37 猿のトモダチ その3
『オオッ、オカエリ、ツバキ!』
「……ただいま」
ズシン……と、踏み出した素足が柔らかな地面にわずかに埋まり、私は翌朝になって、ようやくウータンのいる電波塔まで戻ってこられた。
巨大カモシカを追い払って、まだ無事な……と言っても見分けはつかないから、あまり劣化のない綺麗な太陽光パネルを回収した。
ウータンから渡された万能レンチは、なんというか、まぁ、規格は合っていたのだけど、肝心のボルトが錆びていたので、結局角槍で壊すしかなかった。
他にもネジとかコードとか色々繋がっていたし、やっと外せてもパネル自体結構な大きさがあったので、それが五枚だと、重さはギリギリなんとかなったけど、結構な時間がかかっちゃったよ。
『コレナラ、大丈夫ダト思ウ』
私からパネルを受け取ったウータンは、私が持ってきたパネルを調べてそう言った。
いやだから、最初からウータンが来ていれば……。いいや、もう、面倒だし。
でも、ウータンもただ待っていただけでなく、色々と用意をしてくれていたみたい。
『ゴハン 作ッタ。ツバキ、食エ』
「ああ……うん」
ウータンが私のために〝食事〟を用意してくれていた。
オランウータンなので料理は期待していなかったけど、出てきたモノに思わず顔が引きつる。
目の前にあるのは雪で冷やしていた、巨大カモシカの残虐死体だった。
もはや解体ですらない。頭部や脚が根元から力任せに引き千切られ、腹も無理矢理裂かれて内臓が無造作に草の上に積まれていた。
『ウマソウ! ツバキモ食エ!』
「ああ……うん」
ウータンはドスンと地面に腰を下ろすと山盛りになった内臓に手を伸ばして、消火ホースのような腸を貪り始めた。
『コレ、美味イゾ』
「ああ……うん」
ウータンが腸を啜りながら、バカデカい肝を差し出してくる。
時間が経ったせいか、内臓や肉から不思議な力がほとんど抜けている感じがした。それでも普通の動物は食べられないのだけど、ウータンは平気そうだ。
「それはウータンが食べていいよ。でも、そんなに食べて大丈夫?」
『ウン? オデ、肉大好キ』
巨大生物に身体に宿る不思議な〝力〟……。その力のせいで普通の動物はその肉を食べることができず、寄生虫どころか微生物さえも寄りつかない。
一応、乾燥するまで放置するか、火を通せば普通の動物でも食べられるようになって、普通に腐っていくようけど、同じ巨大動物であるウータンはそれを生で食べても平気らしい。
その不思議な力を多く宿した心臓や肝を食べることで、私の〝竜〟の力も成長しているはずだけど、私が断った肝をペロリと平らげたウータンに特別な変化は見られなかった。
う~~ん。時間が経って力が抜けてきたから平気だった?
それとも……巨大生物を食べて成長するのは、私だけの特性なの?
肉は太陽光パネル発電所で食べてきたので、私はウータンが育てている野草を生で齧る。一人であらかた内臓を食べ終えたウータンは、今度はカモシカの頭をかち割って中身を啜っていた。
本当に肉が好きなんだね……。でも考えてみればそれもそうかと納得する。
人間だって野菜や穀物が主食で、必要な栄養素として肉を食べるけど、中には必要以上に大量の肉を食べる人もいる。
猿は人間ほど肉を必要としないはずだけど、それは単純に食事量の差かと思った。
私は消耗したときに大量の食物を必要とするけど普段はそこまで沢山は食べない。でも巨大化した動物なら相応の食べ物を必要とするはずだ。
草や樹皮まで食べるというカモシカでさえ種を集めて栽培の真似事をして、高層ビルにいた巨大ゴリラたちは巨大な群を作って食べ物を集めていたのに、この電波塔の庭に植えられた野草類は、ウータンの腹を満たすにはあまりに少なすぎた。
だからウータンは腹を満たすために肉食に偏るようになった。
肉食の巨大生物の遭遇数以上に中型の動物を見なかったのは、雑食系の巨大動物でもウータンのように〝肉食〟に偏った個体が多かったのかもしれない。
そこで肉の味を覚えて、さらに肉を求めるようになった……。
思わずそんな考察ができてしまうほど、ウータンは瞬く間に巨大カモシカの半分ほどを食してしまっていた。
『ソレジャ、パネル、付ケニ行コウ』
「そうだね……」
私も怪我をして飢えていたときはこんな感じに食べていたのかも……。見ているだけで食傷気味になるのに、ジンベエは本当に良い子だったんだねぇ。お爺ちゃんだけど。
パネルを担いで歩き出したウータンに私もついていく。別に私がいても何か出来るわけじゃないけど、他にやることもない。
ウータンは今回も前回と同様に外部階段の外側をよじ登るみたいだけど、さすがは猿と言うべきか、片手でパネルを支えながら、足も使って器用に登っていた。私は普通に階段で登るけど。
『アアア!』
「え、なに?」
屋上に着いた途端、突然声をあげたウータンに私も思わず警戒して辺りを見る。
『ツバキ、待ッテテ。道具、取ッテクル』
「……なんだ、そんなことか。道具なら私が取ってこようか?」
さすがに私だと階段で屋上に運ぶときにパネルをぶつけそうだけど、工具を取ってくるくらいなら出来ると声をかけたが、ウータンは慌てて首を振る。
『大事ナモノ、アル。タイセツ』
「ふぅ~ん……」
そこに大事なものもあるので自分で取ってくるって事?
大事な物があるなら私だって気をつけるし壊したりはしないけど、そこまで粗忽に見えるのだろうか。……腑に落ちない。
『待ッテテ』
「はいはい」
よほど大事なものがあるのかウータンは念押しして、屋上から飛び降りるようにドタバタと別棟の建物へと向かう。
屋上の手すりに寄りかかってそれを眺めていると、屋内駐車場? みたいなマークのついたシャッターを開けて中に入ると、工具箱のような物を持って出てきた。
ここからだと中は見えないけど、何があるんだろう……?
『オマタセ』
「別にいいけど……ウータンが修理できるの?」
すぐに工具箱を持って戻ってきたウータンに、私は今更ながらそんなことを訊ねる。
何せ工具箱自体がウータンの手の中に収まるほど小さなもので、それで修理が出来るのかと不安を口にすると、ウータンは自信ありげに顔を(たぶん)笑みの形に歪めた。
『大丈夫。見テタ』
巨大な手の爪先で器用に工具箱を開いたウータンは、レンチや名前の分からない工具を取り出して、ちまちまと今あるパネルを外して、コードや接続器具を持ち帰ったパネルに接続する。
いや、本当に器用だね!
人間で例えると、爪楊枝で腕時計の中身を弄るような面倒くささがある。
でもやっぱり、サイズが違いすぎるから時間はかかり、私もしゃがみ込んで頬杖をつきながら眺めて、日が傾き掛けた頃にようやくパネルの接続が完了した。
「これで終わり?」
『アトハ、バッテリー、待ツ』
経年劣化しているから性能は下がっているけど、一時間もすれば少しは動かせるようになるらしい。それ以上にまだ春の初めなので、日が落ちるのも早いからその辺りが今日の限界だ。
建物に戻って放送室に入ると、機材に小さな明かりが灯っていた。
「もう使えるようになったの?」
『モウチョット! ツバキ、セッカチ』
「…………」
オランウータンに窘められた……。
それからウータンが、その巨体を縮めるように爪でちまちまと機材を弄り、外が暗くなった頃にウータンが突然私に振り返る。
『チョットナラ、使エル』
「凄いね!」
いや、本気でウータン凄いな。誰かの真似をして覚えたのかもしれないけど、私だと何が何だかさっぱり分からないもの。
『ツバキ、話ス?』
「……え?」
突然の提案に私も面食らう。ウータンが言うには、人間の言葉は話せるけどまだ上手くないから私に話してほしいということだった。
まぁいいけど……。ウータンの話だと今日使えるのは十数秒程度。だから私にここへ誰か来るようにしてほしいらしい。
確かにウータンの声だと警戒するかもね。ウータンはマイクのスイッチを入れて、私に場所を空ける。コホン……。
「――こちら、電波塔の放送局。聞こえていますか? まだ生き残っている人がいたら――」
『――ア、オワッタ』
「早いな!」
本当に十秒程度しか保たなかったよ! 必要なことも伝えられなかったけど、それでもウータンは喜んでくれた。
『コレデ、マタ、〝トモダチ〟来テクレル。オデ、嬉シイ!』
「そう……だね」
飼育員の人は『消えた』と言っていた。その人がこの放送局の人たちとどこかに避難してしまったのだとしたら、ウータンも寂しかったのかもしれない。
『〝トモダチ〟来タラ、一緒ニ、ゴハン食ベル。子モ欲シイ』
「ん? ああ、子どもも来てくれたらいいね」
動物園だと子どもがいっぱい来てくれたのかな?
『ツバキ、ゴハンシヨウ! 肉、食ベル!』
「食べ切っちゃいそうだね……」
よほど嬉しいのか、ウータンはまたお肉を所望だ。私の感覚だと、ウータンは食べる量が多いのだから食料は食べきらないほうがいいと思うけど、ウータンはそうでもないらしい。
「それじゃ、先に行くよ」
『ウン!』
放送室というか建物内は狭いからウータンが出入りするのは時間がかかる。
私は先に外に出て、本格的に暗くなる前に外で火でも熾しておこうかと思ったそのとき、ふと外に工具を出しっぱなしだったことに気づいた。
野晒しにしたら錆びちゃうよね? 私はまた屋上まで戻り、出しっぱなしにしていた工具箱を持って屋内駐車場へと向かう。
「あれ……」
シャッターに手を掛けてから動かないことに気づく。
……ああ、電動か。ウータンは馬鹿力で開け閉めしていたようなので、私も腕に〝熱〟を込めて思いっきり押し上げた。でも――
ギシィ……。
「…………なにこれ」
ウータンの〝大事なモノ〟が仕舞われている屋内駐車場……。
開かれたそこは床も壁もこびり付いたように黒く汚れ、大量の〝人骨〟に埋め尽くされていた。
大量の人骨……それが意味することとは?
〝トモダチ〟と〝消えた〟の意味は?