56 【閑話】白いオオカミ
終末世界の成り立ち
十年前、唐突に世界が変異した。
種による差異はあるが一定以上の大きさまで〝成長〟できた生物が巨大化し、そのほとんどの生物は高くなった知能で、それまで自分たちを襲い、監禁し、従事させ、皮を剝ぎ、食らってきた〝人間〟という存在を敵とした。
人間たちが不幸だったのは、それを事前に察せず、準備ができなかったこと。
巨大化した生物が、捕食者、非捕食者という垣根を越えて、人間への敵意で争わなかったことだ。
動物園の生き物たちが巨大化し、檻を壊して野に放たれた。
飼育されていた家畜たちが一斉に巨大化して暴走を始めた。
森に棲む動物たちも巨大化してその地域の人間を排除した。
肉食獣は人間を獲物と定め、際限のない食欲を満たすように襲いかかる。
暴走した家畜の群れは、建物や道路を破壊し、ライフラインを壊滅させた。
海では巨大化した鯨やシャチ、サメやマグロが、漁船やフェリー、タンカーなどを襲い、沈めていき、世界中に被害を広げていった。
そこに至ってようやく人類も抗い始める。
警察や有志による人々の避難と警護。軍隊による巨大化した生物の制圧。軍事衛星の偵察から巨大動物の群れへの大型火器使用。
大空を舞う戦闘機が大型生物の届かない高みから討ち取っていく。
現代兵器の力は凄まじく、劣勢に陥っていた人類は巨大生物の脅威を押し戻した。だが……その勢いは一年も経つと影を差し始める。
流通の停滞による燃料の不足。発電所の停止により工場が止まる。
武器弾薬が現地に届かなくなり、食料の生産も止まる。
数年分はあるとされる備蓄も主食に関してだけで、それも国民全員を養うことはできない。使える水もなくなり、農地は荒れ果て、大型家畜はすべて敵となり、重大な食糧不足に見舞われた。
一部では少ない物資を求めて人間同士が争い始め、その対処に手を割かれた隙を狙って、大型動物たちが再び襲い掛かる。
使えるものが少なくなった兵器では、俊敏な陸上動物を捉えることができず、大型火器も集中させなければ象やサイのような厚い皮膚を持つ巨大動物を倒すことができない。
燃料と部品が不足した航空戦力の低下。それを見計らったように巨大猿たちが基地を蹂躙する。
海でも空母やフリゲート艦が巨大カジキマグロに大穴を開けられ、潜水艦が巨大リュウグウノツカイに絞め潰されて沈んでいく。
その頃になってようやく危機感を覚えた社会主義国家が情報公開をして、東と西が協力を始めたが、時すでに遅く、人類の勢力は五年と持たずに瓦解することになった。
そんな終末を迎えた世界の中で、経済活動が停止した北方の大国が最後の嫌がらせとして自国へ核を放ち、国民と巨大熊たちを巻き込んでキノコ雲が立ち上げる。
『ウォオオオオオオオオンッ!!』
それを遥か遠くから確認した巨大狼の長は、群れの者たちとこの地を去ることを決めた。
それに応えるように十数頭の巨大狼が遠吠えを返し、巨大狼の群れは南を目指して走り出す。
『きゃん!』
その中に生まれたばかりの白い子狼がいた。
本来なら長旅についてこられないような幼い個体は捨てられたかもしれない。だが、巨大化して高い知能を得た巨大生物は、生殖能力が弱まり、この群れの中でも白い子狼は、五年ぶりに生まれた群れの宝だった。
巨大化した生物は大きさ相応に寿命が長くなり、成長が遅い。
三年が過ぎても成狼にならず、旅の中でも一頭だけまともな狩りもできず、守られていることに〝彼女〟は焦りといら立ちを感じていた。
そうして旅を続けて四年、大陸の南方を安住の地としようとしたところ、その辺りを縄張りとする三頭の巨大動物が立ち塞がった。
『ガァアアアアアアッ!』
白と黒の毛並み。全長十五メートルもある巨大猫熊は、巨大狼の群れを襲い、長と数頭の巨大狼を惨殺する。
『ガウ……』
仲間を殺され残り五頭となった群れ。残りは雌や老狼ばかりの中で、子狼からようやく成狼となった〝彼女〟は群れの長となって仲間を守ることを決意する。
それからまた旅が始まった。
この終末世界に新たに生まれた〝彼女〟の力は凄まじく、巨大水牛の群れを刈り、巨大虎を仲間の助けを借りながらも撃破し、皆を守り通した。
〝彼女〟は本能から太陽の昇る方角を新天地と決め、半島から海を越えて、とある島国へと辿り着く。そのときには仲間はさらに一頭減っていたが、今の仲間たちが平穏に暮らすには申し分のない土地に思えた。
中程度の動物もまだ残っている。河に行けば大きな魚もいる。稀に遭遇する巨大豚や巨大牛は御馳走だ。巨大熊のような危険な存在もいたが、巨大熊も群れで狩りをする狼と積極的に絡んではこなかった。
ようやく手に入れた平穏。だがその隙を狙う奸計に長けた存在がいた。
一頭だけだと誘い出され、群れで追いかけた〝彼女〟を待っていたのは、十数頭もいる巨大馬の群れだった。
『ガウっ!!』
瞬発力では勝っていても、速度と持久力では敵わない。せめて同数であったら巨大狼にも勝ち目はあったが、三倍もの数で押し潰され、仲間をすべて殺された〝彼女〟は森の中に紛れることでようやく逃げることができた。
それも最後の仲間が長であり〝宝〟である〝彼女〟を生かすことを望んだからだ。
仲間のおかげで生き延びた〝彼女〟は、恨みを晴らすためにもまずは力を溜めることを選択する。
大怪我のまま〝彼女〟は山林を進む。いかに生命力が強い巨大狼でも、何も食べずに動き続ければ衰弱する。
気温が下がり、ついに雪が降り始めた。
白い雪は真っ白な〝彼女〟の姿を隠してくれる。だが、その寒さは〝彼女〟の体力を奪い、傷口が開いて真っ赤な血が滴る。
偶に兎を見かけることはあったが、この深い森の中で、衰弱した〝彼女〟の巨体では素早い生き物を刈ることは困難であった。
『…………』
ようやく森を抜け、開けた場所に出られはしたが、すでに歩くことさえ困難なほど衰弱していた。今更兎程度では足りない。せめて少量でも巨大動物の肉がいる。
血を流しながらも身体を引きずるように歩く。
もう駄目か。仲間の仇も討てずここで朽ちるのかと考えたとき、それと出逢った。
バウッ!
大陸でも見たことがある、種族は近いが巨大化もできなかった同種ではない生き物。
その犬は、自分を見て警戒の唸りをあげる。
〝彼女〟は別種とはいえ、種の近いその犬を食らうほど誇りは失っていない。自分はここで死に絶える。そのみすぼらしい小さな生き物を『さっさと行け』とばかりに睨みつけ、〝彼女〟は限界にきて血に伏した。
しばらくしてその犬がいなくなり、その意識が落ちそうになったとき、その犬が巨大な肉塊を引きずって差し出してきた。
バウッ!
自慢気に吠えるその犬を〝彼女〟は訝しむ。何がしたいのか? 何が目的なのか?
その答えが出る前にその犬はどこかへ消えて、〝彼女〟はどうしようもなくその肉塊を食うことにした。
それは巨大動物の肉だった。火が通っていて〝力〟を感じなかったが、その肉を食らったことでわずかに力が戻り、傷口が塞がる。
『ガウ……』
〝彼女〟はそれと同時に、心の中に暖かなものが点るのを感じた。
餌の少ない冬の季節に、その犬……〝彼〟は貴重な肉を分けてくれた。それも見も知らずの死にかけた自分のために。
瀕死から命を得た〝彼女〟は行動を始める。
まずは森を駆け抜け、巨大動物に捕食されて急激に数が減少した中型生物、アライグマやイタチなどを嗅覚で探し出し、食らっていく。
ある程度活力が戻ったところで、〝彼〟の危険になりそうな地域にいた巨大鹿を仕留め、力が戻るまで貪り食った。
だがこの肉では借りを返したことにならない。〝彼〟が食べられる柔らかい肉を求めて野山を駆け巡り、隠れていた野兎を見つけてそれを持って行き……〝彼女〟は押しかけるように居座った。
それから半年ほどして、〝彼女〟は子を授かった。
なかなか子をなせない巨大動物であるが、第二世代は違うのか、それとも巨大動物ではない近種との交雑は別なのか、八頭もの子が産まれた。
そのほとんどは〝彼女〟と同じ狼の特徴を強く残した狼の巨大動物だったが、たった一頭だけ、末の子が〝彼〟とそっくりだった。
どうやらその子は犬の性質を強く残しているらしく、幼い行動が目についた。そんなところも可愛いが、果たしてそれで大人になったときやっていけるのかと〝彼女〟が不安を感じていたころ、不意にそれが現れた。
人間のような姿に鱗の生えた尻尾。羽毛の代わりに重ね合わせた鱗から炎を噴き出しながら舞い降りたその個体は、その大きさに反して強大な〝気配〟を感じさせた。
だが、それほどの力を持ちながら敵意や害意のようなものは感じられず、接触してみるとその匂いから、過去に〝彼〟の群れにいた仲間のようだった。
てっきり〝彼〟の『昔の女』かと思い警戒したが、本当にただの仲間だったようで〝彼〟が食べられるように火を通した大量の肉を振舞ってくれた。
肉を貰っただけで全力で懐いた我が子たちに頭も痛くなるが、それより気になったのは、自由気ままだった〝彼〟似の末っ子が、彼女に一番懐いたことだ。
母として〝彼女〟はその子を彼女に託すべきだと思った。母や兄弟のいない世界で生きる力を得るには、それがもっとも良いことだと、二人で旅立っていく姿を家族で見送った。
『…………』
悩みのない笑顔で駈けていく二人……。
遊び好きでうっかり気質な末っ子と、力はあっても頼りなさそうな娘の二人旅に、〝彼女〟は少し早まったかもしれないと溜息を吐き、そんな〝彼女〟を励ますように〝彼〟が一声鳴いた。
バウッ!
申し訳ございません。
現在、他の作品二つの続刊作業が夏まで立て込んでおり、一ヶ月ちょっとお休みいたします。
再開は8月中の予定です。よろしくお願いします。