6 ジンベエの畑 その1
ワンコのお話
バウバウッ!
「え? 犬?」
鳴き声が聞こえて顔を上げるとそこに一匹の犬がいた。え? なに? 柴犬? ずいぶん薄汚れてぼさぼさになっているけど、たぶん柴犬。
野犬? 襲ってくるの? そう思って角槍を構えてみたけど、唸っているだけで汚れた柴犬はそれ以上近づいては来なかった。
「ああ、そうか」
辺りを見回してやようやく気づく。柴犬の背後に木々に隠れるように民家があり、私は朽ちた柵の中に入り込んでいたようだ。するとここは?
「……これ、野菜?」
雑草まみれで半分野生化していたけど、これたぶん野菜だと思う。……と言うことは、ここはあの民家の人の畑か。
たぶん、野菜が枯れてそのまま肥料になり、運良く種が残ったものが成長して細々と生き延びてきたのだろう。そんな生物の強さにほっこりとして思わず手を伸ばすと。
ウ~~~~~ッ!
「あ、はいはい、取っちゃダメなのね?」
柴犬が唸っていたので畑から手を離す。
この畑はこのワンコが大切に守ってきたのだろう。たぶん……ずっと。
「お~~いっ、ご主人はいるかぁ~~?」
荷物を置いて犬に向かって声をかけて手を振ってみる。すると、ワンコは怪訝な様子になり、とりあえず唸り声はやめてくれた。
「…………」
しばし無言のまま犬を見つける。私に敵意はない。そもそも敵対されるか糧を得る以外で、むやみに何かを傷つけるつもりはない。
私とワンコはしばらく無言のまま見つめ合う。ワンコのほうは睨む、だったけど。
しばらくするとその瞳から敵意が消えて、どれほど独りだったのか最初の〝野犬〟のような雰囲気から徐々に〝飼い犬〟に戻っていくような感じがした。
……クゥ~~ン。
「おお、よしよし」
近づいてきたワンコが私の差し出した指先をチロリと舐める。私は気を許してくれたと察して首辺りをもふもふと撫でてみる。
「お前は汚れているなぁ。痩せているなぁ。お前は頑張ってきたんだなぁ」
しばらくゴワゴワの毛皮をもふもふとしていると、突然私から離れたワンコが背を向けた。
バウッ。
「ん? ついてこいって?」
そう言われた気がしてワンコの後をついていく。目的地はすぐそこの民家だと思うけど、ワンコは私がついてきているか何度も振り返りながら道案内をしてくれた。
ガチガチに踏み固められた部分以外は雑草に覆われていたけど、畑からは見えなかった部分……民家の縁側に回ると、私もここにはもう人がいないことを確信した。
……そして、もう誰も戻らないことを。
ワンコは慣れた様子で開けっぱなしになっている縁側から、傷だらけの板の間の奥に重ねられていた毛布の上で横になる。
「そこがお前の寝床? 凄いね」
バウッ。
褒められたと思ったのか、ワンコが尻尾を振りながら自慢げに吠える。
「お邪魔しま~す」
私も縁側に荷物を置いてワンコに続いて中に入る。板の間は傷だらけで汚れていたけど、屋内へ続く板戸はしっかりと閉められていて、私がそこに手をかけるとワンコが顔を上げた。
「ここはダメ?」
聞いてみたけどワンコは何も言わず、起き上がってただ私の側へ寄ってきた。
許可が貰えたと感じて、土埃が固まった戸を壊さないように少しずつ開けると、少し変色した畳の部屋と台所があった。埃は溜まっているけど住んでいた人が丁寧に使っていたのか、今でも古びた感じはしない。
私がそのまま中に入るとワンコは境界線でもあるかのように戸の外で止まった。
「入らないの?」
クゥ~ン……。
たぶん、板の間から畳の部屋に入らないよう躾をされているのね。
でもワンコはそれを不満に思っておらず、どこか誇らしげにしていたので私はワンコの頭をわしゃわしゃと撫でておいた。
「ちょっと見るだけだから待っていてね」
バウッ。
ワンコのご主人様の家なので、見るのは畳間と台所程度にしておこう。
畳間は居間のような感じで生活感が残っていた。住んでいたのは老夫婦……かな? きっと農家さんだったのだろう、農業関連の本が何冊か置いてあった。
人がいなくなってからも何年かここに残っていたのかな? でも……避難する場所に犬を連れて行くことができなかったのだろう。それでも飼い犬を愛していたご主人は年齢的に戻れないことを察して、家の中には入れるように縁側の板の間を解放してワンコの寝床としたのでしょうね。
きちんとした人だったのか、冷蔵庫の中は綺麗に片付けられていた。残っていたのは干からびたソース類くらいで何もない。
缶詰くらいあるかと思ったんだけどなぁ……。念のために持っていったのかな? こんな場所なら自動車は必須のはずだから、それに必要な物を積んで避難した感じか。
ぐぅ~~~~……。
そろそろ昼時か。お腹も減ってきたので何か探さないといけない。
「そう言えば、お前はごはん、どうしているの?」
軽く探索して戻った私が訊ねてみると、ワンコは尻尾を振りながらキョトンと首を傾げた。
このワンコも、野菜が野生化するまで生きてきたのだから何かを食べていたはず。生き物が生きるには水も必要だ。
私は一旦外に出ると、野生化した畑の手前まで歩いてついてきたワンコに聞いてみる。
「野菜、少し貰ってもいい?」
ウ~~~~……。
きっと少しずつ〝ご主人〟と暮らしていた記憶を思い出しているのだろう。私の『野菜』という単語に反応したワンコは、小さく唸って私の腰巻きを引っ張った。
「わっ、下がるっ。わかったから、引っ張っちゃダメだって」
尻尾があるので引っかかって落ちないからいいけど、せっかく作った一張羅なのだから大事にしたいんだよ。
「ん?」
少々腰巻きの攻防をしていると、ワンコは私をどこかに連れて行こうとしていることが分かったので、その後をついていく。すると……。
バウッ。
「これも畑?」
私の声に反応したワンコは、その畑から引っこ抜いた何かを私の前に置いて、自分はキャベツらしき物をガツガツと食べ始める。
これって……小さくて痩せているけど、ダイコン? これを私に分けてくれたの?
私もワンコに倣い、土を払ってダイコンを生のまま囓ってみた。
「からいっ!」
雑草だらけで分からなかったけど、縁側の側に石で仕切られた区画があり、そこも野菜が野生化していた。これってこの家の人が食べる用の家庭菜園かな? 家の人が食べるだけなので沢山じゃないけど、そのぶん、色々な種類が植えられていた。
初めて見るけど見ただけで〝解る〟。パッと見て、カボチャ、大豆、ネギ、ジャガイモ、ダイコン、キャベツ……あれ?
「この骨はなに?」
家庭菜園の脇に砕かれた殻や小動物の骨が溜まっていた。私が骨を指さすと、ワンコはまたどこかへ連れて行こうと私を呼ぶので後に続くと、微かな水の音が聞こえた。
「用水路かぁ……」
民家からすぐ近くにコンクリートで作られた幅一メートルほどの用水路があった。
用水路と言っても水道じゃなくて天然の小川から水を引いているのか、それなりに水の流れもある。底には土ではなく砂が溜まってだいぶ浅くなっていたけど、枯れ葉も流され、水草も生えているので随分と綺麗に見えた。
これなら普通の小川と変わらない。ザリガニや小魚も見えたので、ワンコはここで捕まえて食べていたのだろう。
生き物がいるから直に飲むにはちょっとあれだけど。
「よしっ」
ざぶんっ! 私は腰と胸の毛皮を外して膝まである深さの用水路で身体を洗い始めた。
今までずっと頭から水を被るか濡らした布で拭くだけだったから、いい加減身体を洗いたかったんだよねぇ。
あ、そうだっ!
「お前も洗ってあげるから、おいで! 大丈夫だよ、すぐ済むから」
キャンッ!?
次回『ジンベエの畑 その2』
ワンコとの穏やかな生活