49 生きる子どもたち その8
「ねーちゃんが!?」
「無茶よ!」
私一人で大人たちを追った巨大動物の対処をする。アキやリンだけでなく小さな子たちも驚く中で、私は小さく苦笑する。
「二人だって自分がなんとかしようとしていたのでしょ? 任せて。私が行くから」
不安で微かに震えているアキとリンの肩を叩いて、私は強く頷いた。
いくらアキやリンに子ども離れした身体能力があると言っても、行かせたらほぼ確実に命を落としてしまう。私だってあれだけの巨大動物をまともに相手できるとは思えないけど、私なら生き残れる可能性はある。
「それじゃ、行ってくるね」
泣きそうな顔で見上げるヒナ、リク……そして俯いたソラの頭を順番に撫でていくと、最後にソラが飛びつくように抱きついてくる。
「ちゅばき……」
「大丈夫だよ。〝ねーちゃん〟は強いんだからっ」
ソラをわきに手を当て目線まで持ち上げてニッコリと笑ってみせると、ソラはようやく小さく頷いて私を離してくれた。
「行ってくる」
心配そうな、不安そうな、子どもたちの瞳を背に受け、両脚に〝熱〟を込めた私は角槍と牙ナイフだけを持って突風のように飛び出す。
「……あれか」
意識を凝らせば南のほうに微かにそれらしい〝気配〟を捉えた。高い建物に登って確認するとかなり遠くに膨大に舞う土煙と巨大な影が見えた。
この距離で見えるなんてどれだけ巨大なのか……。とにかくかなり距離を離された。巨大化した馬なら元の馬より速いはずだが、あれだけの巨体である象ならそれ以上の速度で移動できるのかもしれない。
「…………」
……正直、子どもを見捨てた大人たちを救うことに思うところはある。でも……大人たちを見捨ててしまったら、きっとリンの心に疵が残る。
ダンッ!!
廃墟ビルの屋上から他の屋根へと、私は心の澱を振り払うように全力で駆け抜けた。
***
「もっとスピードは出ないのかよ!」
「これが限界だ! 文句があるなら、先に行って倒木でもどかしとけ!」
警察の護送用の車両とトラックの二台が、木々に囲まれた道らしき場所を進み、トラックの荷台から掛けられた声に、運転手の初老の男が怒鳴り返す。
新天地……生き残りの日本人がいるはずの南の避難所へ旅立った大人たちだが、その道程は遅々として進んではいない。
「くそっ、……本当にこれが〝道路〟かよ」
元囚人である初老の男が柄の悪い口調で愚痴を漏らすと、助手席にいた眼鏡の男が、睨むように見つめていた紙の地図から顔を上げて、顔を顰める。
「間違いはないはずなんですよ。こんな状態なんだから仕方ないじゃないですか」
県から県へと続く国道を使い南へと向かうはずが、その道路はアスファルトのおかげで巨大樹木の浸食こそ免れていたが、この十年で溜まった落ち葉が土となり道と森との境目が分かりにくくなっている。
元は道路なので平らなことは助かっているが、ここでも巨大動物が暴れたのか、破壊された廃車や倒木などが行く手を邪魔していた。
元市役所の職員であった眼鏡の男は、刑務所跡地域の避難の担当だったが、新人だった彼は勝手が分からず逃げ遅れてしまった。
特に技術も知識もなかった彼は集落の中で孤立することを恐れて、交番や役所などで紙の地図や情報を集めるなどをしていたことで、集落の中で雑務担当となってしまい、そのせいで他の若い者たちが集落を離れるときも、ついていくことはできなかった。
それを不満に思い、あの集落から出ることを一番望んでいたのは、眼鏡の男だった。
「それにしても、おやっさん……」
「……リーダーが決めたことだ。俺たちも納得しただろ」
眼鏡の男が言いかけたことに、初老の男性が苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
先を走る警察車両には女性を含めた家族や老人などが乗っているが、このトラックの荷台には元囚人や単身者が集まっており、その中には数年前、子どもたちがあの集落にいられなくなった原因となった、二人の元大学生も乗っていた。
女性を暴行しようとして子どもたちに半殺しされた彼らを、大人たちは放逐しようと考えた。
だが、彼らが反省した発言をしたことと、重傷を負っていたことで、放逐すればほぼ間違いなく死んでしまうことから情けをかけてしまったのだ。
「子どもたちを放逐しておいて、あいつらに情けをかけたのはちょっとアレだが……」
「まぁ、仕方ないッスよ。俺ら〝人間〟と〝あの子〟たちは違うんですから……」
当時のアキやリンはまだ幼かったが、すでに大人を超える身体能力と、この世界を生き抜くための精神的な〝強さ〟を持っていた。
その子どもたちが大人たちの価値観とは違う〝強さ〟を示したことで、犯罪者は残り、正しいことをした子どもたちが〝異分子〟として排除されてしまった。
あれだけのことをした大学生二人でさえ、まだ大人側の理解できる範疇の存在だったのだ。
だが、その大学生二人の態度が悪くなってきている。問題を起こしたことで周囲からの目が厳しくなり、肩身の狭い状況に陥っていたが、その鬱憤が五年も経ったことで罪の意識さえ薄れさせ、子どもの存在がないことで羽目を外すような行動を取るようになった。
元刑務所跡の集落では、ラジオのような情報媒体は情報収集のためにも、わざわざ電池を集めてできるだけ電源を入れていた。
数年前まで偶に〝くぐもった声〟で山向こうの電波塔へ誘うような放送がされていて、実際にその放送を聞いて何組かの避難民が向かったことを覚えている。
そしてこの前、数年ぶりにラジオに音声が入り、この集落から離脱を考えていた元大学生の二人は、連絡用に確保していた打ち上げ花火を勝手に使ってしまった。
その結果、その花火を見た一人の〝少女〟を呼び寄せることになったが、彼女は大人たちが追い出した子どもたちより、遙かに〝異質〟であった。
それでも……。
(……勿体なかったよな)
眼鏡の男は心の中で独りごちる。確かに角や尾があるなんて、子どもを追い出すことに賛成した連中なら受け入れられないのだろうが、ゲームやアニメの知識がある彼は、そんなことよりもまだ若い〝女〟ということでその身体に未練があった。
当時は元大学生の二人がやったことに憤っていたが、徐々に歳をとっていく集落の中で彼も若い女性を求めるようになった。
このトラックに乗っている者たちは、そうした考えを持つようになった単身者だ。初老の男と眼鏡の男はそれの監視役も兼ねているが、眼鏡の男も同じ穴の狢になりかかっていた。
「――おーいっ、また倒木だ! 何人か来てくれ!」
先を進んでいた警察車両にいたリーダーの声が聞こえた。
「分かった! おーい、何人か行ってくれ」
初老男性の呼びかけに数人が立ち上がるが、大学生二人はクッショ替わりの毛布から動かず、またも文句を言ってくる。
「またかよぉ。さっさと進んでくれよなぁ」
「お前らも手伝え!」
「……おやっさん」
初老男性がまた怒鳴りつけたところで眼鏡の男が声をかける。
「なんだ、俺はあいつらを――」
「なんか、震えてないですか……?」
微かな振動を感じる。元々地震の多い島国なので、この程度なら珍しくはない。だが、地震になれているからこそ、それが普通の揺れとは違う連続した〝振動〟だと気づく。
「まさか……リーダーっ! あいつらが来る!」
ズズンッ!!
『ブォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
複数の獣が発する嘶きが重低音の管楽器のように鳴り響く音が聞こえ、呆然と顔色を青くする大人たちの中でいち早く正気を取り戻したリーダーが声を張り上げる。
「車を出せっ!!」
「だが倒木が……っ」
「乗り越えろっ! 全員、何かに掴まれっ!!」
ガダンッ!
「……くそっ」
倒木を強引に乗り越え、車内から悲鳴が響く中で運転席のリーダーが舌打ちをして、頭の中でどうしたこうなったのか考える。
巨大馬の群れが追ってきた。しかし、どうして自分たちの場所が分かったのか? そもそも、どうして自分たちを追ってきたのか?
馬たちがあの刑務所跡を縄張りとして自分たちと敵対するのは理解できる。罠を仕掛けて馬を倒すことができることも示した。それでも自分たちがあの辺りを放棄すれば、こちらを襲ってくる理由もなくなるはずだ。
だが、リーダーは……〝人間〟は理解していなかった。
巨大動物の知能が人間並みに高まっていることを。
知能が高くなったことで轍の跡を追うこともできるようになっていることを。
そして……人間並みに恨みと憎しみを抱き、どこまでも相手を許さない〝陰湿さ〟を持ってしまったことを理解できず、平和な時代の常識に囚われ、所詮は馬だと侮ってしまった。
ドゴォンッ!!
『ブルォオオオオオオオオオオオオッ!!』
車が走る道路の左右から、森を突き抜けるように複数の巨大馬が現れた。
「くっそぉおおおっ!」
トラックを運転する初老男性が、前を塞ぐように割り込んだ巨大馬にハンドルを切る。
キキィイイイイイイイイイイイイイッ!!
横転こそ免れたものの、シートベルトどころか座席もないトラックの荷台から、大量の荷物と共に人間が放り出された。
「……あ――」
放り出された老人が後生大事に抱えていた宙を舞う紙幣に手を伸ばして――
――グシャ。
『ブルロォオオオオオオオオオオオ!!』
それを巨大馬の一頭が容赦なく踏み潰し、後続の馬が駆け抜けるだけで放り出された人間たちが踏み潰されていく。
駆け抜けた巨大馬が前方の警察車両に迫る。
「うぁああああああああああああああっ!」
リーダーは必死にハンドルを握り、アクセルを踏み続けるが、あまりにも速度が違う。人間が山の中で獣から逃げられないように、あっさりと前に回り込んだ全高五メートルもある巨大馬にブレーキを踏むも、正面衝突の形でぶつかった。
ドコンッ!
「がぁあ!」
あまりの衝撃に車内の乗員が床に投げ出され、リーダーがハンドルに額を強く打ち付ける。
巨大馬のほうも跳ね飛ばされたが倒れることはなく、ゆっくりと砕け散ってガラスの無くなった運転席を覗き込んだ。
「こ…の………」
額から血を流したリーダーが脳震盪で朦朧としながらも、震える手で猟銃を覗き込む巨大馬に向けると、馬は嘲るように歯を剥き出し、歪んだ愉悦の笑みを浮かべた。
ゴォオオオオオオオオオッ!!
ドス……ッ!
そのとき、激しい風切り音と共に飛来する真っ赤に灼熱した〝角槍〟が、その巨大馬の首を貫いて炎上させる。
そのときリーダーは朦朧として霞んだ視界の中で、〝小さな竜〟を見た。
次回、巨大馬との戦い。




