4 燻製肉と皮なめし
本日二話目です。ご注意ください。
皮で物を作るには『皮なめし』という行程が必要らしい。なんでするのかと言うと、しないと虫が湧いたり腐ってしまうから……というのを読んだ気がする。
何処で読んだ? 〝知識〟が確定しているから談話室しかない。
「――あったっ」
慌てて談話室に戻って積み重なった雑誌を探すと、まだ残っていたのでほっとする。
よかったぁ……燃やしてなくて。これからは下手に本を燃やすのは止めよう。
皮なめしについては、男性用雑誌に『山で生きる』みたいな特集記事が載っていた。
連載ものだったらしく今回が『狩猟と皮なめし』って記事だった。それに細かく目を通すと必要な物があったので、私は角槍を構えて建物の外に出ることにした。
「…………大丈夫」
建物の外は先が見えないほどの深い森だった。嫌な気配は感じない。たぶん平気だと思うけど、角槍で警戒しながら薪に使う枝やら必要な物を集めていく。
「あ、キノコ……」
……は、今はやめておこう。私なら毒も効かないかもしれないけど念のため。代わりじゃないけど、山菜はあったので見つけたら取っておく。
必要な物を集めて急いで戻ると、それを屋上まで持っていき、その加工をするために研究室にあったビーカーをかき集めた。
それからコピー用紙を破いてほぐしてからライターで火を付ける、拾ってきた枝に火を移し、ビーカーに剥がした樹皮と水を入れて沸かしておく。
ただ火の側に置いているだけなんだけど、ぐつぐつ煮るわけじゃないからこれでいいはず……。知らんけど。
その間に果物ナイフを使って鹿の脚から皮を剥ぐ。
「……ん? あれ?」
この毛皮……やたらと堅いな。果物ナイフが全然刺さらないのだけど……。
でも、ボロボロに引き裂かれているのは私が怪力で引き裂いたから? あのときは手が鱗に覆われていたけど、ちょっとそれを試してみる。
「う~~~んっ」
腕に力を込める。変化無し。全身に力を込めてみるけど意味はなし。
「あ、そうか」
指先に〝熱〟を込めるようにするとまた真っ赤な爪が迫り出してきた。これなら……切れた!
また一つ人間離れしてしまった。逆に切れすぎてちょっと怖い。
この時点でせっかく見つけた果物ナイフがお役御免のような気もしたけど、無の境地でひたすら皮剥と肉の解体を続けた。
「……ふぅ」
結果的には結構な量の肉が取れた。雑誌の記事によると獲物を狩ったらすぐに冷やさないと雑菌が湧いて肉が臭くなるらしい。……誰向けの情報だよ。
今は変な匂いはしないけど一晩放置してしまったから、空気に触れていた変色した部分は切り取って捨てておいた。
「さあ、やりますかっ」
建物の中へ戻り、金属製の大きな戸棚があったので中身を放りだしていく。
見つけた衣類は布地と割り切り、水を使って掃除をしてから、紐状に裂いた布地を枝肉に通して上から吊し、一番下に一斗缶に砕いた枝と松葉を入れて火を付ける。
要するに燻製だ。これで合っているのか分からないけど、最悪火が通ればいいので気にしない。これで雑菌と臭みがなんとかなるのか分からないけど、単なる気休めだから気にしない。
「火事にならないよね、これ……」
ちなみにこれは、女性雑誌の料理特集に載っていた。……もう一回、雑誌は読み直そうかな。
「次は……」
明るいうちに大まかな部分は終わらせておきたい。
屋上に戻ると焚火は消えかけていたけど、樹皮を入れたビーカーの水が良い色になってきていたので、それはそのままにして私は皮の厳選を始めた。
ボロボロの部分が多かったけど、比較的大きな皮と、一番柔らかい物を使うことにした。それ以上大きくても多くても、加工しきれないしね。
厳選した皮と樹脂を煮たビーカーを全部研究室に持っていく。
「ドボドボドボぅ~~~」
流し台に栓をしてペットボトルの水を容赦なく何十本も注ぎ込む。どうせ腐るほどあるし、腐っているような気もするから遠慮しない。ある程度水が溜まったらそこに樹皮を煮た茶色の汁を入れて、そこの皮を突っ込んだ。
なんでも、皮なめしにはタンニン? というものが必要らしい。ほんとに知らんけど。
水を木の枝でかき混ぜ、とりあえず一晩放置する。もっと時間を置いたほうがいいのかもしれないけど、それだと食糧が先に尽きるから時間優先にしよう。
「……うげ」
談話室に戻るとやたらに煙臭く、原因は燻製だと気づいて慌てて窓を全開にする。
半日以上燻していたけど途中で火が弱くなったせいか、大きい肉には火が通っていなかった。
でも小さな肉には火が通っていたみたいで、そのうちの幾つかを切り分けて塩を振って食べてみると、臭みはあったけど私はとても美味しく感じられた。
「朝だっ!」
テンションが上がって日の出と共に目を覚ます。
「臭い……」
でも、全身が煙臭かったので、ペットボトルの水を頭から被って衣服で身体を拭いておく。
夜通し火を通したおかげで完成した燻製肉と缶ジュースで朝ご飯。燻製にはしたけど、最初に少ししか塩をすり込んでいないから、すぐに食べきったほうがいいのかも。
漬け込んだ皮を見に行くと……正直良いのか悪いのかまったく分からない。
とりあえず、もう一つの流し台にまた水を入れて、水洗いをした後に続きの皮作業をすることにした。
皮なめしにはこれをしないと話にならない、脂肪と肉取りだ。水に浸けていたので結構簡単に取れる……と思ったら問題発生。
「ああっ、穴があいたっ」
私の爪だと鋭すぎることが判明。でもそこで、お役御免になっていた果物ナイフちゃんの出番である。元々そんなに切れ味がないからちょうど良かった。
「…………」
ちまちまと黙々と除去作業を続ける。途中でお腹が減って、燻製肉の端切れと水と塩と山菜だけを入れて煮た汁を作って、食べてみた。
「まっずい!」
山菜は灰汁抜きしないとダメかも。それか芽の部分を使うのかな?
最初は手間取った脂と肉の除去作業も次第に慣れてきて、水をかけながら薄皮をそぐようにちまちま除去をしていくと、日が高くなる頃には皮の裏が白くなった。
「綺麗に……取れたっ!」
思わず声をあげて出来た皮を太陽へ掲げる。達成感が心を占めそうになるが今日の作業はこれで終わりじゃなく、もう一度タンニンに漬け込み、そのまま角槍を持ってまた外の探索に出ることにした。
また巨大動物でもいたら堪らない。あの〝気配〟は感じないけど一応警戒しながら食べられそうなものを探した。
ついでに小川とかあったら綺麗な水を汲んでおきたい。小魚とかカエルとかいるかもしれないけど、研究所の周りにそんなものはなく、遠出はまだ危険なので諦めるしかなかった。
今度は山菜の若芽を摘み、大量の枯れ枝を拾って研究所へ戻る。
もうすっかり夕暮れになっていたので、燻製肉と山菜を焼いて夕食としたあと、タンニンに漬けておいた皮を確認した。
「……良い色だねぇ」
皮の裏だけじゃなくて毛皮も全体的に薄茶色に染まっていた。
そろそろいいかな? もう一度しっかりと水洗いをしてから屋上へ運び、談話室から持ってきた四つ足テーブルをひっくり返して、ピンと張るように皮を括り付けていく。
「天日干しでいいんだっけ?」
……ダメな気がする。今は夜だけど明日の天気はどうだろうと真っ暗な空を見上げると……。
――ポツン。
「……うわっ」
頬に水滴を感じて、慌ててテーブルごと屋内へ移した。ここで降るかぁ……運がない。
「あ、そうだ」
でも、ふと思いついて、沢山のビーカーを持ってきて屋上に並べた。
これで綺麗な水が溜まるはず。あれ? 降り始めは空気の汚れを拾うんだっけ? 三十分ほど溜めた雨水を一つに移して、もう一度ビーカーを並べ、私は集めた水を飲んでみた。
「……水だ」
当たり前だけど。これだけ空気が綺麗なら空もあまり汚れていないのかもしれない。
私は屋上の入り口にしゃがみ、生まれて初めての〝水〟を飲みながら、ビーカーに溜まる雨水の音を、目を閉じて聞き続けた。
翌朝になると空は晴れて、雨水は途中で止んだのか溢れてはいなかった。
朝ご飯は燻製肉と山菜を入れた塩味の汁……だけじゃなんとなく足りなくて、念のために残しておいた巨大な大腿骨を直火で焼いて、表面に残った肉をこそぎ取るように食べた。
やっておいてなんだけど、すごくワイルド。
空になったペットボトルを軽くゆすいで、溜めた雨水を移していく。
溜まった量は2リットルボトルの八割くらいか……これは大事に飲もう。
一晩経った皮は随分と乾いていたけど、毛皮のほうはまだ湿っていた。鹿の毛は短いけど乾くのはもう少し掛かりそう。
そのまま屋内の窓際で干したまま木の棒で表面を叩く。なんでも叩いて揉んで柔らかくするらしい。パンパン叩いているとなんとなく柔らかくなってきたので、私はまた外にある森へ採集に出ることにした。
食べ物を探すのもあるけど、皮を燻すための材料がいる。……昨日、雨降ったけど大丈夫かな?
でも結果的にはなんとかなった。森の樹木が大きかったので木の下は濡れていなかった。
一斗缶に枯れ枝と枯れ草を入れて火を熾し、そこに生の松葉も入れてそれで皮を燻していく。
裏を燻して表を燻して、数時間が経つと裏側が随分と良い色になった。
それから何度も叩いて、揉んで叩いてを繰り返す。
もう一度皮を張って乾かし、それから燻して、夜になったら談話室で星を見ながら皮を叩く。
パン、パン、パン……。
「…………」
そのリズムに合わせて、私の口から〝歌〟のような旋律が漏れる。
生まれたばかりの私が知らないはずの旋律は、どこか懐かしい〝子守歌〟のように聞こえた。
それから揉んで叩いて燻す間に森の探索を繰り返す。
あの鹿の皮が普通じゃないのか、それとも私の力で揉んだのが良かったのか、皮は破れることもなくしなやかになり、次第に〝革〟へなっていった。
そして三日後……。
「出来たっ!」
塩も食糧も尽きる寸前、ようやく〝毛皮〟が完成した。裏も毛も柔らかく、細くて短い鹿の毛は触り心地が肌に気持ちよかった。
それから余分なところを切り落とし、胸と腰を覆う二枚の革布を作る。
一番柔らかな革は胸に巻き、大きな革は腰に巻いて余らせていた細い革部分で結ぶと、ようやく〝準備〟ができた気がした。
……でも、なんで少し色が赤くなったの? 最初はただの茶色だったでしょ? これも角槍と同じで私の血を浴びたせい?
「……まあいいか」
答えの出ないことに悩んでも仕方ない。どうせ自分のことすら分からない事だらけなのだ。私は振り返らずにただ〝前〟を向く。
「さて」
私はこの場所を離れることにした。
大きな意味はない。ただここに残っても進展はないと思ったから。
この世界がどうなっているのかまだ分からない。
人のいない建物。私を襲った巨大な鹿。見えるのは森と廃墟のような建物だけ。
そして角と尻尾がある私自身……。
それを知るために、私はこの世界を巡る旅に出る。
持っていくのは、わずかな荷物と自分で作った毛皮の衣装、それと敵から奪った角槍だけ。
残りはすべて置いていく。
私はこの身一つで、この終末のような世界を巡る。
さあっ――
「出発だっ!」
新たな出会いと知らないものを見つけるために。