47 生きる子どもたち その6
「アキ~っ。ちゃんとリクを洗ってあげてねぇ~~っ」
「わかってるよ! リンはこっちくんなよ!」
今日はお風呂の日だ。別に決まった日に入っているわけじゃないけど、なんとなく汚れたり気持ち悪くなったりしたら身体を洗っている。つまり、今日はなんとなくだ。
暖かな季節は川で行水をしたり、それ以外の季節は水で絞ったタオルで身体を拭いたりしているけど、まだ春なので行水は寒い。
でも大丈夫! 川辺に岩で仕切りを作って、私が角槍突っ込んで〝熱〟を込めてやればあっというまにお風呂に早変わり。大きな岩も子どもたちは身体能力が高いから、三歳のソラでさえ十キロくらいの石を運べちゃう。いやマジで凄いな。
ちなみに、横着して私の〝竜の息〟で沸かそうとしたら、一瞬で超高熱のスチームになって、離れた場所にいてもらっていた子どもたちに怒られた。
「あはは、アキったらツバキおねーちゃんがいるから、恥ずかしがっているんだよ」
リンが含み笑いをするようにそう教えてくれる。
いつも川で行水をするときは、ちょっと離れるだけで、みんな素っ裸で身体を洗っているそうだけど、私は一応、十代半ばくらいの身体だからアキも恥ずかしいみたい。
いや、アキはちらちらとリンのほうも見ていたけどね。ふふ。
「きゃははっ」
「わーい」
やっぱり私の尻尾が珍しいのか、ヒナとソラが纏わり付いてくる。私も二人が掴まったまま尻尾を持ち上げてあげたら、すごく喜ばれた。
「二人とも、お湯が冷める前に身体洗うよ~」
「はーい」
「うん!」
尻尾を前に回して捕まえたヒナとソラを、リンと二人がかりでタオルでごしごし洗う。
一応、石鹸も使っている。街に残っていた使いかけの奴とか、液体のシャンプーとかはなんかやばい感じの色になっていたけど、ちゃんとビニールで包装されている石鹸はまだ使えた。
十年前に避難するとき、商店とかは物を荒らされた形跡があったけど、石鹸はコンビニの倉庫とかに残っていた。
安い奴じゃなくて、ちゃんと潤いが残りそうな高級品を使っているから、頭も身体も丸洗い。
でもこれって、子どもだから油分多めで丸洗いでも問題ないけど、油分が少なくなってきた大人とかだと大変そうだなぁ。
私はまったく平気。そもそも私の肌って鱗だから表面の汚れだけ取れたらいいし、髪もぼさぼさにならないんだよね。
私の身体の不思議なところ……。髪の毛は〝毛〟ではないかもしれない。もしかしたらこれも鱗の一部なのか、一定以上には伸びないし、火でも焼けないし、切れたら伸びる。
この五週間で子どもたちの髪を切ることがあって、ついでに切ろうかとリンに言われたけど、ハサミで切れなくてリンが何か言いたそうに私を見た。
「…………」
あのおじさんと会ってから一週間……もうそろそろ旅立つ頃だろうか。
私はなんとなく刑務所跡の集落がある方角を見つめ、結局子どもたち……リンにそれを話せなかったことにこっそりと溜息を吐いた。
***
「……準備はいいか」
集落のリーダーである男が声をかけると、二十二人の男女のうち数名が様々な声を返す。
ある者は希望に満ちた覇気のある声で、ある者は疲れ切った声で、ある者は後悔を含んだ声を返し、ある者は返事をすることもなかった。
この集落に女性は少ない。元々刑務所なのだから当然だが、そこに怪我人や病人など、すぐには動けなくて逃げ遅れた者たちが集まり集落となった。
その中でも、学生や二十代などの若い女性はこの集落に留まることなく、十年前の段階で徐々に南の避難所を目指して旅立った。怪我をして動けなかった女性も若い人は数年以内に他の若い者たちと、南を目指してこの集落を後にした。
ここに残った女性は、老人か子どもが小さかった夫婦、そして……ここにいるうちに子どもができてしまった女性たちで、六人しか残っていない。
その当時は、政府が救援に来てくれることを信じて、それまでここで生き抜くことを目指し、まともな受刑者が労働力として残ってくれたことで、希望を感じていた。
しかし……それは新たな避難民を迎えたことで、変わってしまう。
五年ほどたった頃、その二人の避難民がこの地に現れた。
彼らは元大学生のグループで、十名ほどで登山途中に世界の異変が起こり、政府の避難に加わることができず、巨大動物から身を隠すように少しずつ移動してきたらしい。
山小屋に隠れ、保存食で命を繋ぎ、時には無人の山村を漁って食料と物資を手にしながら、少しずつ南を目指した。しかし、その間に病気になり、医薬品もなく、時には巨大動物に遭遇して、いつしか仲間たちは登山経験の長い二人だけになっていた。
そうして五年もかけてこの地まで辿り着いた彼らは、髪も髭も伸び放題で服もボロボロの酷い有様だった。最初は警戒していた集落の者たちもその様子に同情して彼らを集落に迎え、彼らも久しぶりのまともな食事や安心できる寝床に涙を流して感謝を繰り返していた。
数週間もすると、衰弱していた彼らもまともに動けるようになり、集落はまだ若い彼らを新たな労働力として迎え入れた。
それが過ちとも気づかずに……。
数ヶ月は彼らも集落に馴染もうと真面目に仕事をしていた。しかし、贅沢はできないが安全と安心を手に入れた彼らは、次第に膨れ上がる自らの欲求を御すことができなかった。この五年間、倫理観とはほど遠い生活をしていた彼らは問題を起こしてしまったのだ。
彼らは集落の女性を襲った。それは未然に防ぐことができたが、それをしたのは、集落の新しい子どもであるアキとリンで、二人は彼らを素手で半殺しにすることでそれを止めたのだ。
アキとリンがしたことは間違いなく正義だ。でも、五歳と四歳の子どもが知り合いの女性を救うためとはいえ、〝暴力〟という行為を躊躇いなく行ったことが問題だった。
今は女性が一人で外を出歩けるような平和な世界ではない。世界がこうなってしまってから生まれた子どもたちは、生きるために生き物を殺すことを平然と行う。
虫を殺す、魚を殺す、鳥を殺す……ここまでなら大人たちでもできる。出来はするが、平和な世界で生きた記憶がその行為を躊躇わせ、不快感を抱く。
だが子どもたちは食べるために野犬を狩り、血塗れの顔で食べ物が獲れたと笑う。
大人たちでさえ殺されかねない野犬を平然と狩ってくる身体能力と、自分たちと違う倫理観を持つ子どもたちに、大人たちは次第に恐れを抱くようになっていった。
そして……子どもたちは、悪人を当然だと言うように成敗したのだ。
アキやリンは間違っていない。間違っているのは、こんな終末のような世界で生きるのに邪魔にしかならない、平和な世界の倫理観を後生大事に捨てられない大人たちのほうだ。
だが、集落のリーダーは決断しなければいけない。自分たちとは違う〝新人類〟を生み出してしまった母親たちは、我が子を愛していながらもおぞましく思う自分に心を病み、当時リクやソラを妊娠していた女性たちも恐怖に震えた。
平和な時代ならそれでも愛のほうが勝ったとは思うが、女性たちはこれまでの生活で心をすり減らし、身も心も疲弊しきっていたのだ。
リンはリーダーの子だ。だからこそ、彼はアキやリンを〝捨てる〟という選択肢を取るしかなかった。
(…………リン)
集落の者たちは、今日新天地に向けて出発する。
リーダーの脳裏に、我が子を森に置き去りにするときの、悲しげではなくどうしようもなさそうだと理解した、娘の寂しそうな顔が浮かぶ。
リンは捨てられることを理解していた。それでいて、泣き叫ぶのではなく、それを自然と受け止めていた。その高い知能と強靱な精神性にリーダーは恐れながらも安堵し、愛する娘に別れを告げた。
アキやリンを捨ててから、ヒナ、リク、ソラが二人と〝同じ〟だと分かって、二歳になると放逐した。
それでも、子どもたちは生き残った。二歳で放り出した幼児たちも二人が拾って育てていた。
生きるだけで疲弊していく大人たちと違い、この世界に適合した〝新人類〟である子どもたちは、逞しく生き延びていた。
そこに新たな〝バケモノ〟が現れた。子どもたちに感じた〝畏れ〟を数倍にも強めたような雰囲気を持つ、まるで竜のような角と尾を持つ本物の新人類。
一度、様子を見に行ったとき、偶然少女が大木を軽々と持ち上げている姿を見て、彼女が子どもたち以上のバケモノだと恐怖した。
リーダーはアレが子どもたちの行き着く先だと思った。彼女を心が病んだ女性たちと接触させてはいけないと感じた彼は、バケモノたちが更なるバケモノになる前にこの地から出て行くことを決断する。
警察署から拝借して整備していた護送用の車両とトラックに、大人たちが荷物と共に乗り込んでいく。
燃料はこんな日が来たときのために、放棄された自動車から小まめに集めていたが、十年経った燃料でもちゃんと動いたことに安堵する。
あの角と尾を持つ少女に話したことは嘘ではない。だが、ある真実を隠していた。
この辺りを縄張りとして巡回する巨大馬の群れは、いずれ、ではなく、あと数週間もすればこの地へ帰ってくる。そのときに巨大馬を罠にかけて食料としたこともある自分たちがいなくなれば、その矛先が子どもたちへ向かうかもしれないのだ。
リーダーは最後に娘と会いたかった。だが、そんな娘を自分たちが追われないための〝囮〟として、もう一度捨てていく浅ましい自分が会う権利はないと、手が白くなるほど強くハンドルを握りしめた。
「……出発するっ!」
***
『……ブルルルゥ』
刑務所跡から数十キロ離れた草原に、全高五メートルもある巨大馬の群れの姿があった。
馬たちは牧場で飼育されていた競走馬だった。十年前のあの日、世界が変わり、巨大化することで高い知能を得た馬たちは、人間たちの『飼育』を『支配』だと理解し、人間に反逆した。
生きているかぎり走らされる。繁殖のためだけに生かされ、わずかな怪我で殺される。
馬たちにとって人間は、『支配者』であり『捕食者』だった。
本来、馬はとても臆病な生き物だ。だが、知性が高くなることで恐怖することの意味と無意味さを知った馬たちは、狡猾になり、脅えてきた分だけ残忍な存在へと変化した。
人間の小さな武器では自分たちを殺せない。火を噴く大きな筒も本気で走る馬たちを狙うことすら出来なかった。
もはや人間は敵ではない。一蹴りで鉄の箱ごと粉砕した。熊や他の巨大生物に襲われることもあったが、それらが追いつけない速さで駈ける自分たちは、とても気高い存在なのだと考えるようになった。
だがこの地には小賢しい人間がわずかだが生き残っている。
少数の人間などもはや取るに足らない存在だが、その人間は馬たちの食料である草原を焼き、馬たちが好まない植物を植え始めた。
何度かそれを踏みにじって荒れ地に変え、時には人間の住処を覆う高い壁を攻撃して威嚇してやったが、馬たちが草原を求めて他の地域へ移っている間に、人間は懲りずにまた草原を焼いて自分たちの食料とする植物を植えていた。
一度、若い個体が我慢の限界にきて、高い塀を跳び越えて人間の住処を襲ったこともあったが、小賢しい人間は、馬たちが跳び越えやすい場所に丸太の杭を逆さにした罠で待ち構えていた。
そのせいで、一体の仲間が逃げることができなくなり、焼き殺されて人間たちに食われた。
そろそろ我慢も限界だ。そのときは警戒して引き下がったが、馬たちは今度こそ人間たちに恨みを晴らそうと、敵対状態ではない他の巨大動物を誘導して、ぶつけることを考える。
その存在は、自分たちと同じ植物を食料としながらも、地面に生える草ではなく、樹木を丸ごと引き抜くように食していた。
馬たちと同様に餌を求めて巡回するその存在が通った後は草原になる。馬たちにとっても有用な存在で、以前よりその存在が好む樹木のある場所へ誘導していたことで、馬たちとは共存関係にあった。
今回はそれを利用する。知能の高い彼はその程度で怒りはしないだろう……と、馬の中でひときわ大きな個体は嗤うように口元を歪める。
さあ、始めよう……人間の殲滅を。
その馬は、そう語りかけるように背後にいる山のように巨大な〝彼〟を振り返った。
『……パァオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!』
この地を去る決断をした大人たち。
それを嘲笑うように迫る、巨大な影……。
彼らは生き残ることができるのか?
そのとき、花椿の行動は……