん。
ジンベエの分は……
「これ、食べられる?」
茹でて冷ました奴を一粒手に乗せて差し出すと、ジンベエはフンフンと匂いを嗅いで、何故か困った顔をした。
「あ、殻を剥くのか」
爪で殻を剥くと栗? みたいな芋みたいな感じの物が出てきたので、ほじくって食べてみる。
「ん~~~……食べられるね」
バウッ!
私が食べたことで、殻を剥けば食べられると理解したジンベエが、自分にもくれと主張する。
現金な奴め。
茹でたどんぐりを爪で割って中身を出す。……ひょっとして栗と似たような感じなら炒れば良かったのかな?
茹でて中身は柔らかくなったけど実が崩れるので取り出しにくい。ちまちまほじくるのが面倒になって、途中から割っただけのどんぐりを指で潰して中身を出した。
こんなときだけは大人しく“待て”の姿勢でいるジンベエを軽く睨んで、ひたすらどんぐりを潰していくと、結構な量になったのでジンベエと分けて食べた。
バウッ!
「気に入った?」
気に入ったみたい。……あれ? どんぐりって犬は大丈夫だっけ?
ちょっと気になって、本の中に野草の本もあった気がして読んでみると、どんぐりもちゃんと載っていた。……たぶん、沢山じゃなければ平気っぽい。
まあ、なんでもそうだよね。平気だとは思うけど時間をおいて様子を見よう。
ザリガニとどんぐりの昼食を終えて、家庭菜園の雑草取りを続ける。
そう言えばどんぐりって炭水化物だっけ? 沢山は無かったけど意外と腹持ちは良いのかも。野草の本に美味しいどんぐりの種類が書いてあったので覚えておこう。
本にはキノコや山菜などの記述もあったけど……やっぱりキノコは止めておく。頑丈な私なら大丈夫かもしれないけど、ジンベエにあげるのは少し怖い。
そんなことを考えながら雑草を引っこ抜き……。
「終わらなかったぁ」
クゥ~ン……。
家庭菜園はそんなに広くないけど、作業となるとそれなりの広さはある。結局一日では半分も終わらず、落ちつつある夕日を背に飛ぶ鳥を見ながら黄昏れる。
「鶏肉……食べられるかなあ」
バウ。
ここに来るまで大きな鳥を見ていない。カラスや鳩も見ていない。
これだけ自然が生い茂っているのなら、大きな鳥や兎や狸がいても良さそうなのだけど……。
これまで何故か小動物しか見ていない。まあ、これだけ自然があるのなら犬のいるところにわざわざ来ないかな?
身体が汚れたので用水路に行こう。ついでに晩ご飯用の茶色になった大豆とカボチャも洗うために持っていく。キャベツはなぁ……ジンベエの好物だけど、虫が付きすぎているんだよね。
虫がついているのは美味しい証拠? でも確か、虫がつきすぎると野菜自身が食べられないように苦くなっていくんだっけ?
野菜好きワンコのために、野菜の野生化が進みすぎて苦くなりすぎないようにしないとね。
枯れて茶色になった大豆を房から出して鍋の水に浸し、カボチャの土を洗って、ついでに髪と身体も洗う。濡れた赤みがかった銀髪が月の光にキラキラ光る。髪を絞るように水気を落とし、最後に頭を振って水気を飛ばした。
「……ジンベエ。そんなに離れなくても、お前を洗ったりしないよ?」
バウ。
ジンベエは私の脱いだ毛皮の服を護るのだと、キリッとした顔で一声吠えた。
……本当かなぁ?
暗くなった庭先で火を熾し、鍋でカボチャと大豆を煮る。カボチャは角槍で適当に砕いて種は取り除いた。……種は炒れば食べられるかな?
カボチャの豆煮はほっこりとした味がした。私はミルク鍋で笹の葉のお茶を作って一息入れながら、色々助かっている本の続きを焚火の灯りで読む。
パチパチと焚火のはぜる音を聞きながらゆったりと本を読み、火が消えかけてジンベエが欠伸をしたところで今日は寝ることにした。
「おやすみ、ジンベエ」
掃き清めた傷だらけの板の間で、ジンベエに抱きつくように眠りにつく。
私は一人でも平気だ。……でも、誰かといる時間は私の心を温かなもので満たしてくれるような気がして、小さな虫の音を聞きながら目を瞑ると……不意に虫の音が消える。
ズズン……ッ。
……ブォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!
突如聞こえた〝獣の声〟に私は飛び起きるように身構えた。
ズズンッ……。
次の瞬間、床越しに振動を感じて角槍を掴んで立ち上がる。この感覚……あの巨大鹿を見たときのような戦慄を覚えて角槍を握る手に力がこもる。
ウ~~~~~~ッ!
「ジンベエ?」
初めて会ったときのように、ジンベエが警戒するように身構えて唸りをあげていた。
私の声に反応することなくその視線はある方角を見据え……
「畑のほう!」
そう叫んだ私が角槍を構えて飛び出すと、ジンベエもその後をついてくるように駆け出すのが分かった。
畑は民家から遠くない。何かが近づいてくればすぐに分かる。そこに――
「あれは……なに?」
それは畑から離れた森の側にいた。だけど、まるで間近にいるように錯覚する。
「猪……?」
バウッ!!
それは巨大な猪だった。でも……距離感がおかしくなるほど巨大すぎた。
正面から見た姿はまるでバス車両のようだった。その突き出た牙はマンモスの牙のように大きく鋭く弧を描く。
ズズンッ……ズズンッ……バキバキバキッ!
周囲の木々を歩くだけで薙ぎ倒し、ゆっくりと近づいて、まだ無事だった柵の一部を踏み潰した巨大猪は、広い畑の端を牙で掘り返すように作物を荒らし始めた。
これは……畑の一部が不自然に乱れていたのはこれのせいかっ!
ウ~~~~~~~~~ッ、バウバウバウッ!!
あまりの異様さに唖然とする私に代わって、ジンベエが離れた場所から吠え立てる。
巨大猪はジンベエの威嚇に動きを止め、鬱陶しそうに目を細めた。
『ブォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
ズズン……ッ!
突如吠えた巨大猪が、畑を踏み潰すように真っ直ぐに向かってくる。
「ジンベエっ!」
キャウンッ!
静かな夜の畑に、真っ赤な鮮血がまるで花のように飛び散った。
巨大猪との戦い。
次回、『ジンベエの畑 その4』