64 戦う人間
「……人間?」
巨大な雌ライオンと戦う人間らしき影……。しかも一人じゃない。ここから見えるだけでも二人の人間が戦っていた。
「ハチベエ……こっそり近づいてみるよ。静かにできる?」
『わふ』
私が真剣な声でそう言うとハチベエが〝キリッ〟とした顔で小さく鳴いた。
……本当に大丈夫かな。
仔犬のハチベエは置いていったほうがいいとは自分でも分かっているけど、状況が分からない。最悪の場合、戦う可能性もある。
ハチベエを戦わせるわけじゃない。仔犬でも巨大動物のハチベエはそれなりに戦えるけど、一番怖いのはこの何も分からない状況で、一人にしたハチベエが襲われることだ。私と一緒にいればなんとか護ってあげられる。
タン、タン、タン――
軽トラから降りて角槍と牙ナイフだけを持った私とハチベエは、隠れられる物陰から物陰へ移るように近づいていく。
「……やっぱり戦っている」
二百メートルほどまで近づくと巨大雌ライオンの咆吼だけでなく、ぶつかり合うような戦闘音も聞こえてきた。
『わふ?』
「ハチベエ、伏せ」
瓦礫の隙間から覗き込もうとしたハチベエの頭を押さえて強制的に伏せさせる。ハチベエが情けなさそうな顔をしているけどそれどころではなく、本格的に状況が見えない。
正直、遠かったから見間違いかと思っていた。少人数でも人間が巨大動物と真正面から戦えるはずがないと……。だから、もし人間が巨大動物に襲われて逃げ惑っているのなら、助けようかとも考えていた。
でも、思い違いではなかった。私が最初に〝戦っている〟と思った理由……それは〝人間〟らしきものから強い〝気配〟が感じられたから。
数百メートルの距離があっても感じられるほどの、強い気配が。
実際に人間らしき影は、二人がかりとはいえ巨大雌ライオンと互角の戦いをしていた。
ダンッ!!
八メートルを超える巨体から繰り出された一撃が廃墟を吹き飛ばす。大量に舞い上がる土埃の中から黒ずくめの人影が二つ飛び出し、すかさず槍のような武器で攻撃を始めた。
「……なにあれ」
本気で目を疑った。本当に何あれ? まるでどこかの特殊部隊のような黒い服に、ゴーグルにヘルメット、肘当て膝当て、防弾ベストのような防具類。加工された金属の棒に特殊な形状の刃が取り付けられた長刀のような槍。
そのどれもが薄汚れて傷ついてはいたけど、私の〝知識〟にはない……十年以上前の日本には無かったものだ。
そしてなにより……それを扱う人間が。
「……子ども?」
巨大動物との対比で小さく見えるのかと思っていた。でも、あきらかに小さい。まるで子どものように……。もちろん小柄な大人……女性ならそういう人もいると思う。でも、一度そんなふうに見てしまうと子どものように見えてくる。
そんな小柄な人間が、とんでもない身体能力で巨大雌ライオンを翻弄し、かなりの強度がある巨大動物の毛皮を傷つけていた。でも……。
「――あっ」
ガンッ!!
大きな音が響き、巨大雌ライオンの爪を槍で受け止めた一人が吹き飛ばされた。
すかさずもう一人が追撃する巨大雌ライオンを食い止め、吹き飛ばされた人間はふらふらと立ち上がり、再び巨大雌ライオンに挑む。
「…………」
……どうする? 見た目は傷だらけの巨大動物と、素早い動きで翻弄する人間たち。それでも人間の武器は深い傷を与えられず、体格の違いによる体力の差で徐々に押され始めていた。
助けるか、傍観するか……。
もし本当に子どもなら助けたい。でも、あんな装備をしている人たちが〝私〟を味方と見てくれるの? でも……。
「……ン~~……行こう」
『わふ?』
槍を構えた私に〝伏せ〟たままのハチベエが小さく鳴いて、私は片手で頭を撫でた。
敵でも味方でも傍観して死んじゃったりしたら私はきっと後悔する。それなら私は自分の心のままに行動する。
そう決めて、飛び出そうとしたその瞬間――
ドゴォオオオオオオオオオオオオン……ッ!!
「――!?」
突然雷のような轟音が響くと、巨大雌ライオンの頭部が弾かれるように大きく揺れた。
『ガァアアアアアアアアア!!』
鮮血が飛び散り、巨大雌ライオンが苦痛の悲鳴をあげる。
狙撃……? 他にも仲間がいるのか、飛び出そうとしていた私は再びハチベエの襟首を掴んで息を潜める。
どこか遠くから狙撃された巨大雌ライオンは片目から血を流し、苦痛にのたうち回る。そこに飛び込んだ二人の人間が槍を首筋に突き立て、何度も突き刺した。
『ガァオ……』
――ズズンッ。
致命傷に近い傷を何度も受けた巨大雌ライオンは反撃することもできず、全身から血を流して崩れ落ちる。その近くでさすがに限界だったのか膝をつく人間二人。そこに私がいる反対側から、もう一人の黒ずくめの人間が現れた。
その人間はやたらとゴツくて長い、二脚付きのライフルを持っていたので、その人間が狙撃したのだと思う。
「――――」
その人間はまだ動くこともできない二人に声を掛けて、周囲を警戒するように見渡し……突然、ライフルの銃口をこちらに向けた。
「――っ!?」
ドゴォオン!!
地面に設置もせずに立ったまま撃ち放った人間が反動で倒れる。その瞬間に〝竜の眼〟が発動して、崩れた瓦礫がゆっくりと落ちていく凝縮された時間の中で、私はハチベエの頭を押さえ込むように身を伏せた。
バガァンッ!!
身を伏せた頭上のコンクリート壁が粉砕する。
なんで!? どうしていきなり攻撃してきたの!? 突然のことに混乱しながらも私は角槍を構え、ハチベエを置いて飛び出した。
「――――!?」
飛び出してきた私に倒れたままライフルを設置して銃口を向けた人間の肩が震える。その隙に一気に五十メートル程まで駆け寄ると、私の姿を見留めた槍を持った二人がライフルを持った人間を庇うように前に出た。
「待って! あなたたちは〝人間〟!?」
攻撃される前に私がそう叫ぶと、槍の二人は困惑したようにライフルを構えたままの人間を振り返る。おそらくその人間がリーダーなのだろう。その人間は私から目を離したからか仲間二人に、唯一見えている口元を歪め、息を吐くように口を開いた。
「……お前こそ何者だ? まともな人間には見えないぞ」
私の角や尻尾を見てそんなことを言う。その声音はまるで子どもか若い女性のように高い。そしてやはり全員がかなり小柄だった。
疑うのは分かる。私でも自分が〝普通の人間〟だなんて言えない。
「……私は自分が何者か知るために旅をしている。あなたたちは普通の人間と言えるの?」。
「私たちは……人間だ」
私が問い返すとリーダーはわずかに間を置いて、絞り出すように言葉にした。
普通の人間に巨大肉食獣が狩れるとは思えない。だけど、私はそれをできるかもしれない可能性を知っている。
「お前が危険ではないと言うのなら、大人しく武器を捨てて拘束を受けろ」
「……はぁ?」
睨み合いながらリーダーがそんなことを言い出した。
「……そうすれば、あなたたちの集落に案内してくれるの?」
「それはお前次第だ。怪しい真似をすれば殺す。お前たち、そいつを拘束しろ」
まるで話し合いなど拒否するように銃口を私に向けたまま指示を出し、槍を持った二人がワイヤーロープを取り出した。
大人しくするだけでいいのなら武装解除を受けてもいいけど、そのまま殺される可能性もある。
正直に言ってあまり信用ができない。それでも装備からして必ずこの人間たちは工業製品が使えるような環境にいるはずだ。それならきっと沢山の人がいる。そこならば世界の現状や原因、私のことも知っている人がいるかもしれないのだ。
信用ができないけど、敵対は避けたい。でも考える時間もなく、槍とロープを持った二人が近づいたとき、動き出した者がいた。
『わう!』
私の危機と見て飛び出してきたハチベエが真っ直ぐに向かってくる。
「〝巨獣〟!?」
リーダーが声をあげるが、部下の二人は大きいだけの柴の仔犬に困惑する。それを見てリーダーは舌打ちするように銃口をハチベエに向けた。
「待って! この子は暴れたりしない!」
「信じられるか! 巨獣は敵だ!!」
ドゴォオオオオオオンッ!!
止める間もなくリーダーがライフルをハチベエに撃つ。
バキン……ッ!!
「何故、撃った!」
私はその射線上に割り込み、腕に生やした真っ赤な鱗で受け止めた。鱗が砕けて血を滴らせながらも〝竜の眼〟で睨みつけた私にリーダーが叫ぶ。
「やはり巨獣の仲間か! お前ら、そいつらを殺せ!!」
リーダーの叫びに意識が切り替わったように二人が殺意を漲らせて襲ってくる。
ハチベエに向かおうとした一人を角槍で食い止める。すかさずもう一人が槍を振るってくるが、私はそれを屈むように避けて、尻尾で脚を払った。
ドゴォオン!!
「くっ!」
再び放たれた銃弾を脚に生やした鱗で受け止めたけど、普通のライフルじゃないのか衝撃で吹き飛ばされた。
『わう! わう!』
そこにハチベエが吠えて威嚇すると、また銃口がハチベエに向けられた。
やらせるものか!!
「ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
起き上がろうとした姿勢のまま〝竜の息〟を放とうと声に〝熱〟を込める。
その音量に槍を持った二人が耳を押さえ、私はその二人を巻き込むようにリーダーへ狙いを定めた瞬間――
『――ツバキねーちゃん――』
一瞬、子どもたちの姿が小柄な人間たちとダブり、私は熱線ではなく〝竜の咆吼〟に変えた。
「――――――――――――――――――――――――――ッ!!」
〝竜〟の前に立つための選別を受けて、槍を持った一人が倒れ、もう一人が膝をつく。リーダーがライフルから手を離して転がるように距離を取り、ヘルメットを脱ぎ捨てながら頭を押さえる。その顔は……。
「……子ども?」
まさか小柄な女性ではなく本当に子どもだったの?
汗ばんで濡れたくすんだ金髪の少女は他の子よりも大きかったが、そばかすのあるあどけない顔で私を睨むと、倒れた一人を肩に担ぐ。
「撤退だ! お前、覚えていろ!」
そう言ってとんでもない身体能力でもう一人に指示を出して撤退していった。
私はその事実に追撃する気にならず、呆然と見送ることしかできなかった。
戦っていた人間は子どもだった。
どうして子どもが戦っているのか?
彼らの属する集団とは?