46 生きる子どもたち その5
「それじゃ、今日はなんのお勉強をする?」
「私は〝算数〟がいいかなぁ」
「ボクも!」
小学校の教室で私が子どもたちに問いかけると、リンとリクが〝算数〟を希望する。
リンが算数を勉強したいのは、単純にこれからの生活で数を効率的に数えるという必要性を感じているからだけど、四歳のリクが算数を好きなのは、物を数量で喩えるという数字に楽しさを感じたからだと思う。
「あたしは、ろーま字!」
「オレは〝地理〟がいいなぁ」
五歳のヒナが〝ローマ字〟を希望する。彼女は〝ひらがな〟と〝カタカナ〟をあっという間に覚えて、新しい文字を覚えることに喜びを見出していた。
アキが〝地理〟を希望するのは、この狭い地域しか知らなかったアキが世界の広さを知ったことで、知識欲と冒険欲が高まっているからだ。
「ちゅばっ」
そこに一人で勝手に『あいうえお』のひらがなをノートに鉛筆で書いていた三歳のソラが、自慢するように『ちゅば』と私の名を呼んで、満面の笑みでノートを広げた。
『文字を教えてほしい』と、リンからお願いをされて、〝知識〟を持つ私はどう教えたらいいか悩んだ。
だって、漢字とか文法とか教え始めたら、簡単なものだけでも数年はかかりそうじゃない? だから私は、単純に〝文章〟として会話ができて、本の内容も理解しやすい『接続詞』を重点に教えることにした。それで漢和辞典の引き方が分かれば、少しずつ調べながら本も読めるようになるんじゃないかな。
でも、それだけじゃ飽きるし、小さな子たちには難しい。
だからヒナたち幼児組のために、ひらがなの書き取りと簡単な足し算、絵本や図鑑などで興味のあることを増やしていくことにした。
何しろ、ここは小学校。この十年でボロボロになっているのも多いけど、職員室や図書室を探せば、まだ綺麗な教科書やノートもあるんだから教材に困ることはない。
それで色々なことを教えているうちに、興味が分散されて教えることが増えてしまった。
いや、私も自分で学んだわけじゃなくて、生まれつき〝知識〟として知っているだけだから、低学年くらいのことまでしか教えられないよ!?
それでも私は子どもたちに教えることを強制するつもりはない。個人が興味を持ったことだけを教えることにしている。
だって、今、この子たちは〝学ぶ〟ことに喜びを感じている。
私も〝知識〟から得た感覚でしかないけど、〝知識〟の中には『子どもは勉強を嫌がるもの』という固定観念があり、私はそれをよく理解できなかった。
でも私は、必要なことを知恵として学ぶ子どもたちに、ようやくその意味が分かった。
人は必要だから学ぶ。好奇心があるから学ぶ。
本来、新しいことを知るのは〝楽しい〟ことなのだ。
そりゃ、必要と感じていないことを教えられても楽しくないよね。しかもそれを覚えたか確かめるために〝点数〟をつけて格差を生み出した。
そうなると勉強は点数を取るための作業になり、モチベーションは他者より上に行くという優越感が主になってしまう。
だから、格差のないこの子たちは、知ることの楽しみを知り、学ぶことを楽しんでいる。
でもそれは……
(大人たちから離れたので、そうなっているんだよね……)
教育に固定観点を持つ大人が効率的にものを教えることがなかったので、子どもたちは非効率で楽しく学んでいる。
それが幸せなことかどうかは分からないけど……。
そんな感じで子どもたちに勉強を教えるようになり、もう一ヶ月が過ぎようとしていた。
いや、私もね。そんなに長居するつもりはなかったんだよ。私はあくまで〝お客様〟。そうでないと旅なんてできない。
ジンベエや婆ちゃんのときは二人とも高齢だったから、看取るまで数年くらいなら一緒にいてもいいかと考えもした。でもこの子どもたちは違う……。
〝人外〟である私と一緒にいるのは良いことじゃない。巨大生物とだって戦える私といることが当然になってしまったら、私から離れることが出来なくなる。
アキやリンは分かってくれると思う。私を紹介するとき『お客』だと言っていたから、彼らに必要なことを教えた『変なねーちゃん』と同じで、ここから去ることを理解している。
でもね……小さな子たちはそうじゃない。これ以上一緒にいたらダメだと理解しているのに、私もずるずると一ヶ月もいてしまった。
〝人間〟は〝竜〟とは一緒に生きてはいけない。
すくなくとも……今はまだ。
私が……〝竜〟がこの終末の世界に生まれた意味を知るまでは。
「ふぅ……」
私は一人で小学校周辺や燃えた街辺りを探索している。
アキやリンと一緒でもいいのだけど、小さな子たちの世話があるので二人は遠出が難しい。そこで私が遠くにある食料や資源のある場所を探して、二人に教えることにした。
それに私も偶には一人になることも必要だ。ずっと一人だったからそのほうが気楽という面もあるけど、もし巨大動物が近くにいたら大変だ。それでなくても野犬や猿の群れがいたら、小さな子たちには脅威になるので、出来ることなら一人で対処したかった。
「危険はない……か」
ジンベエもいたから野犬もいるかと思ったけど、やっぱり集団になると雑食の巨大動物に狙われるのか、その姿を見ることはなかった。
でもこれほどその姿を見ないと言うことは、肉食の巨大動物の主食は……人間か。
この一ヶ月は巨大動物の気配を感じていない。アキたちの話によるとこの辺りには〝巨大馬〟が出るらしい。熊は私が倒したけど、他にもいるのかな? たぶんあの個体が縄張りとしていたからしばらくは大丈夫だと思うけど、警戒は必要だね。
それと……。
ダンッ! と、脚に〝熱〟を込めて廃墟の屋上から隣のビルに飛び移り、数キロメートルの距離を一気に駆け抜けて、その四階建てのビルの屋上へ着地した。
「……何をしているの?」
「くっ……」
突然空から降りてきた私にその人は酷く驚いた顔を向けた。
数日前から〝視線〟のようなものを感じるときがあった。アキやリンは私みたいに気配を感じられるわけじゃないから気づいていないけど、私は偶に感じていた。
悪意は感じなかった。巨大動物特有の〝不思議な力〟の気配もなかったから、カラスか何かかと思って、とりあえずは放っておいたが、その視線に〝感情〟のようなものを感じて、今日はそれを確かめに来た。
でも……そこにいたのは、一ヶ月前に一度だけ会った、リーダーらしき男性だった。あの時と同じく猟銃を持ち、一瞬それに手を伸ばしかけた男性の首に角槍を当てる。
「動かないで。一瞬で殺せるよ?」
まぁ、敵意がないかぎり殺すつもりはないけど、悪意があれば本当に殺してもよかった。
私は人間に近い姿と〝知識〟があるので意識が人間に寄っているけど、基本的には中庸で何があっても全面的な肯定をするような感覚はない。
ジンベエや婆ちゃんのような心を通わせた存在を優先する。悪意がなくてもウータンのような潜在的な敵は排除する。そして、もし子どもたちに〝悪意〟を持っていたら、あの子たちが気づかないうちに排除することも厭わない。
「本当にあなた、ここで何をしているの?」
ジリ……と角槍に〝熱〟を込め、火傷するほどの熱ではないけど、驚いて身を躱そうとした男性に〝竜〟の気配を向けて動きを縛る。
「……やはり、お前も〝バケモノ〟なのだな?」
私の気配に大量の汗を流しながらも男性は私を睨みつけた。
「私……〝も〟?」
「……そうだ。子ども等のところにいることは気づいていた。俺は、お前のような得体の知れないものがまだいるのか確認しに来ただけだ。これが聞きたいのだろ?」
私の聞きたいことを先読みするように彼が答える。まるで、私の問いを意図して躱すように。
「今更、子どもたちになんの用?」
私が再度訊ねると、彼は一瞬逡巡する様子を見せる。
私を危険だと考え、その動向を確認するのは分かる。でも、それをどうして彼がするのか?
前回の感じだと、あの刑務所跡の集落のリーダーのような立ち位置の人物だと感じた。確認するだけならあの眼鏡の兄さんのような人にやらせればいいのに、リーダーの彼がわざわざ単独で様子を見に来ているのは違和感があった。
「……あの子らに危険がないか確認したかっただけだ」
私の圧力に彼が声を絞り出すようにそう言った。
「捨てたのに?」
「ちがっ……」
私の言葉に反論しようとして出しかけた言葉を呑み込む。
「いや、違わないか……。俺たちは子どもたちの力を恐れた。こんな世界になって初めて出来た子どもだ。嬉しくないはずがない。だが……あの子たちは俺たちと違った」
新しく生まれた命は、この世界に適した〝力〟を持っていた。
大人たちが火を通さなければ食べられない巨大動物の生肉を好んで食べる。それ以前に生まれた子どもと身体能力が違いすぎて怪我をさせることもあった。
怪我をしてもすぐ治る。滅多に病気にもならない。そして……過去に一度、受け入れた避難民の一人が女性を襲い、それを躊躇いなく半殺しにした五歳と四歳の子ども……その精神性に、母親たちは恐怖した。
「彼女たちは間違いなく子どもを愛していた。……だが、それが自分たちと違う生き物に見えて、それを産んだ自分に母親たちは心を壊して……拒絶した」
「…………」
だから、彼らは子どもを捨てるしかなかった。生まれたばかりのヒナたちはまだただの赤ん坊と変わらなかったから様子を見ていたが、結局アキたちと同じだった。
大人たちも悩まなかったわけじゃない。自分で手にかけることが出来ず、捨てるという行為で排除されてそのまま死んでしまうはずの子どもたちは、見知らぬ『変なねーちゃん』によって救われた。
「愛することが出来ないなら、放っておいてあげたら?」
「愛してないはずがないだろ! あの子は……リンは俺の娘だ」
「そう……」
リンが纏め役のような感じがしているのは、彼に似たからかも。それでも彼は、集落のリーダーとして子どもを捨てるという選択をするしかなかった。
……本当に愛しているのなら、集落を捨てて子どもと生きる道を選べばいい。
でも私は、それを言葉にはしなかった。ただの人間がそれをすれば、待っているのは〝死〟だけだと分かっているから。
子どもたちとそれ以前の人間はそれほどまで違う。彼も愛していながら、子どもたち〝も〟バケモノだと思っているのだから。
それでも残った心で、娘が私という〝本物のバケモノ〟と一緒にいる子どもたちを心配したのかもしれないが、それだけではなかった。
「俺たちはあの集落を放棄することにした。この世界にお前のようなモノがいると分かった以上、我々はもっと大きな集団で生きる必要があると分かった」
「……あの子たちは置いていくの?」
「そうだ」
最後に一目見ておきたかったのか。私の言葉に苦渋を顔に浮かべながらも彼は迷いなく頷くのを見て、私は彼の首に当てていた角槍をどかして気配を緩めると、彼は首に手を当てながら私から距離を取る。
「お前だけが理由じゃない。この地域は巨大な馬の群れに襲われている。餌がなくなれば各地を巡り、いずれここにも戻ってくるはずだ」
「分かった……」
言いたいことだけを言って去って行く彼を見送る。
あの集落も強度的に限界を感じていたのだろう。それでも愛故か、それとも罪悪感からか残っていた大人たちは、私の存在を知ったことで旅立つことを決めた。
正直、あの人数で旅をして、南の避難所に辿り着ける可能性はあまり高くない……。
「……あの子たちには話せないなぁ」
ここから去る決意をした大人たち。
子どもたちとの関係は?
次回、迫る脅威