3 恥ずかしくないから
本日一話目です。
おはようございます。
「ふわぁあ……」
最上階である三階の談話室に朝日が差し込み、私はもっそりと身を起こす。
ぼんやりと茜色の空が青くなるまでじっとする。まるで体温の上昇を待つ爬虫類みたいだけど、鱗があるといっても私はトカゲじゃない。ちゃんと体温もあるし、身体を温めなくても普通に動けるけど、単純にまだ眠いだけだったりする。
布地も見つからなかったから真っ裸のまま寝たけど、特に凍えもしなかった……けれど、普通の人なら風邪引くような気もするので、やっぱり私は普通じゃない。
こじ開けた自販機にあった激甘缶コーヒーをちびちびと啜りながら朝ご飯にしていると、ようやく目が覚めてくると同時に、疲労が抜けて頭に糖分が回ったせいか、あらためて落ち着いてみると無防備に寝ていたことに少しだけ寒気を覚えた。
あの巨大鹿みたいな奴が一体だけとは限らない。森にはあんなものが何体もいたらどうする? もっと大きな鹿がいて、それがもし夜中に襲ってきたら……。
でも、この建物がずっと無事だったから、何か忌避するものでもあるのかもしれないけど、念のために心の片隅に留めて警戒しておくことにした。
「さて、やるか!」
多少の空腹感はあるけど、懸念した飢餓感のような空腹感は襲ってこなかったので、予定通り建物内の探索の続きをする。それでも普通にお腹は減っているので、最低でも何か食べられる物を見つけたい。
持っていくのは明かりとして使い捨てライターと、何かと便利使いできるこの角槍……。
「あれ?」
角槍ってこんな色だっけ……? 昨日の夜は気づかなかったけど、鹿の頭にあったときには白というか灰色というか、そんな感じの色だったのに、今はなんとなく薄紅色になっていた。
私の血を散々浴びたから変質したかな?
「……まあいいか」
細かいことは気にせず探索のために移動する。昨日は三階しか調べられなかったから、今日は二階と一階だ。
それからぱっと見た限り、二階は三階と違って事務室はなくて研究室と倉庫しかなかった。
研究室は私の知識では訳の分からない薬品と実験器具しかなくて、しょっぱい感じだ。でも大きなビーカーとか器に使えそうな物もあったので、一緒に見つけた水切りカゴにライターと一緒に入れておく。
それなら倉庫のほうは何かあるかと思っていたら、生物の標本とか今の私にはまったく役に立たない物が並んでいるだけだった。
気を取り直して一階に下りると他の階とは違っていた。
大企業だったのか、一応の体裁として玄関ロビーや受付があったので、人を迎える準備もあるらしく、大小の会議室や応接室もあり、なんと給湯室に大きな冷蔵庫もあったのだ。
喜び勇んで開けてみる。中にはOLさんの私物らしき小さなお弁当箱が並んでいたけど、あきらかに〝腐〟のオーラが漂い、乾いた黒い染みだらけになっていたので、そっと閉じる。
……当たり前だよね!
でも、スティックシュガーと何故か食卓塩があったのでそれはそれで貰っておいた。
ついでに引き出しからフォークと果物ナイフもいただいておく。ティーカップはなかったけど紙コップと紙の皿は一応持っていくことにした。
「……おっ」
それなりに広い部屋があると思ったらロッカー室らしき場所を見つけた。
男と女で分かれていたので更衣室も兼ねていたのかな? 半分近いロッカーは開けっぱなしになっていたから、ここから退避するときその人たちは荷物を持っていけたのだろう。
まずは開いているロッカーから覗いていく。
期待はしていなかったけど中にはほとんど物は残っていなかった。元々鞄程度しか入れていなかったのか、それだけ持っていった感じなのかも。
残りのロッカーは当然鍵が掛かっていたけど……。
「えいっ!」
ガキンッ!
私は遠慮なく角槍を突き刺した。
ロッカーが閉まっているということは、その日休んでいたか、研究内容を持ち出すためにそんな暇がなかったということだ。そうなるとこの中には、その日のままの手つかずの荷物が仕舞われているはず。
「あっ」
幾つかの女子ロッカーをこじ開けていると、幾つかのお菓子を見つけた。
これだよ、これ。これを求めていたんだよ。そう思いながら早速それを開けてみる……が。
「うわ」
チョコレートは……すでに食べ物じゃなくなっていた。他のロッカーに入っていたお菓子類も大部分が黴びて干からびている。唯一食べられそうな物は包装の内側がアルミっぽくなっているスナック菓子くらいだったけど……。
「ん~~~……」
試しに少し囓ってみると、これ、本当に大丈夫……? みたいな感じだった。少し堅くなっているけど食べられなくはない。たぶん。一応、食べられそうな物は全部持っていこう。
次は……。
「服だ……」
何個か開けているとロッカーの中に女性用の私服を見つけた。たぶん受付の人の物なのかな? さすがに着替える暇なんてなくて仕事着のまま退避したのかも。
ロッカーの中にあったからか、多少変色はしていたけどまだ比較的綺麗だった。
「…………」
なんとなくジャケットを取って袖を通してみる。布地はそれほど傷んでいる感じではなく、着心地も悪くない……んだけど。
「あ、ダメだ」
なんか違和感を覚えて慌てて脱ぎ捨てる。
「なにこれ……」
なんかメチャクチャぞわぞわした。最初は普通だったのに動いたらダメだった。
なんで? 何が悪かったの? そう思ってジャケットの裏地や縫い目などを調べていると、唐突に自分の肌に問題があることに気づいた。
私の小麦色の肌は多少赤みがかっていること以外おかしなところはない。生まれたばかりのせいかすべすべだし、産毛すら無くてモチモチしている。
だけど、指を手の先から腕方向にすべらせると平気なのに、腕から手の方向に指をすべらせるとなんかくすぐったいような、ぞわぞわとした感じがして悶絶した。
よくよく考えてみると、あの巨大鹿と戦ったとき、私の手は真っ赤な鱗に覆われていた。そして今の私も尻尾は細かな鱗に覆われている。
要するに肌に見えて肌じゃない? 肌に見えているだけで実は鱗っぽい何か? 人間の肌じゃなくて鱗っぽい肌だから逆側から触ると逆立つような感じ?
「う~~~ん」
これじゃ服は着られないじゃない……。
いや別に、今まで服を着なくても違和感なかったし、着なくても寒くないし、このままでもいいのだけど、一端、〝服〟という存在を認識してしまうと、色々隠さないといけない部分がある気がしてくる。
「べ、別に恥ずかしくないからっ。……ん?」
何かを誤魔化すように手荒に残りのロッカーをこじ開け、見つけた服を放り出していると、ふと違う質感があった。これって……
「……革?」
その上着の襟の部分が〝革〟になっていた。
もしかして、布はダメでも革なら平気なのかも? 合成品だと困るけど、本物みたいだったので腕にこすってみると、ちょっとは気になるけど布より全然マシだった。
これなら私でも着られるかも? でも襟の部分だけじゃダメだし、ここが放棄されたときは冬ではなかったのか、革製品の衣服は無くて、応接室っぽい部屋にも革張りの家具はなかった。
「いや……あった」
私は回収した物を一旦談話室に置いて、角槍だけ持って屋上まで駆け上がる。
辺りを見交わし、床のコンクリートが変色するほど血塗れになったそこに、私は目的のものを見つけた。
「あった……鹿の脚」
半分正気をなくした私が無残に食い散らかした、巨大鹿の脚の残骸が四つ転がっていた。
無意識とはいえ毛皮まで食べたくなかったのか、引き裂かれてはいるけど、元々大きな鹿だったので皮は使えそうな感じに残っていた。
これを上手く使えば、服とは言わなくても毛皮の腰巻きくらいなら作れるかもしれない。
それと……。
「お肉だ」
あのとき食い散らかしていたのは腿の部分だけで、脛の部分はほとんど残っていた。
普通に考えたら鹿の脛なんて細くてほとんど食べる部分は無いはずだけど、元が巨大なのでそれなりに肉が付いており、腿の部分も骨にこびり付いた部分を含めれば三割くらい残っているんじゃないかな。
「……なんだかなぁ」
切羽詰まっていた食糧問題にある程度猶予ができて脱力する。
一晩放置していたなら虫がたかっていてもおかしくなかったけど、屋上だったことが幸いだったのかまったく虫も湧いていない。
沢山はないけど、今の空腹具合なら数日程度なら保ちそうだ。
「……とりあえず、剥ごう」
私は鹿の脚から肉と皮を剥ぐべく、少しだけ弾んだ足取りで談話室に道具を取りに行った。
次は皮なめし。