41 人が住む場所
「……いただきます」
周辺範囲百メートルくらいごうごうと燃える村落の中で、私は巨大熊の心臓に齧りつく。
おそらく周囲の気温は百度を超えているんじゃないかな? そんな水が沸くほどの環境の中で私が食事を始めているのは、ここに巨大熊を放置していたら火が通って〝不思議な力〟が抜けちゃうと思ったから。
こんな無茶熱い中でも、私は多少暑いとは感じても熱いとは感じない。やっぱり衣装にしている毛皮も燃えたりしない。
煙とか……えっと、一酸化炭素中毒……だっけ? 一応、私も生物だからその辺りはどうなのかと不安はあったけど、特に身体に不調を覚えたりはしなかった。
やっぱり〝竜〟だからかな? 竜だと火山の火口とかに棲んでいたりするもんね。それが中毒で倒れているとか、勇者に見られたら格好悪いからね。
――ブチッ。
一抱え以上もある巨大熊の心臓を牙で食い千切る。生命力の中枢だけあって、まだ微かに痙攣している噛み口から血が噴き出した。
……だいぶ熱を持ってきているな。早く食べよう。
「あ~ん……むぐ」
思いっきり口を開いて齧り付き、咀嚼もせずに呑み込んでいく。
巨大な筋肉の塊が瞬く間に減っていく。
やっぱり巨大生物の肉は生に限る。脂肪分のない微かな渋みのある肉本来の旨みが口いっぱいに広がり、血塗れになるのも構わず巨大熊の上で胡座をかきながらガツガツ貪っていると、傷ついた左腕がバキバキと音を立てて分厚い鱗に覆われ、修復されていく。
やっぱり相当なダメージを受けていたのか、飢えていた私は自分の体重よりも重そうな心臓を、数分で胃の中に収める。
食べた瞬間はその分だけ膨れていたお腹も、次の肉を食い千切る頃には元に戻って、熱量に変換された力が全身に満ちていくのが分かった。
「……次だ」
周辺の熱で巨大熊の傷口が変色し始めている。高熱で乾燥した熊の手脚の先から燃え始めているので、あまり時間も無い。
「あ~~……熊の手って美味しいんだっけ?」
なんか、そんな〝知識〟があったような気がする。
蜂蜜を食べるからそれが染みこんだ右手だけ食べるんだっけ? もう燃えているけどね!
とりあえず今は、次だ。私は角槍を持って巨大熊の胸から腹の辺りに移動し、その辺りを切り裂いた。
「……よし、まだ平気だ」
私は巨大熊の腹の中に埋まるように探して、ようやく肝を発見した。
肝は心臓ほど〝不思議な力〟を貯め込んでいない。というより、倒してすぐじゃないと、あっという間に力が減退する。
私は腹の中から切り出す時間も惜しんで、そのまま肝に齧りつく。
心臓と違って、たっぷりとした濃厚な旨みがある。それにプリプリとして柔らかくて心臓よりも食べやすい。
食べたことはないけどプリンとかこんな感じなのかな? ちょっとした〝おやつ〟感覚だけど、端から見たらかなり猟奇的だったりする。
「……ふぅ」
パキ……パキ……。
傷を負った左腕の鱗がかさぶたのように剥がれて、後にはシミどころか産毛すらない小麦色の肌が現れる。まぁ、この肌は鱗なので毛は生えないけどね! そもそも首から上に毛があるだけでも不思議なのだけど、そこは人の姿を模しているからそうなるのかな。
――バチンッ!
それとまた色々と成長して尻尾が少し太くなり、長さが身長くらいになった。感覚的に長さはもう変わらないような気がする。
長さといえば新しく生えた三本目と四本目の角が大きくなり、最初の角の六割程度の長さまで成長した。こちらももう見た目は変わらず、あとは強度とかが増すのだろう。
「……何故、身長が伸びない」
なんとなく感じていたけど、目が覚めてから半年近く経っているのに身体が成長せず、思わず自分の小ぶりな胸を覗き込んだ。
「……暑くなくなった」
それと、先ほどまで暑さを感じていたのに、いつの間にか炎で巻き上がる熱風に晒されてもそよ風程度にしか感じなくなっていた。
周囲はまだ燃えさかり、肌に浴びていた熊の血がじっとしているだけで蒸発していくから、周囲の熱が下がったわけじゃない。
たぶん、熱耐性が上がったのだと思うけど……。
「どんどん人間離れしていくなぁ……」
これから人がいる場所に向かうのにこれでいいのだろうか……。
今だとちょっと腕に〝熱〟を込めるだけで、コンクリートブロックが握り潰せるんだよ。
「……まぁいいか」
とりあえずここでの用事は済んだ。
まだ朝にはなっていないけど、とりあえず水場を探そう。
肉と一緒に血も飲んでいるから咽が渇いたわけじゃないけど、とにかく今は全身のこびり付いた熊の血やら、煤やら泥やら、色々洗い流したい。
私は旅の食料としてまだ生の部分の肉を数キロほど切り出し、村落の外で摘んだ大きな葉にくるんでから、置いていた荷物を回収してそのまま燃え続ける村落を後にした。
竜の炎による雑な火葬だけど、これで供養になったかな?
それと……
「……なかなか火が消えないけど、ここから森に延焼したりしないよね?」
一応、気になるじゃない!
それからまた私は人がいるはずの場所を探して、北西に向かって森を進む。
適当に歩くだけだと見落としてしまうかもしれないけど、ある程度の当てはある。当てと言ってもその場所に当てがあるのではなく、見つけられる可能性を高くする当てがあった。
まず、あんな巨大熊がいる地域で、森の中に集落を作ると考えるのは無理がある。
その巨大熊が雑食性だとしても、その巨体を維持するために巨大猪のように徘徊しているのなら、人里なんて残っているとは思えず、ここで巨大鹿のようなものを狩っているほど巨大動物が多いのなら、尚更森の中に集落は作れないはずだ。
だから、まず花火を上げた人間がいる集落は、街の中にあると思う。
それも頑丈な壁や塀があって、巨大動物の攻撃にある程度耐えられる場所に、きっと人間がいるはずだと私は考えた。
「でもまぁ……花火を上げた人間が〝独り〟だったらどうしようもないけど」
それはもう本当にどうしようもない。婆ちゃんのように人間が一人で住んでいるとしたら、巨大動物に見つからないように暮らしているはずだから、本当にもう奇跡的な出会いでもないと発見することなんて出来っこない。
でも、その場合はすっぱりと諦める。……つもりではいる。
一応、一ヶ月くらいは探してみるつもりだけど、あんまりそれに拘って最初の目的を見失うのはちょっと違う気がした。
それでも、危険を冒して花火を上げてくれたのだから、出来る限りは見つけたい。
今の私はそんな矛盾を抱えてながら、人里を探していた。
――がさっ。
「――ふう!」
森を抜けた丘の上、そこに生える巨大樹木のてっぺんで大きく腕を上げて背筋を伸ばす。
最近だと尻尾の使い方にも慣れてきて、便利使いもできるようになった。幹に絡ませたり突き刺したりするだけで身体を支えられるので、両手が自由になっていい。
距離的にはこの辺りが限界だ。これ以上遠くなると、いくら空気が澄んでいても電波塔から見えるとは思えないからね。
そうなると……。
「あの街かなぁ……」
ここから見える街がその第一候補となる。もうあそこになかったら探す手段はほとんどない。
一応、南に行けば避難した人たちがいるはずだから、ここで出会えなくても人を見つけられる当てはある。でも、できれば見つかってほしい。
「……酷いな」
ここの街も例によって巨大樹木に呑まれかけていたけど、近づいてみると高層ビルがあった街とは一目で様子が違っていた。
ざり……と、黒いものを踏み潰して足を引くと、粉になった炭が黒い線を残す。
「火事かぁ……」
今まで寄った街は運が良かった……。避難できる時間があったのだから。
警察や自衛隊が早めに動いて巨大動物を抑え、一般人の避難をしてくれたのだと思う。でも、すべての都市がそうじゃない。
地理的に自衛隊が到着するのに時間がかかる場所。そして、避難を始める前に多くの巨大動物に襲われた都市は、人々が混乱して事故が多発したはずだ。
きっと周囲を確認する間もなく慌てて逃げ出した人も多いと思う。そして巨大動物の襲撃を受けて……火災が起きた。
「……どうしよ」
この街の見えるほとんどの場所に火災の痕があった。入れそうな建物に入ってみても食料どころか使えそうなものは何も残っていない。
こんな場所に、本当に人間が残っているの? 本当にここで場所があっているの?
「なんか自信がなくなってきた……ん?」
街を巡り始めて一週間が過ぎて、そろそろ諦め始めた頃、視界の隅に光るものがあった。
建物にガラスや金属も残っているので、光るものが無いわけじゃない。でも、ほとんどが熱で溶けていたり煤けていたりする中で、その光は妙に輝いて見えた。
どうせこれ以上探すあてもないので、そこへ向かってみる。
すると……
「これ……手鏡?」
木の枝に引っかけるように小さな手鏡が置いてあった。
でも、燃え残りや動物が持ってきたような汚れや曇りがまったくなく、まるで昨日お店で買ってきたような新品の鏡だった。
ピンクのキャラクターもので、女子中学生か女子高生でも使っているような物だと思う。
「なんでこんなところに……?」
まるで見つけてほしくて、さっき置いたばかりのような不自然さに首を傾げていると、木々の枝の隙間から今までと違う景色が見えた。
「燃えていない街だ……」
小さな川に隔てられて、火災から免れた場所……。
きっとこの場所……この角度でなければ見つけられなかった。
その向こうにある高い壁に囲まれたその場所から、炊事でするような小さな煙が上っているのが見えた。
でも……あの場所って。
「……もしかして刑務所かな?」
見つけたのは高い壁に覆われた建物。
そこにいる者は……




