30 新たな旅
第二章です。あいかわらず不定期更新になります。
「うぁあああああああああああああああああああああああああっ!」
ズバンッ!
鬱蒼とした藪の中から、一人の〝少女〟が乙女らしくない悲鳴をあげて飛び出した。
巨大樹木の林から飛び出した勢いでそのまま駈けていく少女の言動もそうだが、彼女の容姿も普通ではない。
大きな皮袋と仄かに赤く染まった角のような槍を持ち、胸当てと腰巻きという毛皮の衣装から、艶やかな薄い赤銅色の肌を惜しげもなく晒している。
木々の葉や小枝を絡ませた赤みがかった銀の髪。そこから生えた紅水晶の角。
そして一メートル以上もある、赤い鱗に覆われた尻尾……。
その少女、竜娘『花椿』が駆け抜けた数秒後……突然、巨大樹木の林が向こう側から押されるように膨れ上がる。
ドォゴォオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!
次の瞬間、雑木林の巨大樹木がへし折れ、根元から吹き飛ばされ、大量の木の葉と土を、まだ残る雪もろとも噴火のように撒き散らした。
『グゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
その土煙の中から全長三十メートルはある巨大な鰐が姿を現し、その巨体に比べれば小さすぎる花椿を追い詰める。
「なんで追ってくるの!?」
事の起こりは一週間前、花椿は悲しい別れを乗り越え、南に向けて線路の上を歩き出した。
高架となった線路にまでは巨大樹木の浸食も及ばず、大量の砂利が雑草の浸食さえも抑えた線路を歩くのは、道路を歩くよりも快適だった。
途中に何カ所か町もあり、そこを漁れば、少ないが残っていた缶詰なども拾えた。
だが花椿は、ある選択肢を迫られる。
二股に分かれた高い位置にある高速鉄道の線路と、在来線の通る低い位置の線路である。
都市を離れた在来線の線路はいずれ地表を走るようになるだろう。町も少なくなるだろうし、そうなれば線路も雑草に埋もれて迷いやすくもなる。
高速鉄道の線路は歩きやすいが、こちらはあきらかに山のほうへと向かっていた。
山でも探せば食料も見つかるので問題はなさそうだが、山奥になればまた巨大猪や巨大鹿と遭遇する危険がある。そこで花椿は悩んだ末、点々と駅があり民家があるはずの在来線の線路を選んで歩き出した。
花椿の予想通り線路は高架でなくなり地表を走るようになったが、幸いなことに町や民家が途切れることなく、人と出会うことはなかったが、廃墟から食料も意外と見つかった。
だがそこで問題が発生した。水の問題である。
途中には細いが三本ほどの川があり、そこで食料や水の補充ができた。だが途中から川を発見できなくなり、水も無くなり、自販機の飲み物で喉の渇きを潤してきたが、三日も経ちそろそろ身体の汚れが気になりだした頃、これまでで最大の河を見つけて喜び勇んで近づいたところ、そこに巨大な鰐が姿を現した。
そんなわけで数時間ほど追いかけっこをしているが、鰐は町や森に入っても諦めてくれず、どこか意地になって追いかけてきているような気がした。
「このぉおおおっ!!」
逃げれば戦闘を回避できるかと思ったが、そろそろ我慢の限界に達した花椿が荷物を放り投げて角槍を構える。
〝餌〟として見るなら花椿はあまりにも小さい。餌を探すのなら河の中の魚を狙ったほうがまだマシだ。だが花椿も複数の巨大生物と対峙して、ある程度理解していた。
あの島クジラのような規格外はともかく、巨大鹿も巨大猪も、巨大鮫や巨大猿も、程度の差はあれ、最初から花椿を警戒して、餌ではなく〝敵〟として見ていた。
『グゴォオオオオオオオオオオオッ!』
草原で足を止めた花椿に対して巨大鰐は速度を落とすことなく、牙を剥いて突進する。
花椿はその金色の瞳孔を〝竜〟の如く縦長に細め、波立つように真っ赤な鱗に覆われていく両足に〝熱〟を込めて、放たれた矢のように飛び出した。
大口を開いた高さ五メートルはある巨大鰐の頭部を一足飛びに跳び越え、真上から巨大鰐の心臓辺りを目掛けて角槍を振り下ろした。
ガキンッ!!
「――っ!」
まるで大岩を叩いたような感触に花椿が顔を顰める。
角槍は欠けることなく巨大鰐の背の鱗に突き刺さりはしたが、あまりの大きさの違いから巨大鰐にとっては蚊に刺されたようなものだろう。
だがそれでも痛痒であることは変わらない。
『ゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
吠えた巨大鰐が背にいる花椿を振り落とそうと暴れ回り、草原を瞬く間に剥き出しの大地へと変える。
だがそれは痛みにより危険を感じたから暴れたのではない。知能が上がった巨大鰐は小さな生き物に攻撃をされた怒りによって花椿に攻撃を加えようとしていた。
「くっ!」
それに対して花椿は突き刺した角槍にしがみつき、両足の爪と尾を使って暴れる巨大鰐に対抗した。振り落とされれば巨大鰐と正面から戦うことになる。しかし背の上ならその攻撃は花椿に届かない。
花椿は両腕に鱗を生やし、〝熱〟を込めてさらに角槍を深く突き刺す。
だが――
バァアアアアアアアンッ!!
巨大鰐は巨大な尾を大地に打ち付け、その反動をもってロデオのように花椿の小さな身体を跳ね上げた。
「――え?」
バクンッ!
次の瞬間、身体を捻った巨大鰐は、打ち上げられた花椿を一口で丸呑みする。
ズズン……と地響きと土を巻き上げながら着地した巨大鰐は、ようやくそれが片付いたことで笑うように口元を歪めた。
この河一帯を縄張りとする巨大鰐がそれと邂逅したのは偶然だ。だがそれを一目見た瞬間から、巨大鰐は不快な感情を覚えた。
この周辺にいた巨大生物は十年をかけて捕食するか追い払った。
自分に勝てる生き物はいない。十年前は食い切れないほど居た〝二本脚〟が乗る火を噴く鉄の箱も、巨大鰐の鱗を焼けても殺すことは叶わず、尾の一振りで叩き潰せた。
そんな巨大鰐が不快に思った存在……それは〝二本脚〟によく似ていたが、何故かそれを生かしてはいけないと直感したのだ。
それが消えたことで憂いは晴れた。小さすぎて噛み砕くことはできなかったが、巨大化した雄牛でさえ、巨大鰐の牙にかかれば生を諦めて餌になるしかなかった。
最近は魚ばかり食っていたせいか、小さいが久方ぶりの陸上生物を食して胃が温かく……。
『ゴォ……!?』
胃の温かさが徐々に熱くなり、猛烈な腹痛を覚えるほどの〝熱〟を感じると共に、胃の中で何かが〝咆吼〟するように振動した。
巨大鰐が水辺に向かおうとした瞬間――
『――――――――――――ッ!!』
巨大鰐の背を突き破って〝灼熱の閃光〟が天に昇る。
『ゴォオア!?』
口から大量の血を吐き、その背から響く〝竜の咆吼〟を聞いた巨大鰐は、不快感を覚えた原因が〝不安〟だったのかと理解し、次の瞬間、背開きするように振り下ろされた灼熱の閃光により、頭部を吹き飛ばされてその生涯を閉じた。
***
「…………ぶはっ!」
巨大鰐に開いた背の穴から這い出た私は大きく息を吐く。
「うわ……べとべと……」
全身、胃液と血にまみれて凄く気持ち悪い。
血でだいぶ洗い流されたけど、胃酸が強力だったのか私の肌でも少しチリチリとした痛みを感じている。
「早く洗おう……」
そう思って辺りを見回し、河から遠くなかったのでそのまま走って飛び込んだ。
水から顔を出した私はそのまま髪も角も丹念に洗う。ああ、髪の毛も傷んでいるような気がするなぁ……。毛皮もやばそうなので丹念に水洗いして、身体を引きずるように川辺に上がる。
「ああああ~~~~……疲れたぁああああ」
全身の疲労感がきつい。戦闘自体は短く済んだけれど、それは相手が弱かったからじゃなくて、
〝竜の息〟を使わないと勝てなかったからだ。
この“竜の息”は私の中の〝熱〟を放出するので、ものすごく疲れる。
使うのは今回で三回目だけど、一度目も二度目も切羽詰まっていて疲れを自覚する余裕すらなかったから気づかなかった。
ぐぅ~~~~~~~~~~~~~~……。
「…………」
しかも凄くお腹も減るらしい。この辺りが巨大鰐の縄張りなら大きな魚は全滅かなぁ?
それにここまで大きな河だと、まだ同種がいるかもしれない。
ごろんと川辺に倒れるように仰向けになり、ちらりと横に見た積もった雪の合間に、鮮やかな緑のもの……蕗の薹が顔を出していることに気づいた。
そっか……
「春になるよ……婆ちゃん」
新たな旅を始めた花椿は何を見るのか。
次回、春の気配