20 婆ちゃんの家 その1
方言は多少ごちゃ混ぜになっているかもしれません(汗)
お寺の外縁で眠っていた私は、誰もないはずと思っていた場所で声をかけられ、一瞬で意識が覚醒して飛び起きる。
「おぅ、元気な子だねぇ」
「あ……」
寝起き状態で頭が回りきっていないのもあるけど、初めて会った〝人間〟に私も何を言っていいのか言葉に詰まる。
初めて見た〝人間〟はお婆ちゃんだった。
正直に言って何歳か分からないほどのお婆ちゃんで、ニコニコと顔中の皺を笑みに形にして目を丸くする私に小さく首を傾げる。
「外国人さんかねぇ? 日本語わがんねぇか?」
「あ、ううん! 分かるよ!」
変な方向に誤解されそうだったので慌てて否定する。
どうしてこんな場所に人が……しかもお年寄りがいるの? 避難はしなかったの? 他に誰かいるの? 一人でいたの?
聞きたいことは沢山あったけど、何か聞いていいのか分からず困惑する私を、お婆ちゃんは愉しげに見つめていた。
「お腹、減っとる?」
「え……うん」
それどころではないので気にはしていなかったけど、減っているといえば減っているので、思わず頷くと、お婆ちゃんはニコニコと笑いながらゆっくりと身体を左に向ける。
「んだら、朝ご飯にしようかねぇ。食べて落ち着いたら、ゆっくり話してけろ」
「え……」
思わず返答に困る私に、歩き出していたお婆ちゃんがちょっとだけ振り返る。
「ほれ、ついてこ」
「あ、うん!」
急いで荷物を纏めて、外縁の手すりを飛び越えるようにお婆ちゃんの後についていく。
お婆ちゃんはゆっくりとだけどかくしゃくとした足取りで進んでいく。
お寺の本堂の裏手に回り、樹木に浸食されかけていたお墓を横目に通り過ぎ、真っ赤な花が咲く樹木の道を抜けると、そこには大きな平屋があった。
「おばあさんの家?」
「〝婆ちゃん〟でいっちゃ。けども、嬢ちゃんはなんと呼んだらいい?」
「え……」
そう言えば自分には名前がないことに気づく。ずっと一人だったし、話す相手もジンベエくらいしかいなかったから、名前がなくても不便はなかった。
「名前……無い」
「ありゃ、それは難儀だねぇ。外国は大変ちゃ」
「いや、外国でも名前は付けると思うよ……」
高度なボケなのか天然なのかツッコミが追いつかない。
「嬢ちゃん裸足だがら、布巾さ持ってぐっから、こっちさ、こ」
「うん……」
……そう言えば裸足だった。
玄関の横引き戸から家に招かれ、婆ちゃんが足を拭く布巾を持ってきてくれる間、私は玄関から家の中を覗き込む。
築何十年も経っているように見えたけど、人が住んでいるからか傷みは少なく、なにより暖かな生活感があった。
「嬢ちゃん、これで足さ拭いて中にあがって」
「うん」
濡れた布巾で足の裏を拭いて家の中にお邪魔する。やはり電気はないから暗い廊下を通るとすぐにお日様が差し込む居間があった。
そのすぐ横には台所があって、使われてはいるみたいだけど、水や火を使った様子もなくどうするのかと思ったら、居間の縁側から出る庭に石で組んだような竈が見えた。
「嬢ちゃんはそこで座って待ってけろ」
「あ、婆ちゃん、私手伝うよ!」
座布団を指して座っていろと言われても、大変だろうと申し出る私に、婆ちゃんはニコニコと微笑みながらゆっくりと首を振る。
「ええって。久しぶりのお客様だがら」
婆ちゃんも人に会うのは久しぶりなのかもしれない。庭に竈があるのなら、直接庭に回ってもよかったのに、私がひさしぶりの『お客』だから、わざわざ玄関から迎えてくれた。
「これ、食うか?」
「うん……」
今から準備をするので少し時間が掛かるからと、粉が吹いた硬い干し芋をくれる。火で炙ると柔らかくなるみたいだけど、なんとなく緊張してそのまま食べてしまった。
婆ちゃんの庭にはジンベエのところと同じで家庭菜園があった。色々な野菜が少しずつ植えられているみたいで、サツマイモもあるらしい。
「サツマイモは大抵の場所さ、育つけ」
「へぇ」
私の中で〝知識〟のすり合わせが終わり、昔は救荒作物だったと理解した。今も沢山収穫して仕舞ってあるらしい。
あとは大根や長ネギ、ショウガや大葉、小松菜やトマト、カボチャや白菜もあった。夏はミョウガやナスも育てて、偶に大豆や里芋も作るらしい。
沢山あるから大変かと思ったら。
「慣れだぁ」
慣れたから平気なんだって。
婆ちゃんは小ぶりのサツマイモと大根を桶で洗って皮を剥くと、小さめに切る。
それを昨日から用意していたという土鍋に追加して、竈に乗せ、慣れた様子でマッチを使い、枯れ葉に火を付けて薪をくべる。
その間に大根葉を刻んで、沸かしていた別の小鍋で入れると、少し残して置いたイチョウ切りにした大根も加えていた。
朝ご飯は大根を使った料理みたいで、次第に良い香りがしてきてお腹が鳴る。
「……あ」
「もう少し待ってけろ」
婆ちゃんに笑われてしまった。
――コケ――
「……ニワトリ?」
庭の向こうにある巨大樹木に浸食された辺りから鶏が現れた。
パッと見ただけで五羽はいるけど、婆ちゃんの話だと増えたり減ったりするらしい。餌も勝手に食べているみたいで、婆ちゃんは偶に卵を分けて貰うんだって。
婆ちゃんは野菜の切れ端やくずを細かく切って庭に撒くと、鶏たちが喜んで食べていた。
菜園の虫も食べてくれて、フンは肥料になるみたい。
座布団に座ったままそんな様子をボケっと見つめていると、婆ちゃんがちょこちょこと何かをしているうちに、いつの間にか朝ご飯が出来上がっていた。
「こんなもんしかなくて、すまんねぇ」
「ううん! 美味しそう!」
朝ご飯は、サツマイモと細切りの大根を使った大根飯。それと大根のぬか漬けと、大根と大根葉のお味噌汁だった。
「……食べていいの?」
「たんとおあがり」
「いただきます!」
箸はまだ難しかったけど、初めて食べたまともな食事は暖かで涙が出るほど美味しかった。
「お米とかお味噌とか、初めて食べた……」
「お米もお味噌ももう手に入らないからねぇ」
「え……」
手に入らないのなら、そんな貴重なものを食べて良いのだろうかと、目の前の料理を見つめる私に、婆ちゃんは笑って手を振った。
「子どもが気にすることねぇ。すくねぇけど、婆ちゃんが作っとる」
「婆ちゃんが!?」
お米もお味噌もお婆ちゃんの自作だった。それでもたぶん自分の分しかないはずなのに、それを私のために使ってくれた。
きっと遠慮したらダメなんだ。私は婆ちゃんの心がこもった朝ご飯を噛みしめるように味わって食べた。
だから――
「ごちそうさま! 婆ちゃん美味しかった!」
ちゃんとお米の一粒まで綺麗に食べた。
「くっつぐなったか?」
「うん! だから、私に出来ることない? 力仕事ならできるよ!」
私が身を乗り出すようにそう言うと、婆ちゃんは少し驚いた顔をしてまたニコニコと笑みを浮かべた。
「そんなら、嬢ちゃんにはお手伝いしてもらおうかね」
「うん!」
いつまで居られるか分からない。
でも私は、それまでに出来る限りのことをしていこうと思った。
婆ちゃんちのお手伝い。
次回、『婆ちゃんの家 その2』